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行動工学

2014年9月27日 (土)

学習と教育についてのメモ

今日はメモ的に 師匠の玉城政光先生の 「教育・発想の転換」より 学習と教育についてから抜き書き。

 

 

「生涯学習と生涯教育」

(中略) 

 成人教育(西洋)から発展してきた社会教育は生涯教育(西洋)に重点が変わり、さらに今日わが国では、学習に重点をおく「生涯学習」に改められたのである。なお、生涯学習はいつでも、どこでも、だれでもが生涯を通じて学習することである定義され、従来の学習者や場所による分類も包含した総括的な概念になっている。それは、学習が「行動の変容」であり、年齢や場所を超えて行われるものであるとする新しい学習理論に起因しているものと思われる。

一方、生涯教育は生涯学習が容易に行われるように援助することである。つまり学習が効率的に行われるように環境条件を最適に整えることである。環境条件は一般にハード面とソフト面に分けて考えられている。前者は学習のための施設や設備(教育機器)をいい、後者は学習のための内容(知識、技能、価値)を提供する図書または人(教材または人材)をいうのである。

 ちなみに、家庭で子供が容易に学習(行動の変容)ができるように親が諸条件をととのえてやるのが家庭教育である。子供がその下で効率的に学習するのであれば、それは家庭学習であるこれからも分かるように子供が学習してはじめて教育は意味をもつのである。つまり、教育は手段であり、学習が目的である。重点を手段である教育におくよりも、目的である学習においた方が適切であると思われる。

(引用終わり 下線太文字は僕です)

 

 

「学習」と「教育」についての考察なんだけどね。

 

誰かに 「教えること」が 主 じゃなくて 学ぶ人 「学習すること」が 主になるって話しだね。

 

だから 諸条件をととのえてあげることが 「教育」になるってことだから だから「教える」っていうのは やり方や方法を伝えればいいってわけじゃないってのはあきらかだよね。

 

 

よく 耳にするのが 「彼にはちゃんと教えたんですけど」 「部下には伝えているんですが」みたいな言葉だけど それは 

 

「教育」はしているんだけど 不十分なために 相手が「学習」できていない

 

ってことなんだろうね。

 

教育が相手が学習することを手助けする環境をつくることとはいえ、学習者そのものが 「なぜ 学習をする必要があるのか?」という目的をよくみつめないと 学習そのものに対する意欲がわいてこないよね。

 

以前にも 話したけど 「勉強をする」 「学習をする」 理由は それそのものが そのまま世の中で役に立つことだし それによってより社会貢献ができるようになる。

 

※ 関連リンク 

子供に「何で勉強するの?」って聞かれたら、こう答えろ! 

お金以外の働く意味

 

だから 学生の勉強にせよ 社会人の働く意義にせよ 

 

「今やっていること やらないといけないことが どのように世の中の役に立っているのか?」

 

という質問にこたえていかないと 結局のところ やらされていておもしろくないものになったり たんなるモチベーションプログラムを走らせるだけのものになってしまう。

 

結局のところ 重要なのは 「学ぶ意義を知る」ってことになるんだろうね。

 

 

と、いうことで また次回!

2014年9月 3日 (水)

言葉の本当の意味

最近は雑談がおおいけど まぁ 今日も雑談で、、、

 
 
 
 
また 師匠からのうけうりの話なんだけど
 
「辞書にのっている言葉は 正しくは行動したあとの行動の結果を記述したものである」
 
ってこと。
 
 
これは 僕的には衝撃的な話だったんだよね。
 
 
 
たとえば 最近僕が辞書をひいた言葉に 「傲慢」 という言葉がある。(ってか、なんでそんな語句を調べたのかって、、、)
 
 
「傲慢:思い上がって横柄なこと。人を見下して礼を欠くこと(以下略)」
 
 
 
つまり 傲慢とは
 
 
思い上がって横柄にする、または、人を見下して礼を欠く (行動)
 
 
傲慢 (行動の結果)
 
 
ということになるってこと。
 
 
わかるだろうか?
 
