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2014年9月22日 (月)

1日に何をすべきか、誰でも完璧にわかる!「データの見えざる手」続編その1

もう少し この本 の話しをしてみたい。

 
 
と、いうのも 実際クライアントさんとのコーチングなんかでも話題になってきたので、自分の再理解もふくめて ていねいに話をしてみるね。
 
 
 
 
 
参考だけど 以下のサイトも わかりやすくて 本の著者がインタビューに答えている。
 
 
 
 
ただし! 無料で読めるのは期間限定みたい! 
 
後編は 9/26に更新されるようだね。
 
↓ ↓
 
 
 
 
 
 
 
Photo
 
 

データの見えざる手: ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則

 
 
 
 
まず 最初に「人間活動は自由ではなく、”活動予算”が決まっている」 ってところについて。
 
 
 
 
これは 本当に驚くべき発見だとおもうんだけど これで完全に「精神論」は否定されたよね。 
 
 
 
 
「人は1日で平均7万回の腕の動きがあって 1分間に何回動いたか? という運動量で「活動」を配分されている」 というデータがある。
 
 
 
 
たとえば
 
 
原稿書き → 腕の動きは60回くらい
 
メール作成 → 腕の動きは 約100回くらい
 
 
ミーティング → 腕の動きは100回くらい
 
プレゼンテーション → 腕の動きは 150回くらい
 
歩く → 腕の動きは240回くらい
 
 
 
 
と いうふうに「1分間の腕の動きに対応した活動」というのがわかっている。
 
 
 
 
なんだけど 実は1日のうちに どれだけ活動できるか決まっている!
 
 
 
 ”より具体的にいえば、1分間に60回以下の動きをともなう活動には、活動時間全体の半分程度の時間を使わないといけないことが実験からわかっている。1分間に60~120回の活動は、さらに半分で1日の活動時間の1/4程度の時間、1分間に120~180回の活動は、さらにその半分の1/8程度の時間、180~240回程度の活動は、そのさらに半分の1/16程度の時間を割り当てなければならない。”
 
(本文より 抜粋)
 
 
 
 
 
これはどういうことか?
 
 
 
 
だいたい 1日の活動時間を15時間程度とするよね。
 
 
 
そうすると 活動予算は
 
 
 
原稿書きやら 軽いデスクワーク ルーティンワークなど  → 8時間程度
 
ミーティングやメール作成 営業など 少し動きがでるもの → 4時間程度
 
プレゼンテーションや身体をわりと動かくもの → 2時間程度
 
歩いたり あきらかに身体を動かすもの → 1時間程度
 
 
 
と 割り当てられていて それ以上の活動はできない、ということが わかっている!!
 
 
 
 
え!?
 
 
 
 
 
「でも プレゼンテーションを3時間やった場合は?」
 
 
 
 
それは ふつうのプレゼンテーションの割り当ては2時間なので、エネルギッシュなプレゼンテーション(歩く の時間をつかう)を1時間するか あまり身体を動かさないプレゼンテーション(ミーティングなどの時間をつかう)を1時間つかうってことだね。
 
 
 
 
 
これは凄いよ。
 
 
 
 
 
つまり われわれの 1日の時間は、運動量(熱量)に支配されているってことだね。
 
 
 
これは なんとなく体感でわかっていたことではあるよね。
 
 
 
つまり 「集中できる時間は 1日じゅうとかは無理」 「重要な商談は1日に何回もできない」とか なんらかの エネルギーに支配されているっていうのは 感覚的にわかってたよね。
 
 
 
 
 
でも これで 「ビッグデータ」から 配分までほぼ完璧にでてしまったわけだよ!
 
 
 
 
 
後々 修正はされるかもしれないけど 僕はこのガイドラインにそって1日の過ごし方を変更しようとしているよ。
 
 
 
 
 
 
これでいうと 「頭をつかう仕事」や「身体のトレーニングの時間」 「クルマの運転の時間」 「ミーティングの時間」などを それぞれ 制限して より 効果が高い時間に振りかえていかないといけないってことだね。
 
 
 
 
だから やみくもに 運動したり  やたらと営業したり 1日で難しい仕事をやってしまう とか考えるのは あきらかに 効率がわるく そもそも手抜きになってしまう可能性があるってことだね。
 
 
 
 
 
 
だから 当たり前なんだけど 1日の過ごし方の大半を「ルーティンワーク」にしていかないと いちいち頭でかんがえていたら 貴重な資源をムダにしてしまうってことだね。
 
 
 
 
だから 「やる気がおきない」というのは そもそも頭をつかうことを何時間かつかったあとなので それで頭をつかうことができない状態なのかもね。
 
 
 
 
 
これは モチベーション理論だったり 「気合」とか「根性」とかでは まったくうまくいかないってことだね。
 
 
 
 
まだまだ この本の紹介をしていきたいんだけど 今日はこの辺にしておきますよ。
 
 
 
で、ないと 僕の仕事のエネルギーがなくなってしまう!
 
