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2014年8月

2014年8月31日 (日)

2014年 8月の人気エントリー

8月も終わりですね。

 

学校もとっくにはじまってますし、以前みたいに 8月31日に 「ワニシャン状態」とかはないんでしょうね。

 

 

   

 

 
さて 8月の人気エントリーですよ。
 
 
今回は 同じ系統のエントリーが上位にきたよ。
 
 
 
 
 
 
 
マクドナルドとローソンのそれぞれ経営者の比較にについてのエントリーだね。
 
なにについて比較したか?というと 2つあるよ
 
 
1 「経営者」と「現場」との温度差をどうやってうめていくか?
 
2 大きな失態がおこらないように、どんなリスク管理をおこなっているか?
 
 
1も2も どちらも大手企業ならずとも、ある程度以上の規模になれば、かならずおこる可能性があるよね。
 
 
それを どうやって回避したのか?って話だけど 実際 しっかり、リスク管理している経営者なんてほとんどいないからね。
 
 
「リスク管理をする」っていうのは ちゃんとリストにして 保険のように、かけておくっていうのがいいんだろうね。
 
 
 
 
 
 
 
 
これも 外食業界について 「吉野家」とステーキレストラン「炉窯ステーキ煉瓦」の比較についてのエントリー。
 
 
競争が激しい外食業界で、対照的な2つの業態で、おこなわれていることについての違いについてだね。
 
 
大手企業とそうでないところとの戦略の違いがとてもあざやかにでてた事例だったので それについて話してみました。
 
 
 
 
 
時事ネタのせいか? 今月はこれが1位でしたよ。
 
「すき家は、なぜ崩壊したのか」というようなことの解説みたいなエントリーなんだけど 吉野家との違いについて比較もしているよ。
 
 
こっそり かなり重要な「指標」についても紹介しているんだけど こういうのが コーチングやっていくうえで欠かせないものなんだよね。
 
 
このエントリーの話しは 実際リアルでもよく話しをしているんだけど そこでもみんな興味深く聞いてくれるよ。
 
 
まぁ おもしろい話しはアクセスが増えるってことなんだろうね。
 
 
 
 
 
 
8月は よく知っている「企業ネタ」が 上位にきたね。
 
 
なかなか コーチングのクライアントさんの話しは守秘義務なんかで できる話しとできない話しがあるんだけど 関係ない企業ネタは話しやすいね。
 
 
 
最後に 今回さいしょのほうに ももクロの動画いれたので 写真はっとこう(まったく関係ないけど)
 
 
Orig  
 
 
と、いうことで また9月もよろしくおねがいいたします!

2014年8月30日 (土)

文化と文明のちがい

ちょっと雑談しますね。

 
 
僕は 師匠の玉城先生から 「文化と文明のちがい」についておしえてもらったことがある。
 
 
おそらく 厳密な話ではなくて このようにとらえるとよいのでは? という話ではないかな、とおもうけど 明快でわかりやすかった。
 
 
 
文化 = culture カルチャー 人間が自然に働きかかけてできたもの。自然を活かすように発展する。多様性に価値がある。
 
文明 = civilisation シビライゼーション 都市化、市民化 人間が人工的なものを組みあわせてつくったもの。人工的なものを活かすように発展する。画一性に価値がある。
 
 
 
僕が なるほどって おもったのは 文化は多様性に価値があり 文明は画一性に価値があるってとこだった。
 
 
 
逆にいえば 多様に発展していくものは 文化だし 画一的に広がるのは 文明だともいえるとおもう。
 
 
 
たとえば 文化的活動っていうのは 要するにさまざまなことをやれば 「文化的」なわけで、
 
 
いろんな本を読む
さまざまな料理をたべる
多種多様な人にあう
 
、、、、、、
 
っていうのは これは「文化的」な活動なんだろうね。
 
 
 
 
逆に
 
 
毎日同じ時間におきる
 
ルーティン・ワークを毎日厳しくこなす
 
 
違う業界の成功事例を他の業界に活かす(おなじようにやってみる)
 
 
、、、、、、
 
とかは これは 「文明的」な活動、、、なんだろうね。
 
 
よく 食文化 とかいわれるけど これは「食の多様化」みたいなものなんだろうね。 
 
だから 「画一化」というのは 食の文明化なんだろうかね。
 
 
 
 
 
(以下引用)
 
 
 

 揚げたてを提供する天ぷら定食専門店「まきの」が関西で人気を集めている。2013年10月にオープンした神戸三宮のセンタープラザ店は、昼どきともなると近隣のビジネスパーソンが並び、行列のできる店として評判だ。日本一長い大阪・天神橋筋商店街にある天神橋四丁目店も、地元客や観光客が来店し、大勢の客でにぎわう。天丼専門店のように狭い店内で1人黙々とご飯をかき込む雰囲気ではなく、家族や友人、同僚と会話しながら楽しく食事を楽しむ光景が印象的だ。

神戸三宮のセンタープラザ地下1階にある「まきのセンタープラザ店」はのれんだけの入りやすい店舗で、昼どきにはビジネスパーソンが並ぶ

神戸三宮のセンタープラザ地下1階にある「まきのセンタープラザ店」はのれんだけの入りやすい店舗で、昼どきにはビジネスパーソンが並ぶ

 運営するのは、うどんのファストフード業態「丸亀製麺」を展開するトリドール(本社神戸市)。基幹ブランドの丸亀製麺のほか、焼き鳥「とりどーる」など現在、国内に847店舗を展開する(2014年3月末時点)。2011年からは海外にも進出し、中国、タイなどに61店舗を出店。2014年6月に東京・神田錦町にオープンした「鹿屋アスリート食堂」にも資本参加している。

 その同社が丸亀製麺のビジネスモデルに近い天丼業態ではなく、天ぷら定食専門店を出店した狙いは何か。

「まきの天神橋4丁目店」。JR天満駅からも近く、近隣の住民や観光客らがひっきりなしに訪れる

「まきの天神橋4丁目店」。JR天満駅からも近く、近隣の住民や観光客らがひっきりなしに訪れる

 

 
 
(中略)
 
 

■「福岡の天ぷら定食文化」を丸亀製麺の次の柱に

 うどん業態で成功した同社が、天ぷら定食専門店を始めたきっかけは福岡・博多にあった。博多には昔から天ぷら定食の専門店が多く、地元の食文化として根付いている。客の目の前で揚げた熱々の天ぷらとご飯、味噌汁を650~700円と手ごろな価格で提供する専門店は幅広い客層から支持されている。イカの塩辛などテーブルに用意された取り放題の総菜も特徴だ。

 なかでも有名なのが「天ぷらひらお」。創業35年で県内に6店舗を展開。福岡空港に近い本店は地元客のみならず、出張族にも人気が高い。昼どきにはカウンター54席が常に満席状態で待合にも30~50人が並ぶ。

 

(中略)

 


 ただ、クリアすべき課題も多い。エビやイカなど海鮮系の食材価格が高騰し、利益を圧迫。値上げせずに食材の品質を維持するとなると、仕入れやメニューなどの工夫が必要だ。新メニューの開発も、常連客を飽きさせないためにも欠かせない。

天ぷらを揚げるタイミングまでコントロールできる人材の育成が課題。パート・アルバイト従業員を2~3カ月でプロの調理人に育てられるかどうかが今後の成長のカギ
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天ぷらを揚げるタイミングまでコントロールできる人材の育成が課題。パート・アルバイト従業員を2~3カ月でプロの調理人に育てられるかどうかが今後の成長のカギ

 最大の課題は、店舗オペレーションの構築。現状でも軌道に乗ってはいるが、数十店のチェーン展開をするには人材の育成が重要になってくる。標準店舗の場合、客席24~30席に対して正社員1人とパートナーと呼ぶパート・アルバイトを合わせて約25人を想定。丸亀製麺と同じく全店直営のため、パートナー主体のオペレーション確立が喫緊の課題だ。

 「セントラルキッチンで加工したものを使うのではなく、店舗で10人ものスタッフが手間ひまかけて作るのが同店のウリ。ただ天ぷらの場合、衣の固さを均一にするなど料理のクオリティーのコントロールが難しい。難度の高い技術が求められるが、プロの立ち振る舞いができるように教育していく。立ち上がりは3カ月かかったが、2カ月で育てられる体制を作りたい」と、尾関氏は話す。

 発祥地の福岡でも、揚げたて天ぷら専門店のチェーン化に成功した企業はいまだかつてない。原価とオペレーションの問題を克服し、天ぷら定食業態を全国に広めていけるか。挑戦は始まったばかりだ