 
つまり 何か行動することで 現象や状態が発生する。
 
 
それはいったい何なのか? に名前をつけると それが言葉になるってことだね。
 
 
 
 
このどこが衝撃なのか? というと、、、 
 
 
 
「傲慢」という言葉は 「思い上がって横柄に」されたことや 「人を見下して礼を欠く」人をみたり などをしていないと 傲慢という言葉そのものが いったいなんのことをいっているのかわからない。
 
 
 
つまり 言葉の意味がわかるというのは その言葉がさす 行動を知っている みたことがある 聞いたことがある ってことだね。
 
 
そう。
 
 
 
つまり 言葉をたくさん知っているってことは 行動と行動の結果をたくさん知っていることであり それが知識そのものであるってことだよね。
 
 
 
逆に すくない言葉しか知らない人は 「行動の種類(レパートリー)」がとてもすくないことになり それはすなわち 有能でないってことになる。
 
 
つまり その世界で有能な人は言葉をたくさん知っている人 であり 有能になるには すくなくとも 言葉をたくさん知っていないと、そもそも専門的な細かいニュアンスがわからないってことだね。
 
 
 
有能になるには まず言葉の勉強をするために 辞書を引け!ってことになる。
 
 
 
 
 
ちょっとそれを踏まえて こちらの引用。
 
 
 
 
(以下 引用)
 
 
一面の真理ではあるが、中等教育から英語習得だけのために海外留学させるのは長期的に見れば得るものより失うものの方が多いと私は思う。

(中略) 
 
何よりあらゆるイノベーションは母語の領域で行われるということが決定的である。私たち誰でも母語においては新しい言い回し、ネオロジスム、それまでにない音韻、文法的破格を行う自由を有する。それによって母語は不断に富裕化している。ある語をその辞書的意味とは違う文脈で用いることが「できる」という権能は母語話者だけに許されている。
今の日本の若者たちは「やばい」という形容詞を「すばらしく快適である」という意味で用いるが、それを誤用だから止めろということは私たちにはできない。けれども、例えば私が「与えた」というのをgaveではなくgivedと言いたい、その方がなんか「かっこいい」からと主張しても、それは永遠に誤用のままであり、それが英語の語彙に登録されることは絶対にない。

(中略)
 
知的イノベーションは母語によってしか担われない。成長したのちに学んだ英語によっては「すでに英語話者が知っている概念」を表現することはできるが、「まだ英語話者が知らない概念」を語ることはできない。語ってもいいが、誰も理解してくれない。母語ならそれができる。母語話者の誰もがそれまで知らなかった概念や思念や感覚であっても、母語なら口にした瞬間に「それ、わかる」と目を輝かせる人が出てくる。
 
 
 
(引用終わり)
 
 
なかなか難しい表現なんだけど 要するに「母国語」による 言葉のニュアンスでしか イノベーションはおこらない。つまり 母国語の言葉でしか 行動の微妙な変化をつたえることができないってことだよね。
 
 
 
たぶん このぶぶんは よくわからない人は 「???」っておもうはず。
 
 
だいいち 最初に僕も師匠に 言葉の意味とは、、、 みたいなこといわれて 頭が「???」ってなったからね。
 
 
 
ただ はっきりしているのは 外国語による思考によって得られるものと 母国語によって得られる思考だと よりイノベーティブなのは 母国語だということだね。
 
 
 
つまりだ。
 
 
 
ちゃんと 日本語を勉強することが重要。そして それは大人でもちゃんと辞書をひかないといけないってことだね。
 
 
 
なかなかこの価値が理解されないんだけど また 別の機会にも話したいとおもうよ。
 
 
と、いうことで ではまた次回!
 
 

2014年9月 2日 (火)

「ひじで軽くつく」だけで劇的に変わる

今年の9月から電子機器が、飛行機の離着陸時にもつかえるようになって とても便利になったよ。


で、この文章は今 まさに離陸しようとしている 機内で書いていますよ。


もちろん アップロードは飛行機をおりてからすることになるんだけどね。



不思議なもので、別に以前から 離着陸時以外は ふつうに電子機器も使えたので ブログでもなんでも 書くなり入力するなり すればいいんだろうけど 「ほんのちょっとした きっかけ」みたいなもので 行動って 驚くほど変わるよね。






僕はずっと 行動科学、、、というか その応用で 行動工学って 言ってるんだけど それを専門にやってきたんだけど すこしまえに 大流行した 「行動経済学」って分野があるよね。


この 行動経済学のキーワードになっていたのが 「Nudge ナッジ」っていう言葉で 「ひじで軽くつく」って意味らしい。


つまり なにか大げさに 「こちらへ行こうぜ!」って先導したりするんじゃなくて ほんのちょっとした きっかけとかで おおくの人が行動をとるってキーワードだね。







例えば なにか注意をうながす表示は赤文字で書き、やってよいことは青文字で表示するとか。


もし これが やっていいことが赤でかかれていて やってはいけないことが青で書かれていると 混乱しやすいよね。


これは 我々は 通常 信号の色と同じように ごくあたりまえの慣習として 赤色はエマージェンシー 青はフリーの色として 認識しているからだよね。







信号の色の件は あきらかでわかりやすいけど よく考えると 顧客に対してとか 部下に対してとか わかりにくいメッセージをおくってないだろうか?




