学習と教育についてのメモ
今日はメモ的に 師匠の玉城政光先生の 「教育・発想の転換」より 学習と教育についてから抜き書き。
「生涯学習と生涯教育」
(中略)
成人教育(西洋)から発展してきた社会教育は生涯教育(西洋)に重点が変わり、さらに今日わが国では、学習に重点をおく「生涯学習」に改められたのである。なお、生涯学習はいつでも、どこでも、だれでもが生涯を通じて学習することである定義され、従来の学習者や場所による分類も包含した総括的な概念になっている。それは、学習が「行動の変容」であり、年齢や場所を超えて行われるものであるとする新しい学習理論に起因しているものと思われる。
一方、生涯教育は生涯学習が容易に行われるように援助することである。つまり学習が効率的に行われるように環境条件を最適に整えることである。環境条件は一般にハード面とソフト面に分けて考えられている。前者は学習のための施設や設備(教育機器)をいい、後者は学習のための内容(知識、技能、価値)を提供する図書または人(教材または人材)をいうのである。
ちなみに、家庭で子供が容易に学習(行動の変容)ができるように親が諸条件をととのえてやるのが家庭教育である。子供がその下で効率的に学習するのであれば、それは家庭学習である。これからも分かるように子供が学習してはじめて教育は意味をもつのである。つまり、教育は手段であり、学習が目的である。重点を手段である教育におくよりも、目的である学習においた方が適切であると思われる。
(引用終わり 下線太文字は僕です)
「学習」と「教育」についての考察なんだけどね。
誰かに 「教えること」が 主 じゃなくて 学ぶ人 「学習すること」が 主になるって話しだね。
だから 諸条件をととのえてあげることが 「教育」になるってことだから だから「教える」っていうのは やり方や方法を伝えればいいってわけじゃないってのはあきらかだよね。
よく 耳にするのが 「彼にはちゃんと教えたんですけど」 「部下には伝えているんですが」みたいな言葉だけど それは
「教育」はしているんだけど 不十分なために 相手が「学習」できていない
ってことなんだろうね。
教育が相手が学習することを手助けする環境をつくることとはいえ、学習者そのものが 「なぜ 学習をする必要があるのか?」という目的をよくみつめないと 学習そのものに対する意欲がわいてこないよね。
以前にも 話したけど 「勉強をする」 「学習をする」 理由は それそのものが そのまま世の中で役に立つことだし それによってより社会貢献ができるようになる。
※ 関連リンク
だから 学生の勉強にせよ 社会人の働く意義にせよ
「今やっていること やらないといけないことが どのように世の中の役に立っているのか?」
という質問にこたえていかないと 結局のところ やらされていておもしろくないものになったり たんなるモチベーションプログラムを走らせるだけのものになってしまう。
結局のところ 重要なのは 「学ぶ意義を知る」ってことになるんだろうね。
と、いうことで また次回!
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