 

(引用終わり ※日経トレンディネットより)

 

       
 
 
僕は沖縄と福岡をいったりきたりしながらの生活なんだけど そもそも天ぷら定食スタイルっていうのが 福岡発祥だってしらなかった。 他の地域でも こんなんだとおもってたんだよね。
 
 
で、次に なんで 他の地域ではないのか? っておもってたんだけど たぶんこれは天ぷらを気軽に定食スタイルでたべるという 「文化」が他の地域にないんだとおもってた。
 
 
つまり 他の地域でにひろがらないのは 「文化」がちがうからだとおもってたんだよね。
 
 
 
でも この引用の文をよんでみると 「文明」の問題だということがわかった。
 
 
 
チェーン展開すべく オペレーションを画一化するのは 天ぷらって難しいんだね。
 
 
 
たしかに 福岡でも天ぷら定食屋って、いっぱいあるけど せいぜい2号店とかまでで 何店舗もあるっていうのはないね。
 
 
 
 
 
 
 
文化の問題だとおもうと 「こことここは違う」っておもうので 違いに目がいくよね。
 
 
でも 文明の問題だとおもうと 「これとこれは同じだぞ」っておもえるので 同じものに目が行く。
 
 
 
ビジネスでも、映画や読書みたいなものでも 「多様性」を楽しむっていう視点もあるだろうし 「画一性」を追求するっていうのもあるだろうね。
 
 
 
 
 
だから どっちかに偏ってるな、、、っておもったら そこで 視点をかえて 「文化的活動」なのか「文明の追求」なのかを たちどまって かんがえてみると なにか新しい視点がうまれるのかもしれないね。
 
 
 
 
という 雑談でした、、、では また次回!
   

2014年8月29日 (金)

話し合いの効用

昨日のエントリーで  「生産性アップは成果ありき」って話ししたよね。

 
 
そうしないと 社員やスタッフの創意工夫ややる気をひきだせないって話をした。
 
 
じゃ 具体的にどうしたらいいのか?って、ことを今日は短めに話してみる。
 
 
 
 
結論からいうと、
 
 
「どうしたら いいか みんなで話し合いをもつ」
 
 
っていうのが答えなんだけどね。
 
 
 
 
 
 
どうしたら 成果をだして 生産性を向上することができるのか? という話をいろいろと話あうことで おもわぬ現場の意見がでてきたりすることもあるよ。
 
 
 
でも それより重要なのは ちゃんと「課題を共有する」って感覚なんだよね。
 
 
話し合いのなかで 現場は経営陣のかんがえていることや、リーダーの悩んでいることを理解できるんだよね。
 
 
 
 
そして 実はよくあるケースなんだけど 現場の 
 
 
 
「これに困っているのでなんとかしてほしい。もし それがクリアになれば もっとうまくいかせれるのに」
 
 
みたいな話がでてきたりするんだけど それが
 
 
 
「なーーんだ、そんなことなの?それならすぐできるよ」
 
 
なんてことがあるよ。
 
 
 
 
 
 
そういうことがあると 経営陣は 「あー もうちょっとコミュニケーションとっておくべきだったな」なんて話になったりする。
 
 
 
 
話し合いが 経営陣やリーダーのいいたいことを、ただ伝えるだけのものになったりすると逆効果だよ。
 
 
あくまで 「話し合い」。 だから 話し合わないといけないよ。
 
 
みんなをあつめて集団で説教したりする人とかいるけど まぁ そういう人は そういうレベルのものしか引き出せませんね。
 
 
 
いいたいことを伝えるってことが重要じゃなくて、「課題を共有する」っていうのが大切なんだよね。
 
 
 
 
結局 誰かの主張やかんがえを通すことが こういう場合の話し合いの目的じゃなくて 課題の共有が いちばんの効用なんだって 理解しておくことが重要なんだとおもうな。 
 
 
 
と、いうことで 今日は短めで、、、また次回!
 
 

 

2014年8月28日 (木)

こうしないと生産性はあがらない

IT関連の投資だったり 新しいやりかたやツールなんかは 当然「生産性の向上」をめざしているわけだけど 

 
 
「生産性があがったか どうか?」
 
 
が 人員が減ったとか 人件費が減ったって いう評価のしかたをするけど ちょっと気をつけないといけないところだとおもう。
 
 
 
 
(以下 引用)
 
 
 
 
 

地方でも人手不足は深刻

人手不足を乗り越えるには、やはり給与を上げないといけないということですね。

友田:この佐賀県でも人手不足は深刻化し始めています。この点からも給与を上げていかないといけません。これはあくまでも会社からの視点ですが、一方で社員の生活という視点からしても、給料は上がった方がいいに決まっています。この2年間、努力してきましたが、自分が現場を回って見ても、まだ生産性が高いと言える状況にはなく、改善できることはたくさんあります。

 「給料をまだまだ上げられるのに」「まだ自分達には知恵が足りない」「動きに無駄が多い」――。このように、毎日“もう少し何とかなるのではないか”と考えながら現場に臨んでいます。

 今のトワードは無駄なことをたくさんやっていて、給料をみんなで薄く分かち合っているだけなのです。もっと無駄をなくせば、もっと給料を出せるということです。

 このような努力を続けて、社員達の給料をまず10%は上げていきたい。パートさんたちの給料も同じように上げないといけません。現場の社員達はパートさんをできるだけ安い賃金で募集しようとしますが、長く働いてくれれば習熟度も上がります。ミスが減っていけば、生産性がどんどん上がり、高い給料を出しても、会社はむしろ得することになります。

給料を上げた方が会社は“得する”という感覚を、経営者が持てるかどうか、と言うことですね。

友田:会社として大事なことは、“経費が下がること”です。その1つである人件費が、結果として下がればいい。つまり、これまで以上の成果さえ出してくれれば、給料がこれまで以上に高くても構わないはずです。少ない人数で働いた方が1人ひとりの分け前が大きいということで、現場の部門長たちが「人が足りない」と言っているうちは給料が上がるはずがないのです。

(引用終わり ※日経ビジネスオンラインより)

 

 

 

 

この記事 とても興味深いので ぜひ観てほしいんだけど 佐賀県の運送会社なんだよね。

 

社長は ずいぶんはやい時期から IT投資なんかをやっていて、、、なんてきくと ずいぶん洗練された社長だとおもうけど ぜんぜん ふつうの おっちゃんなんだよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Img_02_2

 

 

 

ねっ(笑)

 

でも 引用した文章よんでもらうとわかるんだけど すごく本質をついているんだよね。

 

たぶん ちゃんと自分自身で試行錯誤して たどり着いたんだとおもう。 凄いよ。

 

 

 

生産性向上の本質って何か?

 

 

 

 

それは 成果をあげることだよ。

 

 

つまり、

「生産性をあげるための投資や新しいツールやくふう」→「今いる人が 同じ人数なのにもっと成果がでるようになる」 → 「結果的に すくない人数で多くの成果がでている」 → 「生産性アップ!」

 

っていうのが 本来の順番だよね。

 

 

でも 経営者や管理職のよくある間違いは、

 

「生産性をあげるための投資や新しいツールやくふう」→「今より 人数を削減」 → 「すくない人数で今とおなじ成果になる」 → 「生産性アップ!」

 

って おもってしまうんだよね。

 

つまり 削減 ありき っておもってしまうんだよね。

 

これでは 働いているチームや スタッフ個人の 創意工夫ややる気をひきだすことが できないよ。だって うまくやれば 自分が減らされるか 今より少ない人数で同じことを要求されるか だからね。

 

本来は 成果があがること ありき だよ。 今より もっとうまくいかせても 同じ人数で大丈夫なようにすることが 「生産性向上」の活動だよ。

 

 

だから 先にかんがえないといけないのは コスト削減ではなくて もっと成果がでる方法をかんがえることが 生産性向上の考察の第1歩なんだよね。

 

 

ここを 間違えてはいけないよ。

 

 

この社長は よくわかっている発言だよね。 でも こういうのわからない経営者や管理職ってものすごくいっぱいいるんだけどね。

 

 

と、いうことで また次回!

2014年8月27日 (水)

ビジョンをつくろうよ、ビジョンを!

「ビジョンをつくる」って話しはよくでてくるんだけど そもそもなんでビジョンをつくってそれを明確にせよ!とかいわれるんだろうか?