青文字でエマージェンシーのメッセージを書いてはいけないという法はないよね。


だから 間違いではない。


でも とてもわかりにくいし 間違える人がいてももっともだなって同情するよね。








同じように 顧客が自社の商品をおもったように買わないのは 単純に買いにくくわかりにくいだけかもしれない。


会社や部下がおもったようにうごかないのは わかりにくいメッセージで 伝えたいことが間違って伝わっているのかもしれない。


そして これらの行動は 「肩をちょっと押すだけ」で 劇的に変化するかもしれないよね。





いや、実際に そういうことは凄くおおいんだよ。





だから ちょっとしたことで劇的に変化するってことを 目ざとくみつける視点って大事で それが日常的に 検証できるようなしくみが必要だよ。


まぁ このへんは 僕のコーチングの得意分野なんだけどね。





なので ちょっとだけ ヒントを話すと「どうしたら ナッジをみつけることができるだろうか?」 という問いかけではダメなんだよね。






投げかけるべき問いかけは

「これを 半分の時間でできないだろうか?」

「どうしたら 劇的に短い時間でできるだろうか?」

のような 時間をいかに短くするか?という問いかけが有効なんだよね。





なぜ?有効なのかは ぜひ 自分自身や仲間と話しあってみてください。





おぉ なんとなく機上で書けてしまったよ。


ただ 離着陸時につかえるようになったっていうだけの、ほんのちょっとしたことなんだけどね。


と、いうことで また次回!









2014年5月10日 (土)

面倒くさいことをやらない理由をかんがえてみた

 少しまえに 面倒くさいことをやる(やらなくてもいいけど) ってエントリーで話したんだけど ちょっとした 面倒なことをいとわなければ 大きく差がでる(かもしれない)、、、って話したんだけどね。 

 
 
今日は、じゃなんで 面倒なことやらないのか? ってことを ちょっとだけ話してみるね。
 
 
たぶん ちょっとした面倒なことやらないのは、
 
 
 
 
 
1 実はやりかたをしらない
 
2 やりかたは一応しってはいるけど できるレベルか自信ない、あるいはうまくできない
 
3 やりかたは知ってるし できるけど 効果がいままでなかったのでやってない
 
4 やりかたは知ってるし できるけど まったく他の理由で 今はできない状況にある
 
 
 
 
 
1は やりかたをおしえればいい。 
 
 
でも 実は 1番のケースって本当におおいんだよね。
 
「知識」とか「情報」とか そういうのって本当に重要なんだなっていつもおもうよ。 
 
 
ただ 知っているだけで ぜんぜん違うからね。 
 
 
 
 
あと 4 も ときどきある。 
 
 
ものすごくレアケースだけど 全く別の理由で できないケースってのも確かにある。 
 
 
 
そうすると 残りは 2と3のケースになるよね。 
 
 
2 → やりかた知ってるけど あんまり自信がない
 
 
3 → やってみたけど あんまり効果がない
 
 
これは 要するに 両方とも 「うまくできない」ってことだよね。 
 
 
 
つまり 面倒くさいことをやらない理由は 2つで
 
 
「やりかたを知らない」 
 
か 
 
「うまくできない」 
 
 
に集約される。 
 
 
 
 
 
たとえば 「なかなか いうこと聞かない部下」とか「ぜんぜん言っても、勉強しない子」とかは 要するに
 
 
「仕事や勉強のやり方をよくわかってない」 
 
か 
 
「仕事や勉強が 「へたくそ」な状態からぬけだせない」
 
 
という2つに集約されるってことだよね。 
 
 
 
 
だから やることというのは 結局 ひたすら
 
 
「できるようにする」 
 
ってことを くりかえすことになるよね。 
 
 
 
 
 
 
うん。 
 
 
 
 
 
んで、ここで 逆にかんがえてみる。 
 
 
 
なぜ? 僕らは 「できない部下」や「勉強しない子」を 仕事できるようにしたり 勉強したりするようにできないのだろうか?
 