 
 
 
 
と、いうことで また次回!
   

2014年9月 6日 (土)

「個人美術館の愉しみ」 赤瀬川原平

福岡県久留米市って いささか古いけどチェッカーズや松田聖子の出身地として 知られた時期がある。

 
 
僕は 母が久留米近辺の出身なので 昔からなじみがあるんだよね。
 
 
 
筑後地方の中核都市で、古くは化学関連の会社、、、ブリジストン 月星化成、アサヒコーポレーションといった 全国区の会社があった地域なんだけど 最近は、チェッカーズ 松田聖子以来 これといったトピックもない 地方都市なんだけどね(久留米のかた スミマセン!)
 
 
 
 
 
そこで このニュース。
 
 
 
 
 
 
 
福岡県久留米市の石橋美術館を運営する石橋財団は、市の要請で続けてきた美術館の運営から撤退することを発表した。これに伴い、収蔵している財団の美術品960点は、2016年秋までに東京のブリヂストン美術館に移管される方針が示された。久留米出身の洋画家、青木繁、坂本繁二郎、古賀春江の作品については随一のコレクションを誇っているだけに、地元へ与える影響は大きい。
 
(中略)
 
動きが明るみに出たのは今年5月20日だった。財団は美術館所有者の市に対し、運営受託契約の解消を通知。財団が公益財団法人に移行したことによる事業内容の見直しを理由に挙げた。西嶋大二館長は後の会見で「(財団)丸抱えの運営だったが、市が主体的に運営するのが本来あるべき市の美術館」と説明した。
 
(中略)
 

 一方で反省の声もある。「市や市民が石橋美術館を大切にしてこなかったからではないか」と。所蔵品を一点でも多く久留米に残してもらおうと、署名活動が始まった。

 世界的メーカーに成長したブリヂストン。創業家は美術館以外にも久留米に数え切れないほど貢献してきた。筑後川に寄生虫がいるため遊泳が禁止されていた頃、正二郎氏は市内の小中学校にプールを建設して寄贈。九州医学専門学校(現久留米大医学部)にも土地、建物を寄付した。

(※ 西日本新聞  8月8日 【見解】 より引用)

 

 

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福岡県久留米市は ブリジストン発祥の地で その創業者オーナーがつくった財団が 石橋美術館を運営していたらしい。
 
 
けっきょく この「騒動」は 美術館は久留米市が運営することになったんだけど 所蔵されていた作品は ブリジストン美術館にうつることになった。
 
 
署名運動とか、いろいろあったみたいなんだけど 財団側は なんらかの理由で運営からは手をひくらしい。もっとも 財団側は今後も協力はするって話だから やっぱり この記事のトーンと同じように 市民や市が あまりにもおんぶにだっこって側面があったのかもしれないね。
 
 
まぁ 実際 こういう美術館みたいなものって 大きなものでも 「小学校のころ なんとか学習でいったことがある」とか「むかーし なんとか展でいった記憶がある」とかで 実際 存在しているときは あんまり活用しない
んだけど いざなくなるってときは なんだか、ものすごくもったいない気持ちになる、、、ってことはよくあるよね。
 
 
 
 
 
 
大きな美術館でも そうであるなら 小さな個人美術館なんて そもそもたずねるきっかけさえないし いったところで 何をみていいのか ぜんぜん わからないよね。
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
この本は 本当にすばらしい。
 
 
 
 
 
 
 
パラパラと拾い読みしているだけで 今すぐにでも 新幹線にのって、美術館巡りの旅にでかけたくなるよ。
 
 
 
 
 
筆者は、赤瀬川原平、、、僕はいまだに 「超芸術トマソン」の人だけど、、、芥川賞作家だよね。
 
 
 
 
 
 
 
なので 赤瀬川氏の力にもよるところはおおきいとおもうんだけど この文章はすべて 1つの美術館についての記述が6ページってきまってて どれもとても読みやすい。
 
 
 
なぜなら この文章は そもそも 東海道新幹線のグリーン車で配布される「ひととき」という雑誌に連載されていたものを 一冊の本にまとめたものなんだよね。
 
 
 
だから すべての美術館が 関東以西の東海道新幹線をつかっていけるところにある美術館の紹介になってるよ。
 
 
 
 
 
 
この本には 45か所の美術館が、載っているんだけど 僕がいったことがある美術館は 足立美術館(島根県) 河村美術館(佐賀県) 大原美術館(岡山県) の3つだけなんだけど その3つとも 今この本を読んだらぜひとも再訪したくなった。
 
 
 