 
 
 
僕は コーチングのクライアントさんと話しをしていると いつのまにか「ビジョン」の話しになるんだよね。
 
 
 
「ビジョンを明確にする」っていうのは なかなか大変で 「私のビジョンは明確です」っていう人でも 聞いてみると「???」ってケースはよくある。
 
 
 
そもそも ビジョンって何か?というと 
 
「1年から5年後くらいまでに 達成していたいこと」
 
 
みたいにかんがえると わかりやすい。
 
 
 
だから 「目標」っていってもいいんだけど まぁ 定性的、定量的目標がどっちもはいったものみたいな感じだね。
 
 
 
 
 
 
たとえば 「3年後までに 日本で1番のノートをつくるメーカーになる」とかだね(なんで ノートやねん)
 
 
 
3年とか 1番売れる とか数字が入るフレーズなので 定量的にはかれるようにおもうけど そもそも 1番のノートっていうのが定義されていないので 何をもって1番なのか? というのがよくわからない。
 
 
たぶん どれかなんかなんでもいいから 「何かが1番」のノートを3年以内につくろうってことだとおもうので まぁ 定性的といえなくもない。
 
 
 
 
これは 一見 明確なビジョンにみえるけど ある意味あいまいだよね。
 
 
だから 目標っていうのとは ちょっと違うかんじがするよね。
 
 
目標のニュアンスは 「必ず達成しないといけないもの」ってかんじがするよね。
 
 
 
 
うーーん。
 
 
 
だとすると 「ビジョン」をつくる目的ってなんなんだろうか?
 
 
目標なら 「今年は昨年より10%アップ」とか 間違いようがないものなんだけど 微妙にあいまいなビジョンって、なんのために必要なんだろうか?
 
 
 
 
 
 
 
それは 1対1のかかわり、、、っていうより 1対複数、、、つまり 集団だったり 組織だったりを導いていく「旗」みたいなものなんだよね。
 
 
 
 
 
 
たとえば 何かA案かB案か、会議で迷ったとする。
 
 
どっちにも メリット デメリットが五分五分で しかもそれぞれを支持する人も半々だとする。
 
 
その時 社長なり、リーダーなりが決断するときのよりどころの1つが
 
 
「日本で1番のノートをつくる会社にふさわしい案は A案かB案か?」 
 
という問いかけになる。
 
 
 
 
 
そうすると リーダーの好きな方とか嫌いな方とか関係なく 「ビジョンにふさわしいものはどちらか?」という議論ができる。
 
 
 
 
 
ビジョンを明確にせよ というのは そうかんがえると 
 
 
「厳密なビジョンをつくれ」 
 
 
 
ということではなく
 
 
 
「ビジョンとはこれだ」 
 
 
ということを 明確にせよ というふうにいったほうがわかりやすいね。
 
 
 
 
 
 
だから 結局 組織とか会社とかのリーダーは ごく自然に「ビジョン」を語らないと 自分の好き嫌いでうごかしているようにみえるので うまくいかなくなる。
 
 
 
なので 「ビジョン」というものは ある一定以上の人数になると 必ず必要なもので そうでないと 集団はなにを目指すのかわからなくなってくる。
 
 
 
 
うん。
 
 
 
 
個人にとって 重要ってよりも 組織にとって重要なものなんだろうね。
 
もちろん 個人にとってもパワフルだけどね。
 
 
 
と、いうことで また次回!
 
 
 

 

2014年8月26日 (火)

決断を正しいものにする(あまり面白くない話)

僕の知りあいで 経営者なんだけど 本当に「決断」しない人がいる。

 
 
おかげで いろんなことが直前まで決まらなくて 人もお金(見えるお金や見えないお金)もなにもかも 凄くロスしているんだけど とりあえずなんとか乗りきっているので(いや、本当は乗りきってないのかもしれないけど) 依然として 決断しないのがクセになっているみたい。
 
 
昨日は 経営者の決断の失敗 について ちょっと話したけど 決断できないのはなぜ?なんだろうか。
 
 
 
もちろん いちばんは「過去の(悪しき)経験」から 決断がなかなかされないっていうことがあるんだとおもう。サンクコストを理解してないわけだ。これはまぁよくあるケース。
 
 
 
たぶん 決断するシステムというか、メカニズムというのが じぶんの中にできていないんだとおもう。
 
 
 
つまり 決めるときのルール っていうのがないんだとおもうな。
 
 
 
大抵の人はなんらかの制約条件がルールになるよね。
 
 
たとえば 時間だったり お金だったり 好き嫌いだったり。
 
 
だから 「今日が締め切りでコレ以上は迷惑がかかる」ってなれば それまでに決断しないといけないし 1万円しか 手持ちがなかったら そのお金の範囲で買うしかない。
 
 
 
 
でも その人って それでもぜんぜん決断しないんだよね。
 
そういうルール、、、もしくはモラルがとても弱いんだとおもう。
 
 
 
一般的にデッドラインだったり 制約条件だったりがあるわけで それを超えれば ものすごいデメリットがでるわけだから それを守ったほうが ビジネス的にはコストをおさえることができる。
 
 
つまり ちゃんと締め切りまもったほうが 結局はローコストだということだね。
 
 
 
 
重要なのは よい決断をすることではなくて さまざまな条件のなかで 決断したこをうまくいかせることだよね。正しい決断なんてなくて 決断を正しいものにしていかないといけない。
 
 
 
 
、、、なんて 偉そうなこといってるけど 自分で自分に説教しているみたいだな。
 
 
 
今日は なんだか 教条的な話しでおもしろくないけど このへんで、、、
 
 
また次回!
 
 

2014年8月25日 (月)

「大失態」を回避する方法

僕が、かかわっているクライアントさんは 地方なので 地場大手もしくは中小企業なので 日常的に 経営者とはなすことがおおい。

 
 
いろんな わけかたがあるとおもうけど 経営者の仕事とはなにか? っていうと
 
 
「戦略」 「ファイナンス」 「人材」
 
の3つについて 方針をきめて実行するっていうのが、柱だとおもう。
 
 
で、この3つのうちのどれかか あるいは 2つぐらいはいつも気にしているんだけど 3つとも バランスよくかんがえて しかも実行されている会社って なかなかない。
 
 
経営者にも好みがあって ファイナンスが好きな人 戦略が好きな人 はたまた 人材と戦略は熱心なんだけど ファイナンスは せいぜい税理士事務所の担当者と話しする程度 なんてかんじだったりする。
 
 
まぁ だから僕なんかの外部の人間が活躍(暗躍?)するよちがでるんだけど あるていどの規模の会社になれば 「現場」との距離っていうのはどうしてもでてしまう。
 
 
重要なのは 距離をなくすことではなくて 距離をみとめつつも どうやってマネージするか?ってことになるんだけど 大手企業の経営者の2つの対比がおもしろかったので ちょっと比較してみる。
 
 
 
 
 
 
 

■混乱のマック本社

 「30年以上、マクドナルドで働いているが、こんなにお粗末な失態は初めてだ」。京都府の店舗オーナーは呆れた口調で語った。

 8月20日、日本マクドナルドは、料金の過剰徴収を発表した。18日から「マックウィング」と「豆腐しんじょナゲット」を通常の半額程度の120円に値下げした。ところが、150円で販売する店が続出、全3135店の8割以上にあたる2583店で過剰請求が起きていた。

 背景にはマクドナルド本社の迷走がある。キャンペーン開始のわずか3日前に価格を150円から120円に変更する。だが、本社が一括管理しているレジの修正が間に合わず、120円と150円の2つのボタンが混在してしまった。しかも、190円のクーポン券がすでに配布されていた。 

(中略)

■カサノバ会見の影響

 「チキンを買ってくれたお客さんには、おじぎの角度を10度深くしろ」。神奈川県の店長は、そう指導している。背景には、社長兼最高経営責任者(CEO)のサラ・カサノバへの批判が込められていた。

決算発表会見で記者の質問に答える日本マクドナルドホールディングスのサラ・カサノバ社長兼CEO(7月29日午後、東京都中央区)
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決算発表会見で記者の質問に答える日本マクドナルドホールディングスのサラ・カサノバ社長兼CEO(7月29日午後、東京都中央区)

 7月22日、中国の期限切れ食肉事件が日本でも大きく報じられると、翌日には供給を受けていたファミリーマートの社長が陳謝した。ところが、カサノバは会見を開かず、1週間後の中間決算発表の場で、冒頭に謝罪の言葉を読み上げた。しかも、事件に「憤りを感じる」と被害者としての発言を繰り返す。「この件は1つの地区の、1つの工場による数人の悪意を持った従業員による行動。他のサプライヤーには当てはまらない」。そう言って不快感を露わにした。