 
 
そう。 
 
 
 
それは、「うまくやってもらう方法をしらない」のか、「うまくやらせることが「へたくそ」だ」ということだよね。 
 
 
 
つまり 「どうやったら やれるのか?」という方法を いろいろと試行錯誤しながらやっていく必要があるってことだよね。 
 
 
 
相手が、どうこう、、、っていうよりも 実は 教える側 コーチする側の方法論ってことになる。
 
 
 
 こういうのは 僕は あくまで 技術的な問題にすることが重要だとおもっている。 
 
 
そうすることで 
 
「どうにかしたら できるような方法があるはずだ」 
 
 
というかんがえになれるからなんだよね。 
 
 
 
これは 前向きだし なにより相手や自分の人格攻撃にならない。 
 
 
できないのは いい方法がみつかってないか まだ練習中ってことになるので 相手も自分も悪くないよ。
 
 
 
こういうのが 行動工学的なコーチングだとおもっているよ。 
 
 
 
 
 
 
うん、じゃ 今日はこのへんで!
 
 
 
では、また! 
 
 

2014年5月 4日 (日)

「禅」っぽい考えかた?なのか?

 さて なんとなく行動工学について ずっと話してきましたけど そろそろ少しまとめたいんだけど そこまでいくかな? 

 
 
 
 
 
この「内部」「外部」について ちょっと今日はかんたんに話してみたい。  
 
 
 
 
 筋トレをしてると だんだん筋肉が強化されて 重いバーベルがあがるようになる。 
 
 
これは 一見 自分に身についてる筋肉そのものが鍛えられている、、、ようにみえるよね。 
 
 
でも、実際は 筋肉が鍛えられているとかんがえるより より耐性に適した筋肉がつくられているって考えたほうが正しいとおもう
(※ この辺もおもいっきり「意訳」していますけど 話をわかりやすくするためです)
 
 
だって 人間の細胞そのものは どんどんいれかわっているんだし 何か月前のものなんか全然残ってないわけだからね。 
 
 
 
 身体的にみても こうなんだけど だとすると 人の記憶とかあるいは「内面」とかそういうものって 「人の中に蓄積していく」ものなんだろうか? 
 
 
仮に蓄積していくとしても それはどんどん入れ替わっていくわけだから 毎回0になるはずだよね。 
 
 
 
つまり 「内部に蓄積していくもの」とかはまったくなくて、「反応に適した状態がつくりだされている」ってかんがえたほうがいいよね。 
 
 
 
うん、 ちょっと難しい? 
 
 
 
 
たとえば 営業マンが 最初に汚い恰好で 営業にいって 追い返されたとする。 
 
 
そこで 学習して きれいな恰好でいけば 挨拶してもらったとしよう。 
 
 
これは 営業マン1.0 → 営業マン2.0に バージョンアップしたわけだよね。 
 
 
きれいな恰好でいった営業マンが さらに 笑顔で対応することを学んだとする。 
 
 
 
営業マン2.0 → 営業マン3.0に さらにバージョンアップだね。  
 
 
これを 「新しい経験が加わった」とイメージするんだけど そうじゃないんだよね。 
 
 
これは 「記憶が増えた」のではなくて 「反応が適正化された(強化された)」ということなんだよね。  
 
 
 
 
ふつうは 営業マン3.0は 「営業マン1.0+営業マン2.0」の人が営業マン3.0になるっておもうんだけど そうじゃないんだよね。  
 
 
 
営業マン3.0は まったく新しい人間(バージョン)で 過去の1.0と2.0の機能にあたらしい機能をくわえたものではなくて すべて新しく上書きされたものだとかんがえたほうが わかりやすい。 
 
 
 
だから たしあわせて機能ができているのではなくて その機能ももちあわせた新しいメカニズムの営業マンができあがっているってイメージが正しい。 
 
 
 
 つまり 「内面」が毎日つみあがっていく というイメージではなくて 「内面」がバージョンアップして 毎日まっしろの最新バージョンがインストールされている ってイメージだよ。 
 
 
 