この美術館がどういう経緯で、設立され そのため どんな作品が所蔵されていて その作品の見どころが とてもわかりやすくかいてあるんだよね。
 
 
 
 
 
これを読んでいると 美術館っていうのは 作品をみにいくだけのところじゃなくて その美術館がある土地や、歴史、設立した人や運営している人のおもい なんかもすべて味わうことが 愉しみなんだってよくわかる。
 
 
だから 美術館にいって そのあと併設のカフェでコーヒーを飲んだり その街で食事をしたりっていう体験ぜんぶが 「美術館の愉しみ」ってことになるんだろうね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
実際 さきの例にあげた 福岡県久留米市の石橋美術館も 「ブリジストン創業者の石橋正二郎氏ゆかりの地」として できたわけで その石橋氏やブリジストンの歴史や 久留米市の変遷なんかも 作品と同時にあじわうことができる。
 
 
 
この本の45か所の個人美術館にも 企業の冠がついてる美術館は いっぱいあって おもだった企業をあげても 出光興産、メナード化粧品、大日本インキ、日動画廊、アサヒビール、ウッドワン、ポーラ化粧品、、、など 有名企業がとてもおおい。
 
 
 
そういう企業の創業者やゆかりの人物が、なぜこの地に美術館を開き どんな作家のどんな作品を集めているのかっていうのは とても興味深い。 なぜ、この会社の創業者はこの作家のこの作品を所蔵しているのか? ってことだね。
 
 
 
 
 
 
 
そんなことに おもいをめぐらしながら 新幹線にのってこの本片手に 美術館巡りをしてみたい。
 
 
 
 
 
 
 
たぶん 美術なんかに ほとんど縁がない 僕でも楽しく美術館巡りができるんじゃないかな? っておもわせてくれる素敵な本だよ。
 
 
 
 
 
新書版だけど 紙質もよくてカラー写真がたくさん。 おかげで 価格も 1300円(+税)って ちょっと高いけど 十分な内容の楽しい本だよ。
 
 
 
ぜひ おすすめしたい1冊ですよ。
 
 
 
 
 
と、いうことで また次回!

2014年6月17日 (火)

「嫌われる勇気」とか アドラー心理学についてのNOTE

いわゆる 「アドラー心理学」がすこし、ブームになりつつあるね。 

 
 
むかしから あったヤツなんだけど ブームになったのは この本の影響が大きいとおもう。
 
 
 
 

 
 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 
 
 
 
 
僕自身は この「アドラー心理学」を あまり支持していない、、、いや逆だな わりと支持しているっていったほうがいいかもしれない。 
 
 
 
 
いわゆる フロイト系の心理学の100倍くらいはいいとおもう。
 
 
 
 
何がいいのか? というと フロイト系心理学というのは 何かの原因を その人そのものに求める。あるいは その人の「内面」にもとめる というスタンスだよね。 
 
 
でも アドラー心理学は 「その人をとりまく関係性にもとめる」という点が 100倍くらいよい理由の1つだよ。 
 
 
 
 
 
 
で あんまり支持しない理由は たぶん この本を読んだ人に
 
 
「で、アドラー心理学って 要するにどういうことなの?」 
 
 
って聞かれたときに ほとんど答えられないところだよ。
 
 
 
 
 
 
たぶん この本に納得したり、よい本だなっておもった人は 書かれている言葉だったり フレーズだったり ある主張だったりに 強く共感したんだとおもう。 
 
 
 
その共感ってのは よくわかるし 僕も共感するところは いっぱいある。 
 
 
 
 
でも そのアドラー心理学を貫いている思想とは何か? というのは 理解するのはとても難しいんだよね。 
 
 
 
 
 
ひとつひとつのフレーズはとても共感できるし これから先どうやっていったらいいのか? ということには わりと具体的に主張されてる。
 
 
 
 
 
だけど 全体の主張は なぜ?そうなるのか? ということは 主張はされていても 事実で証明がされていない、、、つまり ほとんどの人は自分の経験上で 
 
 
「おおこれは 自分の経験からいうと 正しいことをいっているようにおもう」 
 
 
 
というところからでてないんだよ。
 
 
 
 
 
 
これは オピニオンではあるけど 「学問」ではないよね。
 
 
 
 
 
 
「正しいこと」を世間の常識的知識に あてはめているので なんだかわかりにくくなっているんだけど 正しいことを別の客観的事実で体系化すると これは 別の学問になるね(それは 今日は話さないけど)
 
 
 
 
とはいえ だいたい「正しい」ことを主張しているので 実用的だとおもうよ。 
 
 
 
 
こういう表現だったり、語り口っていうのが 世の中の共感を生むんだなって わかるね。
 
 
 
 
 
 
と、いうことで ではまた 次回!
 