 「日本の消費者の気持ちをまったく考えていない。もし、店長が彼女のような態度をとったら、絶対にクレームがつく」(神奈川県の店長)

(引用終わり)

   
 
 
これはなかなか興味深い。
 
 
大手企業であれば 現場と経営陣の温度差ってかならずできるわけだけど マクドナルドのケースの この激しい温度差の理由は2つあるとおもう。
 
1 経営陣の「戦略」のまちがいによる業績の悪化
 
 
2 経営陣の対応のまずさによる現場の混乱とそれによる業績の悪化
 
 
という 要するに 現場がすべて100%うまくやっていたとしても あきらかに 「経営陣による大失態」によって業績がわるくなっているところが明白なところだよね。
 
 
また 「こんな経営陣なら業績は厳しい」ということで 株価やファンドも厳しい目になるだろうし 外部や新卒で優秀な人材は なかなか志望しないとおもう。
 
 
 
 
 
 
一方でまた別の例
 
 
 
 
 
 
 
 

社外取締役は経営陣にモノ言う役割

 

ローソンの経営では社外取締役がどう機能したのでしょうか。

新浪:ローソンでは社外取締役しか私に文句を言いませんでした。これは、文句を言ってくれる人を社外取締役に選んでいるからでもありますが。例えば奥谷禮子さん(ザ・アール社長)は投資案件について全て反対します。全てですよ(笑)。

(中略)

ケンタッキーでは店舗を抜き打ち検査

2001年に日本ケンタッキーの社外取締役に初めて就きました。印象に残っている場面はありますか。

新浪:良い時に手を打つというのはなかなか難しいんです。社外取締役の活躍の場は、悪くなってくる時に結構ある。従って、その予兆がわかれば一番いいんでしょうね。予兆というのは、世の中の大きな流れ、変化、そういったものです。色々な社外取締役がいることによって、その企業が本当に大丈夫かを見ていくということです。

 例えば、マクロ的に人口が減る中、人口が増えるようなプランを前提に作っていてはおかしいじゃないかと。こういうような話は色々ある。

 それでもやれる方法があるならば、説得材料を求める。マクロの大きなピクチャーの中で違う方向をやることは過去にもあったのですが、そこには社外取締役が理解できる理由がちゃんとないといけない。社外取締役は経営陣が大きく前向きに踏み出す時は、なるべくできる環境を作ってあげたいとは思います。しかし、株主の代表として、納得もしなければならない。

 その一方で、悪くなってきた時にどういう手を打つのか。その時には社外取締役は相当モノを言っていく必要があるなと思うわけです。ケンタッキーの時は、何でそんなに収益が悪くなったんだと。僕の場合は、現場まで行って色々勉強しましたよ。店舗に行き、何で売り上げが落ちているかを調べて回りました。当時、まだ三菱商事の部長職でしたから時間があったので、一般論とは言えないかもしれませんが。

 業績が下がってきた時にどうするかというのは、社外取締役同士が相当議論しなきゃいけないところです。それを放置するわけにはいかない。このままいっちゃうと、ずっと右に下がってしまう。何をしていったらいいのかを、経営陣と真剣に話さないといけない。

 ですから、社外取締役の大変さは、業績が落ちてきたときですよね。予測できればいいんですけれども、なかなか難しいわけですし。今まではどちらかと言えば、デフレの中で業績が悪くなったケースが多いので、どう歯止めをかけるか、コストカット、間接費はどうかといったチェックがあったと思う。ただ、今後はデフレ脱却すると企業が積極的に動きますから、違う議論になるかもしれません。

(引用終わり)

   
 
もはや 日本のスター経営者になりつつある 新浪氏なんだけど ここでは 社外取締役が いちばん文句をいう役割で しかも相当 てごわい文句をいう人にならないといけない、、、って話しだね。
 
 
 
わざと対立軸を 自分で用意して それによって戦略の検討をするわけだよね。
 
 
こういう見識っていうのは やっぱりオーナー経営者には なかなかできない発想だよね。
 
 
おかげで 経営陣の「戦略」についての失敗は かなり回避できるかもしれないよね。
 
 
逆に おもいきった戦略はとりづらいだろうけどね。
 
 
 
 
マクドナルドは経営陣の大失態で、大きく業績をおとした。
 
いっぽう ローソンの新浪氏は 社外取締役をうまくとりいれて 経営陣の失態を回避してきた。
 
 
 
これは 大手企業だけじゃなくて 中小企業、、、もっというと 1個人であっても
 
「自分を 厳しく批判してくれる存在」 
 
を自分でつくっていくっていうのは 大きな決断をするときは重要だとおもうな。
 
 
 
戦略的な失敗って ほかでとりかえせないからね。
 
 
 
と、いうことで また次回!
 

2014年8月24日 (日)

魅力ある人物には気をつけよう!

今日は日曜日なので 雑談でいきますね。

 
 
 
僕が高校生から大学生のころって ちょうど「バブル期」で そのあとバブルがはじけたんだよね。
 
 
そのころの雰囲気ってよくおぼえてるんだけど 「バブルがはじけた!」っていうのは その日をさかいに 世の中が一斉にくらくなるんじゃなくて 依然として
 
 
「いやいやいや、日本経済はまだまだだよ」
 
 
みたいな人なんかも たくさんいて 何年かたって ほとんどの人が不景気を実感して 「あぁ あの年がバブルがはじけたときなのか」ってわかる、、、ってかんじだったよ。
 
だから 何年かたてば なくなってしまうような会社や業界が そのときでさえ 「まだまだ ウチは大丈夫!」っていってた場合もある。
 
 
その業界のひとつが 百貨店業界、、、デパートだとおもう。
 
沖縄でも 沖縄三越が閉店してしまうけど 先日 そごうの元会長 水島氏が ひっそりとなくなっていたってニュースが流れたんだよね。
 
 
その水島氏の追悼の記事が 日経BPのサイトにでてるんだけど これがなかなか興味深い。
 
 
追悼記事は 2000年4月17日の記事なんだよね。
 
 
ちなみに だいたいバブル崩壊の体感時期っていうのは 1993年~1998年くらいって言っている人もおおいから 世の中は だいたいの人が 「不景気だな」って実感しているころの記事だね。
 
 
 
 
 
 
 
 (以下 引用)

放漫経営していない、債務免除は当然

 確かに今そごうは苦しいですよ。しかし、そごうグループが売上高1兆2000億円に達し、百貨店業界のトップに立ったこともあるのです。今から10年後、いや7~8年後でしょうか、景気がよくなった時のことを考えてごらんなさい。1兆円の売上高が2~3%伸びるだけで、200億~300億円の現金が入ってきます。実際に売上高が2%でも伸びていれば、銀行に頭を下げなくても済みました。

 私は「景気がもう少し回復したら」と言って、そごうを去っていきます。しかし将来、景気が回復して、そごうが芽を吹いた時に、その売上高を可能にしたのは誰なのか、施設は誰が造ったのか、そごうを日本一の百貨店にしたのは誰か、問い直される日が必ず来ますよ。27店舗のうち5店舗は撤退することになりましたが、再び日本一を狙うのは夢ではありません。法人は死せず、なんですから。

 私は、大阪、神戸、東京の3店舗しかなかったそごうを、30年余りで国内だけでも30店にまで増やしました。三越や高島屋は何百年かかって十数店だけしか店舗を構えていません。よその百貨店は雇われ重役ですから、借金してまで店を増やそうとすると社内の反発を受けます。でも借金をしないから売上高は増えません。

(引用終わり)

   
 
 
なかなか発言がすごいよね。 
 
 
これはさっきいったように 2000年4月の記事なんだけど やるきマンマンの発言なんだけど そごうは この3ヶ月後の7月に 民事再生法を申請して 破綻するんだよね。
 
 
そして そのあと西武百貨店と経営統合する。
 
 
で、2005年には その経営統合した会社を、セブン&アイグループが買収するんだよね。
 
 
つまり この強気の発言は まったく実らなかったってことだね。
 
 
 
でも この水島氏って すごく 影響力をもつ 人身把握術にたけた人だったらしい。
 
 
 
 
 
(以下 引用)
 