毎日 最新バージョンの真っ白のパソコンをもらっているようなもので そこに毎日その日の経験が入力される。 
 
 
そうすると それをふまえた 新しいパソコンがまた次の日にハードディスクがまったく未使用の状態で提供される、、、というわけ。 
 
 
 
 このたとえは 厳密にいうと いろいろとつっこみどころがあるんだけど イメージとして理解してほしいんだよね。  
 
 
 
「内部」に蓄積されるものではなくて 毎回 最新に生まれかわっている というイメージだよ。  
 
 
 
 こうかんがえると その人の「内部」にアプローチすることが ますます無意味におもえてくるよね。 
 
 
そうすると よりよく生まれかわれるように 
 
 
「よい体験をすること」
 
 
「たくさんの体験をすること」 
 
 
「人の体験をきいて 自分でも同じ状況だと対応できるようにそなえることができるよな機能をもつこと」 
 
 
、、、、、、 なんかが重要になるよね。  
 
 
 
 
だから 「内面」なんかどうでもいい、、、ってことじゃなくて(そういういいかたもできるけど) 「内面は毎日バージョンアップされるもの」なので 明日はもっといいバージョンになるように 今日はよい体験をするようにしよう、、、ってことだね。 
 
 
 
実は これは 「禅」っぽいかんがえかたらしいんだけど 僕は禅のことはよくわかりません。 
 
 
 
 
、、、っと いうことで 今日はこのへんで
 
 
 
では、また!
 
 

2014年5月 3日 (土)

性格悪い太陽でも同じこと

 GWまっただなかですね。いかがお過ごしですか? 

 
ここんとこ 行動工学について いろいろ話してますよね。 
 
 
なかなか難しいんだけど どうでしょうかね? 
 
 
 

「説得や気持ちの変化、内部での納得によって行動がおこったのではなく、外部からの反応によって 行動が変化する」 

 
 
これは 少し前の 「北風と太陽」の2つの意味 ってエントリーで 話した部分なんだけど このあたりが 感覚として とても理解が難しいとおもうな。 
 
 
 
 
ちょっとこのあたりを 今日はすこし話してみる。 
 
 
 
 
 
 
 
 「説得や気持ちの変化、内部での納得によって行動がおこったのではない」 
 
 
っていうのが わかりにくいんだとおもう。 
 
 
だったら いったい 何が原因で行動がおこったのか? 
 
 
 
北風と太陽の話だったら 旅人のコートを脱がせたのは ぽかぽかして 暖かくなった 太陽だよね。 
 
 
これの意味は 北風みたいに 無理やりいうことを聞かせようとすると うまくいかなくて ぽかぽかする暖かい気持ちで接することが重要だよって ことをあらわしているんだとおもう。 
 
 
 
でも ちょっと別の設定でかんがえてみる。 
 
 
 
 
 
太陽が もし ものすごく性格悪くて 嫌なやつで 
 
 
「ほー北風はん、もしわいが勝ったら 払うもんはろうてもらいまっせ うへへへへへ」  
 
 
とかいって(ってか なんで関西弁?) 旅人をあたためたとする。  
 
 
 
それで 旅人がコートを脱いで 太陽が勝って 
 
 
「おーらー わいの勝ちや。さ、北風はん よろしゅうな。これにこりてワイにアホなこというんちゃうで。クソが」
 
 
とか いったとする(だから、なんで関西弁なん) 
 
 
 
 
でも やっぱり 太陽の勝ちは勝ちだよね。 
 
 
 
 
つまり 太陽の「意志」が すこやかなものなのか、あくどく邪なものなのかは 関係なく 暖かければ 旅人はコートをぬぐわけだよ。 
 
 
 
 
また 旅人は その「意志」に賛同したわけでもないし あらがったわけでもない。
 
 
 
ただ 暑かったから コートを脱いだんだよね。 
 
 
 
つまり 旅人の行動は環境によって変化したんだよ。 
 
 
 
 
 
これは とても重要で、、、だとすると その人の行動に変化をもたらすものは その人の内部にアプローチするものではなくて 外部にアプローチするものだよね。  
 
 
 
 
 
こんなふうな話をすると 「じゃ、内部はどうでもいいのか?」とか いわれるんだけど、、、 
 
 
 
その辺のことは また次回話してみるね。  
 
 
 
 
 
では、また! 
 
 
 
 
 

2014年5月 2日 (金)

嫌なことはひとそれぞれ

 さて ゴールデンウイークも中盤ですねぇ。 楽しくお過ごしでしょうか? 