 

 
 
 

2014年2月 8日 (土)

アマバルの自然誌 沖縄の田舎で暮らす 池澤夏樹

あんまり本土の人はしらないんだけど 実は沖縄に住んで けっこう嫌なこと ワースト3 をあげてみる。 
 
 
もちろん 僕の主観だけどね。 
 
 
 
第3位 
 
「道路の絶望的な混み具合。渋滞」
 
 
東京都心部や地方都市の渋滞とくらべものにならないくらい、沖縄では渋滞がひどい。 
 
 
そして 基本的に抜け道や、回り道っていうのがないか、あってもほとんど意味をなさない。 
 
 
だから あきらめるしかないね。 
 
 
 
通勤時間は 化粧する人やおにぎり食べる人なんか いうにおよばず カップ麺食べたり 雜誌読んだりしている人は ふつうにいます。  
 
 
 
第2位
 
「沖縄の人は こういうところがダメだ」 「沖縄では こういうことはできない」とか、沖縄の人が したり顔で 沖縄のネガティブ発言すること 
 
 
 
「昔から 沖縄では こういうことはあんまりやってないよ」 とか 何時の時代から 誰が調べたんですか? って 発狂してさけびたくなるくらい こういういいかげんな話嫌い。 
 
 
そのくせ そういう人って本土に住んだことがなかったりするし。
 
 
沖縄の人は時間まもらない とか嘘ですよ。 
 
時間まもらないようなクズは、どこにでもいるってことです。  
 
 
 
適当な知識を、沖縄を引き合いにだして語るなって。 
 
 
 
第1位  
 
 
「虫、、、虫、、、、虫、、、、、!」 
 
 
 
もうね、虫嫌いなら 那覇空港からでちゃだめよ。 
 
 
 
よく 旅番組とかで 沖縄特集とかやっていて  
 
「うわー 海が一望できて まわりには何もない開放的な部屋ですねー」  
 
 
 
とか いってますけど まわりなにもなければ 夜は 虫たちの天国ですよ! 
 
 
 
 
もう ナウシカの腐海状態で 四方八方から虫がとんでくることうけあいです。  
 
 
 
 
 
そして ヤツら、、、、そう 黒光りしたゴキ! 
 
 
いたるところにいますから。 
 
 
ふつうに 夜の街あるいていると その辺とんでたり 足元いたりするんだけど 巨大ですよ!  
 
 
 
 
 
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で、 この 「 アマバルの自然誌 沖縄の田舎で暮らす 」 なんだけど その沖縄のうじゃうじゃいる虫やら 蛇やら 草やら 鳥やら の写真とそのエッセイがかかれてる本ですね。  
 
 
 
僕も沖縄在住が10年以上になってるし、ここに載っている写真や かかれている文章に とりたてて驚きはない。 
 
 
でも はて? こんな本って誰が面白がってよむのかな? って疑問が頭をもたげてきた。 
 
 
沖縄の人にとって さして珍しくもない 虫やら草やらの写真と文章だし。  
 
本土の人が読んでも よくある「エキゾチックな沖縄の風景」ってわけでもないし 誰得? ってかんじ。  
 
 
 
 
 
それで ちょっと 文章引用してみる。 
 
 
都会よりはずっと自然に恵まれて、その分だけ利便の少ないはずの土地に住んだつもりが、期待したほど自然は濃くないし、利便は整っている。もちろん不便よりは便利な方がいいのだが、周囲の風景がみるみるうちにコンクリートで固められていくのを見ていると、そうまでしなくても思ってしまう。 (引用終わり)
 
 
 
この本 2004年に出たんだけど 今から10年前。  
 
それでも 都会から自然をもとめて移り住んだ人には 期待はずれの「人工的な便利な土地」だったんだろうね。 
 
 
 
だから 結局 自然をもとめると こういうショボイもの(虫とか)に求めるしかないんだろうね。   
 
 
 
 
まぁ 実際 沖縄生まれ沖縄育ちで 「野生のハブとかみたことなんかない」 って人いくらでもいるしね。 
( でも ハブはそこらじゅうにいることもたしかデス ) 
 
 
沖縄らしい自然って もうこういう細部にしかないのかもね。 
 
 
それは それで 僕は別にいいけど。 
 
 
 
 
 
と、なんか けなしてばかりだけど  さらさらと読めるし 透明感の高い 筆者の文章は とても心地よい。 
 
 
 
実はもともと池澤夏樹氏の文章はとても好き。 
 
 
 
 
 
 
こっちは 言わずしれた 「スティル・ライフ」 
 
 
 
 
 
ちなみに この「アマバルの自然誌」は絶版になってるね。  
 
 
でも わりと安く買えるみたい。 
 
しらべたら 沖縄の図書館なんかにもいっぱいおいてある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2014年1月13日 (月)

スティーヴンハンター祭りだそうだ

ずいぶんまえに スティーヴンハンターのいわゆる「スワガー サーガ」について 書いたんだけど 最近 新刊が出て えらく評判がいいらしい。

 

 

 
 
 
アマゾンじゃ 品切れになるくらい 売れているみたいだね。
(ちなみに リアル書店ではまだ、けっこう売っていました)
 
 
正直 読みたくて たまらないのだが ちょっとだけ ガマン、ガマン。
 
 
 
さらに 何と! アマゾンで スティーヴンハンターのキンドル本のバーゲン やってるじゃないか!
 