こうした広く深い人脈を築くことができたのは、水島の性格によるところが大きかったという。

 「人心掌握術にかけては天才的なものがある」(元そごう幹部)。社内でもいまだに水島に心酔する社員が多い。

 急成長しても驕った様子を見せず、腰も低い。部下にも「さん」づけで話し、注意するときは直接言わずに人を介して伝える。大好きな相撲を観戦しないのも、「枡席に座っている社長がテレビに映ってしまったら、社員がどう感じるか」と案ずるからだという。カネを貸しても、自分から返済を迫らない。「カネを借りる人は、苦しくて困っている」と、じっと我慢する。

 こうした姿勢が、社内に「水島教団」とも言える独特の雰囲気を作りだした。冒頭の会見のように、はたからは異様に聞こえる水島擁護の発言が出てくるのも、こうした背景があるからだ。

 社内ばかりではない。アパレル大手の東京スタイル社長、高野義雄は、「そごうに万一のことがあって損失を被っても、恨むようなことはない」と言い切る。

 高野も水島に惚れ込んでいる1人なのだ。75年のこと。株式公開を控えて増資を目論む高野は、取引先に引き受けを頼んで回った。「値段が高い」と渋る百貨店トップもいる中で、水島は開口一番、こう言った。

 「君が社長なら会社は必ず成長する。いくらでも引き受けますよ」

 この時の感動は、高野の脳裏に深く焼き付いている。その後も、高野の父親が亡くなった時、水島は部下を引き連れて甲府での葬儀に参列した。

 そごうと水島は崖っぷちに立たされている。だが、彼を守ろうとする社内外の信奉者たちはいまだに数多くいる。

 この異様な状態こそ、そごうを急成長させた一方で、今日の存亡の危機を招いた真因だと言える。いつしか、水島廣雄と彼の経営は神格化された。そして水島の後をひた走る人々は、ついに引き返せない瀬戸際まで追い込まれてしまった。

(引用 終わり)

     
 
 
つまり この人って もの凄く慕われて 魅力のある人だったんだね。
 
 
だから 誰も反論ができなかったんだね。
 
 
これは なるほど!っておもうし 怖い話しだよね。
 
 
 
実績や実力があって 魅力がない人は 正しいかぎりは みんないうことはきくんだろうね。 だって 実際にうまくいってるわけだから。
 
 
だけど 実績や実力があるし しかも 魅力もある人っていうのは 間違ったとき それに 「間違っているのではないか?」ということが できない状態になるってことだね。
 
 
 
これは 逆説的で怖いはなしだね。
 
 
 
 
魅力があって 実績がある人に 文句いうことは難しいよね。
 
 
 
だから もしそういう人が 危機管理的なリーダーだったりすると 間違っても誰も文句いわない可能性があるってことは 組織としてかんがえておかないといけないってことだね。
 
 
ここがとても興味深くおもったところだよ。
 
 
魅力ある人物っていうのは その人に問題があるってわけじゃないけど 存在そのものが すごいので 魅力ある人だからこそ 間違えるおとしあながあるってことかもね。
 
 
 
と、いうことで また次回!
 

2014年8月23日 (土)

あまり知られていない「ほめる会話」をする本当の理由

以前から コーチングで 「褒めること」というのが やる気をひきだす、、、のような話しがあるんだけど 今日はちょっとこのあたりの話しをしてみる。

 
 
 
 
 
昔 僕が 上司でいて 部下がのびたケースっていうのは 共通点があった。
 
 
それは 
 
 
「自己理解ができるようになった。あるいは 自己理解をしようとしている」
 
 
っていう共通点があったんだよね。
 
 
自分自身が他の人からどうみられているのか? ということを理解したり あるいは 理解しようとしはじめると 成長というか成果がでることがおおかったんだよね。
 
 
 
たぶん これは
 
 
あまりみたくない自分自身の弱みを直視しないといけない
 
 
それほど価値をおいていないし、場合によっては嫌いな自分の強みを活かさないといけないことになる
 
 
自分がまわりにどんな影響をあたえているか?をかんがえることで 「まわりが悪い、会社が問題」みたいなところから「自分自身が変化することで、まわりによい影響をあたえることができる」という 「他責」から「自責」へと変化せざるをえなくなる
 
 
実際に成果がでたりすると 「やはり自分に問題があった」という証明になり 今後も自分にいいわけできなくなる
 
 
などがおこるからだとおもったよ。
 
 
 
 
 
 
つまり 自己理解、ほかの人からどうみられているか? のようなものを、みつめるのは とても勇気がいるし 嫌なことなんだね。
 
だから 伸び悩んでいる人は、自己理解を拒んでいるんだよね。
 
 
 
 
実際 はためからみると、たいしたことがないようにおもえるけど 本人が自己理解するのはとても 大変だし、勇気がいるんだとおもう。
 
 
 
 
 
この 自分自身の姿、、、他の人からどうみられているのか? という評価だったり 印象だったりっていうのは とてもつたえにくい。
 
 
誰かから 「あなたはここが問題だ」とかいわれることって、正しくてもいうことを聞く気にはなれないよね。
 
 
だから 伸び悩んでいる部下なんかに 「ここが問題だ」みたいな 本当のこといっても意味がないんだよね。むしろ かたくなになるだけで 効果がない。
 
 
 
 
 
 
そこで 「褒める」ってはなしだよ。
 
 
 
 
 
だから 褒めたり 認めたり っていう会話のなかで 
 
 
「この人の話しをきいてもいいかな」
 
 
「この人のまえだったら 正直に自分の弱いところを話してもいいかな」
 
 
とかっておもえてくるんだとおもう。
 
 
 
 
 
そこで はじめて 自己理解につながる会話ができるようになってくるんだとおもう。
 
 
やっと 本質的な相談ができる相手になるわけだよね。
 
 
相談できる相手って部下が認識してもらえば とても話しがしやすい 結果的に自己理解がすすむので課題が明確になるよね。だから、伸びやすいよね。
 
 
 
 
 
つまり 「褒める」とか「認める」っていうのは わりと技術的な問題で その目的は
 
 
 
「自分自身が目指すすがたは何か?」 
 
「自分の強みをどう活かして成果をあげるか?」
 
「自分があたえている影響をどうしていくのか?」
 
 
みたいな 本質的な問いかけが できるようになるための 誘い水や刺激みたいなものだとおもう。
 
 
 
 
 
なぜ?褒める、認める会話をしないといけないのか? というと 
 
 
「自分自身のことを 率直に話しができるようにするため」
 
ってことなのかもしれないね。
 
 
 
 
 
 
それによって 自己理解がすすみ 能力が伸びることがおおいってことだね。
 
 
 
と、いうことで また次回!
 
 

2014年8月22日 (金)

何もできないし、したがって何もしない

今日も 雑談でかんたんに話ししてみるね。 雑談なんだけど わりときになっていることなんだけどね。

 
 
僕は「コーチング」っていう手法をつかっているんだけど 実質僕はコンサルタントみたいなもので だから 変ないいかただけど
 
「コーチングをつかう コンサルタント」
 
みたいな かんじになってる。
 
 
なので わりとイメージとしては 「こまったことを解決してくれる人」みたいに クライアント企業の社員さんなんかにおもわれていることもおおい。
 
 
 
 
 
 
ただ いつもおもうんだけど 僕は何もしてないんだよね。本当になにもしていない。
 
 
 
 
だいいち 僕には何かをする権限がそもそもないので なにかをしようにもできないんだよね。
 
 
 
 
なので 問題が解決されるのは その会社の人が自分で、解決するわけだよね。あたりまえだ。
 
 
 
 
 
じゃ 僕が何をしているのか? というと
 
 
「どうやったら その人が問題を解決できるのかを いっしょにかんがえている」
 
 
ってことだとおもう。
 
 
 
 
 
これは わりと「コーチング」の正統的なプロセスだよ。
 
 
一部で誤解があるのが なんか「やる気」をださせる会話だけやってて勇気づけとか、褒めたりとか そういうことをやることだっておもわれてたりするんだけど それは結果的にそうなるんだとおもう。そりゃ 自分で問題が解決できる方法がわかれば 誰だってやる気はでるよね?
 