 
 
昨日は アメとムチは間違い って話しをしましたよ。 
 
 
かんたんに どういうことか? というと
 
 
「評価システムや給与体系では 信賞必罰が公平な制度になる」 
 
「しかし おなじような「アメとムチ」では モチベーションはあがらない」 
 
 
まぁ これは ある意味 評価システムだけでは モチベーションアップのしくみをつくるのは難しいってことになるね。 
 
 
これは よく誤解されているところで しっかりとした評価システムをつくれば それでモチベーションアップがはかれるっておもわれたりするけど そうじゃないよ。 
 
 
もし そうだったら 歩合制の会社はすべて大成功するし、会社の上位職の人はみんなモチベーションに溢れてることになるよね。 
 
 
そんなにカンタンなものじゃないよ。 
 
 
 
 
 
で、今日は 「罰や脅迫でコントロールできない」って話しをしたいとおもう。 
 
 
 
 
罰や脅迫っていうのは そのものが 嫌なことだよね? 
 
 
だから たとえば 営業成績があがらなければ 給与ダウンだ! とかになると ダウンになりたくないので 営業ガンバルだろう、、、、、、っておもうよね。 
 
 
 
 
 
でも いわゆる「嫌なこと」っていうのは 人それぞれなんだよね。  
 
 
 
 
 
 
たとえば 不良が 学校の校則をやぶるのは やぶることによって不良としての意義(?)が果たせるからだよね。 
 
 
つまり 校則やぶっても そのデメリットよりも 不良としての本懐が果たせるので やぶっておこられても 気にしないよね。 
 
 
 
つまり 一般的に「嫌なこと」であっても それが必ずしも誰にでも ストッパーになるわけではないってことだよ。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 あと1つは 「罰や脅迫」は それが続いているあいだは 効果があったりするけど なくなれば 元に戻るってことだよ。 
 
 
だから 怖い先生がいるときは 静かにしてても いなくなれば騒ぎ出す生徒のようなものだよ。  
 
 
常に監視しないといけないので 手間がかかるよね(コストがかかる)
 
 
 
 
こうなると とても「モチベーションをあげている」とはいえないよね。 
 
 
 
 
 
 
 
 
ちょっとまとめると 
 
 
「罰や脅迫は 人それぞれなので 罰則が有効にはたらくとは限らない」 
 
 
「続いているあいだは 罰や脅迫に従うが なくなれば 即座にもとに戻るので つねに監視しないといけない」  
 
 
 
 
 
 
 
 
罰や脅迫っていうのは 効く人には 即座に効くので すぐにつかわれやすい。 
 
 
でも ずーっと監視や管理しないといけないし 罰則にならない程度のパフォーマンスになることがおおい。 
( 60キロ制限だったら だいたい60キロぐらいでみんな走る ) 
 
 
だから モチベーションをあげるものにはならないってことだよ。 
 
 
 
 
 
「これができなかったら、罰としてこれね」って 飲み会の罰ゲームみたいだけど そういうもので モチベーションは喚起しないよ。  
 
 
では、また次回!
 
 
 

2014年5月 1日 (木)

アメとムチは間違い

 さて 5月に入りましたね。 昨日は 4月の最終日だったので 4月の人気エントリー を紹介しましたよ。 

 
 
今日は その前のつづき から 話していきますね。 
 
 
 
 
前回は
 
 
「仕事がなかなかうまくいかない = 人間的に問題がある というのはおかしい」
 
 
って話しをしたよね。  
 
 
 
でも そもそも 
 

「罰や脅迫で人をコントロールするのは、最終的にうまくいかない。人はなんらかのメリットの期待で行動する」  

 
 

「説得や気持ちの変化、内部での納得によって行動がおこったのではなく、外部からの反応によって 行動が変化する」


 
 
っていう 「北風と太陽」のはなしだったので もとに戻すね。  
 
 
 
 さて  よくある行動化学系の誤解っていうのは いわゆる「アメとムチ」で 非人間的に人をコントロールしようとするものっていう 典型的な誤解があるんだよね。 
 
 
 
まず この「アメとムチ」なんだけど 「仕事がうまくいけば報酬、うまくいかなければペナルティ」という制度って ごくふつうにあるよね。 
 
 
これは 「勤務評価」や「給与体系」として 公平ではあるけど モチベーションを高めるものにはならないよ。 
 
 
ここが 誤解されているところなんだよね。 
 
 
 