 
 
 
1月19日までだけど まぁ10%ポイント還元なので、たいしたことないといえば たいしたことないけど 読んでないやつは今のうちに DLしておこうかな。
 
 
 
とかで キンドルなのに積読とかよくわからない状態になるんだよね。
 
 
ちなみに 「極大射程」の上巻は 50%OFFですよ。
 ( 紙本も 50%OFFですね )
読んでいない人は この機会にどうぞ 上巻、下巻DLしてみてください。
 
 
 
 
 
 
うーん 時間が全然たりないぞ!
どこか 静かなところで イッキ読みしたいな。 真剣にそういう時間を考えようかな。
 
 
 
 
 
 
 

2014年1月10日 (金)

「Dモーニング」 けっこうオススメかも

最近はコンビニなんかでも 立ち読みできないように 雜誌にひもをかけているところが増えてるよね。

 
 
ただ 書店では 立ち読みどころか 「座り読み」さえできて ゆっくり本を物色できるところもあるね。
 
 
 
漫画や雑誌は 短い時間で読めてしまうので 読まれちゃうと買わなくなるんだろうし 逆に ハードカバーの本は  ある程度試し読みしてもらわないと 買うきっかけができないだろうから それぞれの対応になるんだろうね。
 
 
 
 
雑誌や漫画が もの凄く売れている時には いちいち立ち読み対策しなくてもよかったんだろうけど そういう時代でもないしね。
 
 
 
 
 
 
 
そんななかで 実は僕は Dモーニング  を電子書籍で毎週購読しているんだけど これがなかなかいいよ。
 
 
 
 
月額500円で 紙のモーニングのほぼ同等の内容が毎週読めますよ。
 
 
 
 
ちなみに 紙のやつは一冊 330円なので 「ほぼ」同等の内容で 月500円って破格の安さに思えるな。
 
 
 
 
なんで Dモーニング購読しているかというと 「グラゼニ」GIANT KILLINGが読みたかったので、、、、という単純な理由。 
 
 
 
そんななかで 今週も載っていたんだけど 注目の作品が 「いちえふ」  だよね。 
 
 
 
 
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これは 福島第1原発の事故後の現場作業員として働いていた作者が書いた漫画で、作業の雰囲気がとてもリアル。
 
 
 
 
基本的に 政治的なスタンスで書いているのではなくて 作業員としての視点でかかれているので かえってリアルに感じるね。
 
 
 
 
 
 
 
もちろん 島耕作も読めるし、OL進化論もまだやってますよ。
(こいつら 何十年やってんだ?)
 
 
オススメは タブレットでみると見やすいですね。 
 
スマホでは画面が小さいのでちょっと見にくいかもね。 
 
 
でも けっこう 安くてお得なのでオススメしますね。

2014年1月 7日 (火)

苦役列車 西村賢太

なんとはなしに 手にとった本。

 
文庫になっていて 薄いし 飛行機の中で読むにはちょうどよいか? と思って買った。
 
 
本を買う場合 基本的にはスペースがもったいなので できるだけ電子書籍で買うようにしているんだけど 飛行機の中では Kindleのスイッチを入れたり消したり 離着陸のときは使えなかったりなので 文庫とか新書とかを 空港の書店で買うことがおおい。 
 
 
著者は 芥川賞をとったときのコメントがユニークで それから芸能事務所にも所属するようになり テレビとかにもでている。
 
 
で、その小説の内容だけど まぁ これぞ私小説 というべき私小説で 作者の西村氏そのものを 書いていることに間違いはないとおもう。
 
 
本人のキャラが、テレビなんかでみても ユニークなので どうやって あのユニークなキャラができたのかを知ることができるとおもう。
(実際の本人の身の上は少し違うようだけど)
 
 
 
 
 
巻末に石原慎太郎氏が 解説をかいているので ちょっと引用。
 
 
西村氏の全ての作品は、ろくに風呂も行かず顔も洗わず着替えもせずにいる男の籠った体臭をあからさまに撒き散らしていて、その心身性には辟易する読者もいるに違いないが、しかし有無いわさずこれが人間の最低限の真実なのだといいきっているのがえもいえぬ魅力なのだ。(引用終わり)
 
 
 
「これが人間の最低限の真実なのだといいきっている」と書いてしまうと ちょっと違うきもするな。
 
 
 