 
 
そこで もちろん 僕の知識だったり 経験からわかることについては アドバイスすることもあるし 僕がわかっててもかんがえてもらうこともあるよ。
 
 
 
 
ただ それでも けっきょく 究極的には
 
 
「どうやったら その人が問題を解決できるのかを いっしょにかんがえている」
 
 
って状態はかわらないよ。
 
 
 
 
なぜなら なんかいもいってるけど 僕には権限がないから。 そして 権限がないのは責任がとれないので。
 
 
 
だから 専門的なこと意外は 基本的に外部の人間としては ああしろこうしろ とはいえないんだとおもう。
 
 
それは 僕がコーチングをつかってるから、、、とうことではなくて アドバイザーやコンサルタントでも。
 
 
 
 
 
いや。
 
 
 
 
たぶん 親とか学校の先生とかでも、基本的にはおなじだとおもうんだよね。
 
 
 
 
だから 「これがただしい方法だから、こうしたほうがいい」 というスタンスではなくて、
 
 
 
「どうやったら その人が問題を解決できるのかを いっしょにかんがえている」
 
 
 
ってスタンスでないと うまくいかないとおもうな。
 
 
 
だから けっきょくのところ 僕は今後も何もできないし なにもやらないよ。そうすべきなんだね。
 
 
 
あらためて 今日もそういうことをかんがえていましたよ。
 
 
 
では、また次回!
 
 
 
 

2014年8月21日 (木)

新しくビジネスをはじめるときに必要な「たったひとつのシンプルな質問」とは?

今日は(も?) ちょっとだけ 最近きづいたことを話してみるね。

 
 
これも ある方と新規事業について、ミーティングしていたときなんだけど 「こういうかたちで ビジネスをやっていこうとおもう」って話しをきいていたんだよね。
 
 
まぁ よくある話しだよね。 
 
 
僕はそこで 新しく事業をやる人とかお店を開こうとしている人に必ず聞く質問をしてみたんだよ。
 
 
 
 
 
正直 絶句していたんだよね。
 
 
 
 
 
だから 僕は 「この質問に答えられなければ 新しく事業をやるのはちょっとどうかとおもう」のような話しをした。
 
 
 
 
 
 
その質問とは?
 
 
 
 
 
 
すごく 簡単な質問です。
 
 
 
 
 
 
 
「なぜ 今まで 誰も それを(ここで)やらなかったんでしょうか?」
 
 
 
 
 
という質問だよ。
 
 
 
 
 
これに しっかり答えられなければ そのビジネスはかなり危ないですよ。
 
 
 
 
 
たとえば 関東で沖縄そばのチェーンをやろうとおもったとします。
 
 
なぜ? やろうとおもったのか。 
 
 
「沖縄料理の店はすこしあるけど、沖縄そば専門店はないし しかもチェーンなんて まったくないので やろうとおもった。」 
 
 
なんて 答えがかえってきたりする。
 
 
 
これは 「なぜ いままで誰も関東で沖縄そばのチェーンをやらなかったのか?」と聞かれたときに
 
「誰もおもいつかなかったから」
 
 
という答えとかだと、まったく話しにならない。
 
 
 
 
 
これは 世の中の人はみんな自分以下の馬鹿者ばっかりだ といっているのと同じだよね。「こんなこと おもいつくのは俺だけだ!」みたいなね。
 
 
 
 
 
 
そこで
 
「誰もやらなかったのは ××という条件をいままではクリアできなかったから。 それを 自分たちは「コレができる」ので だからうまくいくとおもっている」
 
 
っていうのであれば その「コレ」が革新的なものだったり なるほどっておもえるものであれば うまくいく可能性は高まるよね。もちろんそれだけで、うまくいくわけはないけど。
 
 
 
 
ただ さっきの
 
 
「なぜ 今まで 誰も それを(ここで)やらなかったんでしょうか?」
 
 
に 答えられなかったり 「誰もおもいつかなかったから」「誰もチャレンジしなかったから」とかだと かなり難しいよね。
 
 
もちろん 「誰もおもいつかなかった」って本当におもうなら 小さくためしにやってみるのはありかもね。
 
 
 
 
と、いうことで また次回!
 
 
 

2014年8月20日 (水)

新しい人を採用するときの「問いかけ」とは?

以前に ミーティングしていたときに 興味深い話しがあったので ちょっと話してみるね。

 
 
 
 
あたらしく人を採用しようとしていたんだけど そこですこし話をしたんだよね。
 
 
僕が 「どんな人を採用しようとしているんですか?」ってきいたら
 
 
「今回は 優秀な人を採用したい。いい人を採用したい」
 
って話しになったんだよね。
 
 
「いい人ってどんな人なんですか?」ってきいたら
 
 
「やっぱり 真面目で できれば 能力が高い人がいい。でも人間性重視で」
 
 
って話しだった。
 
 
 
 
 
あぁ なるほどね、、、っておもったよ。
 
 
 
 
 
 
採用のときって こういうケースおおいんだよね。
 
 
 
これは どういう人材が欲しいのか明確になってないケースのようにみえるよね。
 
 
もちろん そうなんだけど 本質的には その会社のビジョンが明確でないってことだよ。
 
 
 
おおげさに 「ビジョン」っていわなくても すくなくとも 組織をどうしていきたいのか? っていうのを だいたい決めておかないといけない。
 
 
 
 
「どういう人を採用したいですか?」
 
 
 
 
っていう問いかけも よくないんだよね(って 僕が聞いたんだけど)
 
 
 
「採用する人によって 会社にどんなインパクトをあたえたいですか?」 
 
「新しく人が入ることで 組織がどんなふうに変わればいいですか?」
 
 
みたいな 「その人がどんな影響をあたえるのか?」っていうことをかんがえれるような質問にするといいよね。
 
 
そして これは 慎重に検討する必要があるよ。
 
 
 
 
 
 
これは ある会社であったことなんだけど その会社のカラーとはまったく違う人を採用したケースがあったんだよね。
 
 
そのねらいは 「ちょっと 変わった人を入れて 組織に変化をもたらしたい」ってことだったらしいんだけどね。
 
 
 
 
結果どうなったか?
 
 
 
 
変化はたしかにおこった。 しかし、非常にまずい形で。
 
はっきりいえば 非常にめんどうな人間関係になって あたらしく入った人は病院にまでいく事態になって けっきょく辞めてしまった。
 
 
そのあとも 退職者がでたりして 混乱はかなりつづいたってことだったよ。
 
 
 
 
これもよく、間違えるケースなんだけど
 
 
「変わった人が 組織に変革をもたらすわけではない」
 
 
って あたりまえのケースだよ。 
 
 
 
 
組織にインパクトをあたえるのは 必ずしもインパクトがある人ではないんだよね。だから その人自身がどういう変化をおこすのか よくみる必要があるよ。
 
 
 
 
 
 
 
採用のときには どんな組織にしたいのか?っていうのは 明確にしておくのが望ましいよ。
 
 
そして その時に 「新しい人が入ることでどんな影響を期待するのか?」って問いかけると どんな人を採用すればいいのか くっきりしてくるよ。
 
 
 
 
 
という話しでした、、、では また次回!
 
 
 
 

2014年8月19日 (火)

コーチングの歴史(というか流れ)

コーチングの歴史について すこし 備忘録的に話しておきたいので。

 
 
 
 
コーチングの歴史 そのものもいろんなこと言ってる人がいるよね。 
 
これは なかなか面白くて ある種の批判をしている人がいたりするんだけど 日本でもコーチングを広めた人たちとかと 直接話しをきいたり その変遷みたいなものを多少しってる 僕としては 正直 批判はとんちんかんなものにおもえるね。
 
 
なんらかの 深い意図や策略があったのでは? という勘ぐりがあったりするみたいだけど 結論から言うと 戦略はあったんだろうけど 「策略」みたいなものは あんまりないとおもう。
 
 
と、いうか 「コーチングは これはおかしいじゃないか!」って 主張している人がいたりするけど そういうのって わりと 
 
 
 「あぁ たぶん それは あの人が 適当にあんまり考えてないまま本にかいたんだとおもうな。そんな ちょっと抜けた人だから」
 
 
 
というのが 実情だったりするので 「策略」ができるほどの もの凄い能力があったようにはおもえない。
 
 
コーチングの第一人者的な人も まぁ そんなもんといえば そんなもんで かんがえてみれば たんなるふつうの人です。
 
 
 
 
 
 
で 肝心の歴史なんだけど 「コーチングのすべて――その成り立ち・流派・理論から実践の指針まで」 って本に わりと簡潔にかかれているので そこから 引用とかしながら。
 
 
 
 
【1988年】トマスレナードが 「デザイン・ユア・ライフ」というセミナーコースをはじめる
 
 
アメリカのトマスレナードという いまでいうところのファイナンシャルプランナー的な仕事をやっていて お客さんが 実は財務のアドバイス以上のものをもとめていることに気づいて それで いろいろこの人が研究したものを まとめてセミナーにしたのが これらしい。
 