だから 「アメとムチ」でコントロールできるっておもうんだけど そうじゃないよ。 
 
 
 
じゃ 何で動かされるのか? というと
 
 
「その行動のすぐあとに期待できるメリット」 
 
 
によって、動いているって大原則がある。 
 
 
 
 
この「メリット」っていういいかたも わりと誤解されやすいんだけど 報酬だったり賞賛だったりってだけじゃなくて 「満足」とか「納得」とかもふくまれる広い範囲だよ。  
 
 
 
だから その人が何によって動かされているか? というと その人の行動のあとにどんなことが起こるのかを見ればわかるってことだよ。 
 
 
 
 
 
「料理を食べる」 → 「すごく美味しかった」 
 
恐らく 「美味しいという快楽が欲しかったんだろう」  
 
 
 
 
「長時間仕事をする」 → 「仕事を終わらせて気分がよい」 
 
恐らく 「終わらせて 完了感をもちたかったのかな」 
 
 
 
 
「毎日運動をつづける」 → 「運動をちゃんとやれて満足」 
 
恐らく 「ちゃんとやれている自分に満足したかったのかな」 
 
 
 
 
必ずしも 誰かから「報酬」や「賞賛」がほしいわけではなくて 自分自身の満足や納得、快感のためでも 自主的にうごくよね。 
 
 
 
 
 
直接的な 報酬や賞賛をコントロールすれば人がうごくわけではないよ。 
 
 
 
だって 報酬を2倍にすれば 2倍働くわけではないし 半分にしたら 成果が半分になるわけではないよね。 
 
 
 
「人は期待するメリットでうごくんですよ」っていうと 「メリットだけじゃない行動もあるはずだ」っていわれたりするんだけど でも 公然と「アメとムチ」で人をコントロールしようとしたりするのは、、、、、、何がヒューマンな制度なんだろうね。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 今日はどちらかというと、「期待するメリットでうごく」ってところに焦点をあてたけど 今度は 「罰や脅迫でコントロールはできない」ってところを 次回話してみるね。
 
 
 
では また!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2014年4月29日 (火)

たぶん、余計なお世話

 さて、今日も昨日のつづきを 話していきますね。  

 
 
 
 
昨日のイソップの「北風と太陽」の2つの意味なんだけど
 
 
「罰や脅迫で人をコントロールするのは、最終的にうまくいかない。人はなんらかのメリットの期待で行動する」 
 
 
 
という意味と 
 
 
 
 
「説得や気持ちの変化、内部での納得によって行動がおこったのではなく、外部からの反応によって 行動が変化する」 
 
 
 
という2つの意味で 行動工学的だって話したよね。  
 
 
 
 
今日は その続きで まず最初の1番目について 今日で話せるところまで話してみるね。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 まず その前に ビジネスの場で人材育成をするためについて必要なことについて話してみたい。 
 
 
 
社員のモチベーションアップとか、できない社員をできる社員にする、とか「人間」をあつかうっていう気持ちがすごくあるとおもうんだよね。 
 
 
 
だから、「そもそも人間は、、、」とか「人というのは、、、」って 大げさな話しになるよね。  
 
 
 
 
でもね。 
 
 
 
 
 
 
そもそも 「うまくいかない仕事をうまくいかせるようにする」っていうのは 人間変革みたいなことが必要なんだろうか? 
 
 
 
 
うまくいかせればいいのではないか? 
 
 
 
 
いや、倫理的に問題があったり、法律をやぶったりするのはイカンよ。 
 
 
 
 
 
でも 仕事がなかなかうまくいかない = 人間的に問題がある っていうのは どうかんがえてもおかしい。  
 
 
 
 
 
これね、ここだけ話すと 「たしかにそんなバカな話しはない」っておもうけど 実態はこうなってるんだよね。 
 
 
 
 
仕事がうまくいかない = 人間的に問題がある 
 
 
 
 
「仕事をうまくいかせようとする意識がない」 
 
「積極的な姿勢がみられない」 
 
「仕事にむきあう心が、なってない」 
 
、、、、、、 
 
 
 
だから その人を改革するような研修をうけさせたり 「心を見つめる」ありがたい話しをきかされたり なんやかんや、、、 
 
 
 
 
おかしいよね。  
 
 
 