 
あたりまえだけど 西村氏は作中の自分(あるいは、本人)のキャラクターのユニークさを十二分に自覚しているんだとおもう。
 
 
 
 
それは 自分自身でもあるわけだから 全く忌み嫌われるキャラクターとして 描けば それは自己否定になるので 自分がもたない。
 
 
 
だから  中卒、日雇い人足、といったとてもわかりやすい、スティグマ性が高い記号を、作中におくことによって 逆に読者の共感を得ているんだとおもうな。
 
 
 
 
つまり 「低学歴だからってバカにするなよ」 「職業なんて 別に人間性に関係ないじゃないか」といった 絶対正義のような共感を得やすいのは 中途半端な学歴や 職業ではなくて 中卒、日雇い人足 といった およそ最底辺とおもわれやすい立場のほうが 圧倒的に 読者にわかりやすい共感を得られるはず。
 
 
 
 
その共感を得ている感触を作者はかんじながら、作中人物が ひどい振る舞いや、どうしようもない行動を描くことが 小説のドライブになっているんだとおもうな。
だから 読んでいて どこかに 「まぁ確かに こういう部分は男なら 程度の差はあれ あるよな」とおもわず 思わされる。
 
 
 
 
 
 
 
 
苦役列車のその後? なのかな? 「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」が同本に併録。
こちらも 同等の文体で違和感なく読める。
 
 
 
 
 
 
つげ義春とか 落ちぶれていく男の話は ときどき読みたくなる。
 
 
 
それは 僕自身が 「いつかこうなるのでは?」という恐怖かもしれないし、「ここまで 落ちぶれることは 自分にはないな」と安心するためなのか あるいは単に 「こんな やつらを相手にしてはいかんな」とせせら笑うためなのか 自分でもよくわからないけど。
 
 
 
 

2013年7月11日 (木)

こんなに凄い小説 「いとうせいこう 想像ラジオ」

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想像ラジオ いとうせいこう

 

 

ちょっと なんていっていいかわからないくらい感動した。

 

 

いろんな人が 3.11について 小説を書いたり 映画をとったり ということがでてきてるんだけど それらを体験しているときに感じることがあるんだよね。

 

 

それは 直接体験していない 作家や映画監督が切り取った作品に 単純に 「これは 良い小説だ」「よい映画だ」といっていいのだろうか? という疑問なんだよね。

 

 

つまり 3.11について 直接体験していない人がつくったものを 同じく直接体験していない自分が 何らかを感じることというのは それは まるっきり意味がなく 3.11を体験した人にとって ぜんぜん違ったものではないか?  という 根本的な疑問なんだよ。

 

 

もちろん 体験者と 非体験者とは どれだけいっても同じ気持を共有することはできないんだけど 小説や映画をみて感じる 

「他者の表現したものに対して 素直に共感していいのか?」

というおもいが とくに他の3.11作品にはあって それが 

「いい映画だとおもうけど 本当はどうなんだろうね」 

「良い小説なんだろうけど、本当に今かんじていることが 正しいんだろうか?」

って疑問からは なかなか離れられなかった というのが正直なところなんだよね。

 

 

やっぱり 非体験者としての僕もそれくらい3.11は 大きな出来事だったし だからこそ 体験している人々のことが想像できないっていう状況なんだとおもう。


 

この 「想像ラジオ」では その「葛藤」が描かれていく。

 

 

「ナオ君の意見に私は息をのんだ。彼はボランティアを続ける中で実践的に自分の考えを形成しているだった。対して私は軽々しい人間だと思った。ただ、事態に関係のない者が想像を止めてしまうのが本当にいいことか、私にはまだ引っかかりがあった。何か言わなければと私は言葉を探した。」 (本文 第2章)

 

 

「そして、放送が聴こえていない人たちに僕らは常に語りかけるべきなんです。いつ彼、彼女の耳に僕らの声が届き始めてもいいように。つまり、聴こえるきっかけを作るって言った方がいいかもしれません。」 (本文 第3章)

3.11に対して感じていた 「引っかかり」が読んでいくうちに すこしずつほぐされ ほどけていき そして、自分自身がどうやって 向き合っていけば良いのかをすこしずつ考えさせられていく。

 

 

死んだ人と生きていく人とが 「どう向き合って生きていくのか?」ということを深く深く考えされましたよ。

ありきたりなんだけど 「死者とともに生きる」というのがどういうことなのか 考えて生きることって それが生きていくっていうことの本質なんじゃないか? とか書いているとあたりまえすぎて はずかしいんだけど でも 言葉だけじゃない 想いの重みを感じることができたとおもうな。

 

 

想像ラジオ いとうせいこう

 

 


著者の いとうせいこう氏は16年ぶりの小説だそう。

 

僕は 処女作の「ノーライフキング 」を 発売後すぐ読んで とてもおもしろかったんだけどそのあとの本は追いかけてよんでるわけではない、、、、、程度の読者。

 

 

こんどの 芥川賞候補らしいんだけど 間違いないんじゃないかなとか おもうけど。どうかな?