 
この次の年に「カレッジ・フォー・ユアライフ」っていうセミナーコースをはじめたらしいんだけど これからわかるように 最初は
 
「FPが、個人の生活をよりよくするために はじめたライフプランニングのセミナー」
 
 
が 最初っぽいね。
 
 
 
 
【1992年】ローラ・ウイットワースが コーチトレーニングインスティチュート(CTI)を創設
 
 
 
セミナーの3年後に、日本でもコーチ養成機関がある CTI ができたんだね。
 
 
で、ローラ・ウイットワースは、実はトマスレナードの最初のセミナーの受講生なんだよね。
 
だから ローラ・ウイットワースはトマス・レナードの弟子筋にあたるんだろうね。
 
 
 
 
 
【1992年】トマスレナードが コーチU(コーチ ユニバーシティ)を創設
 
 
同じ年に トマスレナードも コーチUを設立。これは、対抗してつくった、、、というニュアンスではかかれていなくて お互いはわりと友好的な関係だったみたいだね。
 
 
90年台だから 思想的?な分裂とかじゃなくて なんかお金とか そういうことが原因じゃないかな。推測だけど。レナードは もう96年(設立から4年後)には さっさとコーチUを売却してしまいます。そういう まぁ ビジネスマンだったんだろうね。
 
 
 
 
 
【1994年】トマスレナードが ICF(国際コーチ連盟)を設立
 
 
トマスレナード、、、おっさん ここ何年かは、むっちゃ精力的に仕事しよんね。偉いね。でも おかげで あとでエラいことになるんだけどね。
 
 
これ90年台のことなんだけど この本では 本文中は94年ってかいてあるし 本の中の年表では91年になってるし 今のICFは 「95年設立です!」っていってるし なんか適当やね。90年台のことなんやから、誰かはっきりさせればいいのに。そのへんの人に聞けばわかるやろうしね。
 
 
 
 
【1995年】アメリカIBMで 大企業ではじめて「コーチング」を導入
 
 
本格的に企業導入がはじまっていったのは 95年くらいからで IBMがはじめたのがエポックだったようだね。
 
 
95年は ウインドウズ95 が発売された年なわけで この年を境に IBMはコンピュータ業界のガリバーから 転落の一途をたどるわけだね。ふぅむ。
 
 
日本では 阪神大震災や地下鉄サリン事件があった年だね。
 
 
 
 
 
【1997年】コーチ・トゥエンティワン(現 コーチA)が「CTP(コーチトレーニングプログラム」を日本でスタートさせる
 
 
日本の本格スタートは97年説、、、っていうのが 一般的だね。
 
 
 
 
 
(※ 2003年 トマスレナード 47歳で没。 働きすぎか? 若いのにね)
 
 
 
 
つまり 「コーチング」って名前をつけて 広めはじめたのは 1992年くらいからで 日本に入ってきたのは その5年後の 1997年ってことだね。
 
 
実際 コーチングが日本に入ってきて 20年たってないってのは かなり凄いね。
 
 
だから 日本では ビジネス中心で広まっていったっていうのは もうすでにアメリカではビジネス会で広まっていたから それを踏襲したんだろうね。
 
 
 
 
 
 
にもかかわらず 日本で なんか パーソナルコーチングやらビジネスコーチングやら よくわからない広まりかたをしたのは たぶん日本で紹介された 「CTP(コーチトレーニングプログラム)」の影響がおおきいとおもう。
 
 
なぜか?というと この最初のCTPのテキストって トマスレナードがつくった「コーチU」のテキストの まるっきりそのまま翻訳版だったからだ。
 
 
つまり アメリカで企業導入がはじまる前のテキストをつかってトレーニングをしていたので すごくパーソナルな内容にもかかわらず ニーズはビジネスという なんかよくわからない講座の内容だった。
 
 
実際 このテキストの翻訳が まるでグーグル翻訳したみたいな 恐ろしくひどい翻訳で講座を担当する人も よくわからないという かなりシュールなものだった(笑)
 
(ちなみに このテキストの翻訳はさておき 内容は いまみても 本当にすばらしいものだよ。そして この内容はどこにもないものなので 貴重だとおもう)
 
 
 
 
 
 
僕が コーチングをはじめて知ったのは 1998年の社内研修です。
 
 
もう すでに日本語化されて テキストもあったから たぶん社内導入は 日本で一般に紹介されるよりも 相当はやかったんじゃないかな? アメリカの会社だったので。
 
 
だから わりとはやくから 僕は知っていたことになります。でも 研修うけたときは あんまりピンとこなかったけどね。
 
 
「あぁ こんなふうに うまいこと部下を誘導しないといかんのやね」
 
 
とか おもった記憶があるよ(ひどい理解だ) ってか 教える人も そんなふうにやってた。たぶん みんなよくわかってなかったんだとおもう。まぁ そんなもんですよ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
歴史、、、というか それほど年月がたってないので 流れみたいなものだけど いまいわれている 「エビデンスベース」のコーチングとかも 2007年くらい まぁ 医療からの流れだけど けっきょく それが役に立っているから うけいれられているんだろうね。
 
 
 
と、いうことで おもいのほか長くなった! このへんでまた次回!
 
 

2014年8月18日 (月)

今 アップしようとしたエントリーが消えました。本当です。なので、また明日です。疲れました。

2014年8月17日 (日)

「それ以上のもの」を持ち込む人が嫌い

今日は 昨日から一日中作業してて 土日おしまい。

 
 
今年は 僕の 週末っていつもそんなかんじでエキサイティングなことは ほとんどなく 恐らくこれからも しばらくはあんまりないだろうね。
 
 
まぁ 個人的には それで とくにかまわない。
 
 
学生時代は、日曜、月曜と深夜にアルバイトしていたし 就職してからは 客商売だったので 土日は基本朝から晩まで仕事だったし あんまり抵抗はないよね。
 
 
 
今日は どうでもいい 雑談をするつもりなので どうでもいい情報をはさんでみると そういえば 学生時代 日曜深夜 月曜深夜にアルバイトしていて とても合理的だったことをおもいだした。
 
 
深夜アルバイト、、、まぁ コンビニでやってたんだけど 夜お客さんが多いのは やっぱ金曜土曜なんだよね。
 
 
で、一番すくないのが 日曜深夜。
 
 
しかも 一番すくないので 月一で日曜日に業者さんの清掃をいれて 2時間程度お店をしめたりするので さらにラッキーだった。
 
 
大学は 月曜日は出席とらない科目をとって 学校にいかないで昼間は家で寝てた。
 
んで 月曜日 やおら起きだして 深夜バイト。
 
 
で 火曜日は 大学は 「出席点がすごく重要なんだけど 試験はわりとゴニョゴニョ」的な科目をとって 寝ないでもうろうとしながら出席。 で はやく帰って 家で早めに寝る。
そうすると 水曜日から 朝めざめる、、、という生活してた。
 
 
 
 
まぁ 若かったからできたんだろうけど これが 一番定期的にしかも合理的にバイトする方法だ!って おもって 自分の賢明さに打ち震えていたよ。
 
 
 
かんがえてみたら 僕自身は 「合理的」っていうのが とても好きなんだとおもうな。
 
 
 
 
 
 
 
「三宅さん、火のかたちを見ているとき、ときどき不思議な気持ちになることない?」
 
 
「どういうことや?」
 
 
「私たちがふだんの生活ではとくに感じていないことが、変なふうにありありと感じられるとか。なんていうのか……  、アタマ悪いからうまく言えないんだけど、こうして火を見ていると、わけもなくひっそりとした気持ちになる」
 
 
 三宅さんは考えていた。「火ゆうのはな、かたちが自由なんや。自由やから、見ているほうの心次第で何にでも見える。順ちゃんが火を見ててひっそりした気持ちになるとしたら、それは自分の中にあるひっそりとした気持ちがそこに映るからなんや。そういうの、わかるか?」
 

※ 神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫) より 「アイロンのある風景」

 
 
 
 
 
 
僕は ビジネスの世界で あいまいなものが嫌いなんだよね。
 
 
いや たぶん 「あいまいなものを持ち出す人」が嫌いなんだとおもう。
 
 
 
たとえば 「心が大切」 「想いが大切」 「マインドが大切」 なんていうことをいう人が大嫌いなんだよね。
 
 
 
 
なぜか?
 
 
 
「心」って何よ? 「想い」って何よ? 「マインド」って何? どういうことをいうわけ?
 