 
もし 「仕事をうまくいかせようとする意識がない」のであれば 「仕事がうまくいったときのおもしろさ」とか「うまくいったときの快感」とかを、本当の意味で体感させないといけないよね。  
 
 
 
 
すこしずつ「うまくいかせようとする意識」を育てないといけないよね。  
 
 
 
そのためには まず なによりもうまくいかせないといけない。  
 
 
 
 
 
 
 
そうなると 話しはここにもどってくるんだよね。 
 
 
 
つまり 一見 仕事がうまくいかないのは その人の内面に問題があるようにみえる。  
 
 
 
でも それはその人の過去のよくない体験
 
 
「仕事がうまくいかない」 
 
「仕事が面白くない」 
 
「仕事をうまくいかせても、あまりいいことがない」 
 
 
、、、のようなものによって その人の「内面」がつくられている。 
 
 
 
だから それを払拭していくには 仕事をうまくいかせる という体験をたくさんつむことによって 変化させていく必要があるよね。 
 
 
 
 
 
うん。  
 
 
 
ここには その人の内面に問題があったとしても 直接その人の人間改革とかは一切必要ないよね。  
 
 
 
仕事がうまくいくことが 続いたりすることで 結果的に 頑張る気持ちがでてきたり 一生懸命やろうという意識がでてくる。 
 
 
 
だから それをやらないで 直接「人間」にたいして 人間改革だったりマインド研修だったりってのは 意味がない。 
 
 
僕は そんなのは 余計なお世話だとおもっているよ。 
 
 
人間改革だったり、マインドが育まれるのは うまくいったあとだよ。 
 
 
 
 
 
 
 
、、、とか いってると 長くなってきた。 
 
 
 
と、いうか 最初の説明にまだ、いきついてないぞ(笑)  
 
 
 
しかたない、、、 この続きは、また次回。 
 
 
では、また!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2014年4月28日 (月)

「北風と太陽」の2つの意味

 今日も、昨日にひきつづいて、「行動工学」について 話ししてみるね。 

 
 
「行動工学」とは何か? というと
 
 
「研究ではなくて 行動学(行動分析学や行動科学など)をつかって、現実に技術としてつかえるようにするもの」 
 
 
っていえるとおもう。 
 
 
だから 僕がやっているコーチングは
 
「行動工学をつかった コーチング」
 
っていってる。 
 
 
 
 
今日は もう少し「行動工学ってどういうものか?」ってのを説明してみるね。
 
 
 
まず 前提として かんがえるのが  
 
「人の行動のほとんどは、外的要因によって変化する」
 
 
という思想といってもいいものだよ。 
 
 
 
 
イソップ物語で 「北風と太陽」ってあるよね?  
 
 
 
 
「北風がふいたので 旅人はコートをキツく着ていた。太陽が 照らしたので ポカポカして旅人はコートを脱いだ」 
 
 
 
 
これからとれる意味は
 
 
「厳しく罰するような、北風的行動だと 相手はかたくなになる。 むしろ愛情ややさしい気持ちで接すると 結果的に相手は自分のおもうことを聞いてくれる」 
 
 
というような意味だとおもう。  
 
 
 
 
 
これは 2つの意味で 「行動工学」的なんだよね。  
 
 
 
まず1つ。 
 
 
「罰や脅迫で人をコントロールするのは、最終的にうまくいかない。人はなんらかのメリットによる期待で行動する」 
 
 
ってものだよ。 
 
 
 
 
 
それからもうひとつ。 
 
 
「説得や気持ちの変化、内部での納得によって行動がおこったのではなく、外部からの反応によって 行動が変化する」 
 
 
っていうこと。 
 
 
 
 
 
この2つが 行動工学的なんだよね。  
 
 
 
 
1番目は なんとなく感覚的あるいは慣習的にわかるけど、2番目のは え?そうなのかな? ってよくおもわれるんだよね。 
 
 
 
 
 
ややこしいのは 1番目が感覚的にわかるおかげで 2番目がよくわからない原因になってるんだよね。  
 
 
 
 
そのややこしさって いつも研修とかセミナーなんかで なかなか理解してもらえないんだけど ここしばらくのエントリーは できるだけわかりやすく説明することにチャレンジしてみるね。 
 
 
 
次回は 1番目、2番目と説明してみます。 
 
 
 
では、また!
 
 
 
 
 
 
 
 

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