 

どうやって選ばれるのかわからないけど ここんとこの選ばれた作品とくらべても 群を抜いて凄い作品だとおもう。

 

やっぱり 日本人として 経済的にも、文化的にも、政治的にも 「震災後をどう生きるのか?」ということが いちばん大きなテーマなんだな と再認識した。
(だから 村上春樹の新刊にもちょっとがっかりしたけどね)

 

芥川賞に選ばれたら 書店からすぐなくなるから 今のうちに買っておいたほうがいいかもね。

 

少なくとも 僕は 今年読んだ小説では 間違いなくNO1ですよ。


 


2012年12月25日 (火)

超ド級のおもしろさ! 横山秀夫「64(ロクヨン)」

今年のミステリで とにかく読んでおくべき2冊(というか、2作品)は、宮部みゆきの ソロモンの偽証 とこの横山秀夫の 「64(ロクヨン)」でしょう。

宮部みゆきの「ソロモンの偽証」は なんといっても 1冊700ページ以上が3冊!だからね、、、 ちょっと時間があるときでないと、、、それで こっちを読んでみたんだけどね。

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 「64(ロクヨン)」 横山秀夫 



ちょっと あらすじを紹介してみる

(文藝春秋社の「担当編集から」の引用)

↓ ↓

D県警の広報が記者クラブと加害者の匿名問題で対立する中、警察庁長官による、時効の迫った重要未解決事件「64(ロクヨン)」視察が1週間後に決定し た。
たった7日間しかない昭和64年に起きたD県警史上最悪の「翔子ちゃん誘拐殺人事件」。
長官慰問を拒む遺族。
当時の捜査員など64関係者に敷かれたかん口令。
刑事部と警務部の鉄のカーテン。
謎のメモ。
長官視察の日に一体何が起きるのか? 
D県警に訪れた史上最大の試練! 
組織対個人を緻密に描く横山節 は健在。
怒涛の、衝撃の、驚愕の長編ミステリーをお楽しみに!
(引用終わり)




とにかく、読みはじめて 物語のなかに入り込んだら 読むのをやめることができない。


前半は、主人公「三上」の葛藤や、人間関係を中心に話がすすむんだけど だらだらした印象はぜんぜんない。

むしろ 少しずつ ひきこまれていく感じ。


そして 中盤での 盛り上がりから 終盤の活劇まで いっきにすすんでいくので 読後感は ここちよい興奮のあとの 脱力につつまれるかんじがする。






僕は 横山秀夫氏の本は、半落ち は読んだんだけど 正直いまひとつの読後感だったんだよね。

たぶん それは 登場人物に共感できなくて、感情移入できなかったんだとおもう。



でも この「64(ロクヨン)」の三上には わりと素直に 共感できて 入り込めたのは もしかしたら 僕自身がにたような経験があったからかもしれないな。





女性の登場人物もでてくるんだけど 正直ちょっとありきたりな描写で リアリティは薄い感じがする。


だから この本は 男性はすごく共感しやすいとおもうな。




別のところで 作者がいってたエピソードでは ご本人の脳機能が低下して 主人公の名前もおもいだせないような 状況にもいたった とかいってた。



それが 大げさでないくらい 執筆が丁寧にすすめられていて そのぶん「濃密にすぎる」っておもう人もいるかもしれないけど 僕は 気持ちが入ってよむことができた。





書店で買えば ¥1995 約650ページという 大部だけど その価値は十分にあるはず。


いろんな今年の賞の1位をとっているみたいだけど それにふさわしい メガトン級の面白さだとおもう。

2012年10月 1日 (月)

チャンスとは何か? 「天才!OUTLIERS マルコム・グラッドウェル」

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  天才!  成功する人々の法則


「天才」というタイトルから 天才についての本のようにおもうんだけど そうじゃなくて

「才能ある人が成功するには?」

について かいた本だね。




 

もともと もって生まれた才能ある人が、みなその才能を活かして 大成功するわけではない。

では、その才能を活かすには どうしたらよいのか? ということを探っていくんだけど、僕は その結果に衝撃をかんじたんだよね。


この本は 「話題の1万時間の法則」についての本っていわれる。

つまり 才能ある人 × 1万時間の努力 = 成功 みたいなもの。

これは まぁ わからんでもないよね。
才能だけでは 成功できんし 才能ないやつが努力しても イマイチだろうとか。

 


まぁ でも僕が衝撃をうけたのは ちょっとちがう部分なんだよね。



それはこの本の 

第3章「天才の問題点 その1」 
第4章「天才の問題点 その2」

それぞれの章の クリストファーランガン という人のエピソードには 本当に 胸が張り裂けそうになったんだよね。




ネタバレだけど 少し 書いてみる。



この人は IQ195 の正真正銘の天才的頭脳。

もちろん 本書にかいてある そのエピソードも天才にふさわしいエピソードばかり。

でも 現在 この人は クイズ番組でその才能をしらしめたんだけど 現在はミズーリ州の農村で馬の飼育をしている。



なぜか?



それは 本書で2つのエピソードが書いてある。

1つは 貧しい実家の母親が奨学金の書類提出が不備で 奨学金がもらえなかったこと。


もう1つは 別の大学にいったのだが お金がなかったため 働いて学校にいっていた。 そのため 授業を午前中から 午後に変更して欲しいと頼んだ。しかし それが却下されたため 大学を中退した。



この2つの理由で 大学にいけなくなり 知的な仕事の門を閉ざされた と書いてある。




しかし この2つの理由は 僕自身は

「アメリカの大学ってそんなに 冷酷なのか?」

って 思ったんだよね。



実際 この本にも

「なぜ あっさりと奨学金が消えたり、ほかの学生だったら 日常的に許可されていた 授業時間の変更が 彼には許されなかったのか?」

と 書いてあるんだけど それが 次第に あきらかになっていく。





それは 一言で言うなら 

「 貧しい家であったため 誰かと交渉するスキルを親から学ぶことができなかった 」 

ということなんだよね。




よく 

「 勉強だけできてもダメ。社会性がないと 世の中で通用しない 」

とかいわれるよね?

でもね、これって どちらかというと

「 親がかりで なんもかんも 小さい頃やってたらだめで 自分のことは自分でできるように やってないと 社会に出て苦労する」

みたいな ニュアンスだよね?



でも ここでは そうじゃないケースを 実に鮮やかに書いているんだよね。


ちょっと抜き書きしてみる。

(以下 本文より)

 ラローは中産階級の親業のスタイルを  ”共同育成”  と名づける。
中産階級の親は積極的に  ”子どもの才能や考えや技能を育み、評価”  しようとする。
一方、貧困家庭の親は  ”自然な成長による結果”  を待つ戦略傾向にある。
貧困家庭の親は子どもの面倒を見る責任は認めるが、子供に自由に成長させ、子ども自身の発達に任せる。



 ラローは、どちらかが勝っているわけではないと強調する。
ラローの意見では、貧しい家庭の子供はしばしば行儀がよく、泣き言をいわず、時間の使い方に工夫があり、独立心が旺盛だ。

 だが実際問題、共同育成には大きな優位点がある。
予定の詰まった中産階級の子どもたちは、多様な体験の機会を次々に与えられる。
組織の中でチームワークと対処法を学ぶ。
大人と気持ちよく会話する方法や、必要に応じて自分の考えを相手に伝える方法を覚える。

( 引用 以上 )

(※ラロー 本文中にでてくる社会学者の名前)






つまり 「自分のことは自分でやりなさい」という教育は ある意味間違いで

「自分でできないことは 誰と交渉したらうまくいくのか?」
「自分の要求をとおすためには どうしたらよいのか?」


ということを 「家庭」で 教えないといけない ということなんだよね。



このエピソードの クリストファーランガンという人は これを貧しい家庭であったがゆえに 親から 教えてもらう チャンスがなくて あっさり奨学金をきられて 大学を中退するはめになる。

本人が 悪いわけではなくて 「環境」が IQ195の その天才の人生を奪ってしまった という 痛々しい エピソードなんだよね。








思いかえしてみると 僕は どっちかというと 「自分のことは自分でやりなさい」といわれてきた子ども時代ではあったようにおもう。

でも それは 僕の親が 間違った教育をしたのではなくて 僕が 比較的に「甘やかされて」育てられすぎて 「ええかげんにせい!」という意味でいわれてたんだとおもう。

つまり 「甘えてないで 自分のことは自分でやらんかい!」 って意味だ。

だから 僕自身は 自分の子どもに 「自分のことは自分でやるようにしなさい」と いってきたのだが 果たして ちゃんと 僕は子どもを「 甘やかして 」きただろうか?

もし 甘やかしていなくて ただ厳しく接していれば それは 間違った教育の可能性があるということだよね。

Amazonでの書評では 勝間和代氏への 誤訳やミスリードへの批判などが 多いけど それがどうなのか よくわからない。

しかし 勝間氏の解説での 「 長時間にわたってトレーニングを積める機会 」こそが、「 並外れたチャンス 」 というのは 納得。

 

子育てや、社員教育や、もちろんコーチングについてのヒントも満載。
リアリティのある話が 深くかんがえさせられる 読むべき1冊だとおもう。


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   天才!  成功する人々の法則