 
これは 人によって解釈が激しく違うものだよね。 
 
 
なので 同じ言葉をつかっていても 違う人だと違う意味にとらえてしまう。
 
 
だから すくなくともビジネス、、、仕事の場で こういう言葉を発するのであれば ちゃんとすりあわせが必要だとおもうよ。
 
 
 
 

だからこそ この 引用した 神の子どもたちはみな踊る の文章の 「ひっそりとした気持ちになるとしたら、それは自分の中にあるひっそりとした気持ちがそこに映るからなんや。」って表現が グッとくる。

 
 
これは よい小説だ、、、ということがいいたいのではなくて 「火」というものが それをみている人にはさまざまな印象をあたえるにもかかわらず なぜか 皆なにかしら同じような気持ちにさせる、、、という 不思議なものが 文学で成立しているってことにグッとくるって話しだよ。
 
 
つまり 文学的世界では あいまいなんだけど なんだか共通のものを 共有しているって気持ちを知るために 本を読んでいるんだよね。
 
 
 
だから 「心」だったり 「想い」だったり 「マインド」だったりっていう表現がここちよく感じる。
 
 
 
でも ビジネス=仕事の場で そんなものは必要ない。
 
 
なぜなら それは 本=文学(や、映画や、ドラマなどなど)の世界で ちゃんと描かれていているから、、、だよね。
 
 
 
 
そういうものを 仕事にもちこんではいかんよ。
 
 
だから たぶん 「心」やら「想い」やら「マインド」やらを仕事にもちこむ人が嫌いなんだとおもう。
 
 
それはそれで別の世界で成立しているよ。 あなた、本やら映画やら音楽やら 知らないんですか?
 
 
 
 
仕事は仕事です。
 
それ以上のもんはないですよ。
 
 
 
 
 
 
 
、、、という 雑談でした ではまた次回!
 

2014年8月16日 (土)

スミマセン! 今日も事情により更新遅れます! 後ほど!

2014年8月15日 (金)

「納得」のコスト

今日もなかなかに時間ないので さっと雑談的に話しますね。

 

 

 
たとえば 会社をつくって しばらくすると 軌道に乗りはじめ どんどん大きくなっていく時期っていうのがあるよね(ないケースもあるけど(笑))
 
 
そのときに 社長や幹部の人にもおこるし 組織にもおこるのが
 
 
「トランジション」
 
 
という 踊り場にでてしまう。
 
 
 
これは どんな人や組織でも おおかれすくなかれ起こることで 同じステージで停滞しているのは この「トランジション」がうまく 乗りこえられていないケースがおおいんだよね。
 
 
             僕のアドバイスなんか良いわけがない
 
 
これは いままでと同じやり方で いままでと違うステージを乗りこえようとすることによる停滞の時期で これそのものは 成長している証なので よいことなんだよね。 
 
 
だけど これは個人も 組織も たいていは すごく苦労したり 痛みをともなったりする。
 
 
だから 「もう別に、これ以上成長しなくてもいい」っておもったりするケースなんかも あるけど まぁそれもひとつの選択ではあるよね。
 
 
 
ただ 会社や組織の中で それが許されないとか 企業としてもはや許されない規模にまでなってしまったってことはよくある。
 
 
 
 
 
 
 
 
ブリッジズという人がとなえた、この「トランジション」ってかんがえかたなんだけど 「はじまり」と「ニュートラルゾーン」と「終わり」がある、っていう理論なんだよね。
 
 
 
そのなかで 「ニュートラルゾーン」 というのが たいへんに苦しい時期なんだよね。 
 
 
これは 自分の過去の成功体験の否定につながるので とても苦しいんだよね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今日は その時のポイントだけ話しておくね。
 
 
 
「ニュートラルゾーン」だと 過去の成功体験の否定、、、なんだけど これは 「全否定」ではないんだよね。
 
 
変ないいかたなんだけど 「一部否定」&「一部はさらに伸ばす」 というアプローチが必要なんだよね。
 
 
これは 個人も組織もおなじだよ。
 
 
 
つまり 過去の成功体験の一部分を否定して やめたり 別の人にまかせたり やり方をかえたりする。
 
 
 
そして こんどは その新しい状態が 活かせるように過去の良いところを もっと伸ばすようにする、、、っていう手順だよ。
 
 
 
 
これは とても重要なアプローチで なかなか難しいんだけど 結論としてはこうなるね。
 
 
 
 
 
 
 
 
大変なのは 「何を否定して 何を伸ばすか」っていうのが 試行錯誤しないといけないってことなんだよね。
 
 
僕のコーチングの経験からいうと、「トランジション」の期間がながければ ながいほど さらに 試行錯誤の時間がながくなるよ。
 
 
 
 
これは たぶん 個人でも組織でも納得に時間がかかるんだろうね。
 
 
こういうのを 見ていると本当に「納得する」っていうのは よけいなプロセスだとおもうな。
 
 
いや 相手を納得させるプロセスは別に 自分は関係ないからいいんだけど 自分自身は納得なんかしなくても うまくいってる組織や人のいうことを まるのみしたほうがローコストだなっていつもおもうよ。
 
 
実際 「トランジション」をぬけられない理由のほとんどは、「納得ができない」からって理由がほとんどだからね。
 
 
 
本当に 「納得」のコストと、丸のみするリスクのコストは絶対に比較したほうがいいよね。
 
 
 
 
 
と、いうことで また次回!
 
 
 

2014年8月14日 (木)

「売れた」と「売った」のちがい

先日も 営業に関してのミーティングだったり、新規事業関連のミーティング。

 
 
そこで ちょっと気づいたんだけど 「売れた」ということと「売った」の違いについて 体感でよくわかっていない人が けっこうおおいんだなっておもったよ。
 
 
「売れた」→ 勝手に売れたって意味合いが強い。お客さん主導で買われていく。
 
 
「売った」→ 営業やスタッフが、頑張って「売った」って意味合いが強い。
 
 
もちろん 購買はつねにお客さん主導が原則。
 
 
 
 
 
だけど スーパーで買えば200円くらいのビールが 居酒屋なら400円以上 スナックとか料亭とかなら もっと高い値段だろうね。 
 
でも みんな買っていくのは そこに「付加価値」があるからなんだとおもう。
 
 
営業だったり 新規事業だったり って 当たり前のようだけど その「付加価値」をもっと 一生懸命かんがえていくことが 「売った」につながるとおもう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そこには、売り子さんのすごい営業努力があった
 
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「後半のホームランの後は売りやすい」「応援しているチームが攻撃している時は売りにくい」「声を出した後は喉が渇く」等、ニーズをいち早く読んで行動する
 
Mayuko
 
 
常連さんを作ると、似顔絵、席番号、口癖をメモし、交わした挨拶の言葉まで記録。年に1度来るお客さんすら遠くから見て判別できる
 

 
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髪飾りをつけるのは、”声のかけやすさ”や”呼びやすさ”を意識しているそう
 
 
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販売前の待ち時間にフィードバックを読んで、他の売り子のやりとりも見てみる。足りないことを見つけて、次のステップへ進める
 
(引用終わり)
     
 
 
 
これは素晴らしいね。
 
 
この記事をみると 売り子さんたちは 当然すごい努力しているってことはわかるよね。
 
でも重要なのは この子たちが ちゃんと「努力できる環境」を用意しているってことだよ。
 
 
とくに 戦略4の日記とかは ちゃんと振り返りができるようなシステムになっているってことだよ。
 
 
こういうのって たとえば 「おー 日記いいな。これはマネしよう!」って まぁそれもいいんだけど でもここだけマネしても 同じ結果はでないよ。
 
 
こういう「しくみ」とか「環境」っていうのは その組織にあったものをいれていかないと いきなり IT装備やら なんとかシステム会議とかは たいていうまくいかないよ。
 
 
 
個人よりも組織のほうが、とても保守的になりがちで リーダーが「こうしよう!」といっても 実際に組織がうごくのは 時間がかかる。
 
 
何か新しいことをやろうとしたとき 正しいことであっても すぐに組織が組織として理解して 成果をだす、、、っていうのは すこし時間がかかるんだよね。
 
 
だから どういうタイミングで どういうことを導入していくのか? っていうのは リーダーはよくかんがえないといけないよ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
とくに 僕がいうのもアレだけど 外部のコンサルタントやらには 気をつけたほうがいい。
 
 
なんだかんだと すすめてくるからね。
 
 
本当に必要なことを いっしょにかんがえてくれないと困るよね。
 
 
 
 
 
 
(以下 引用)
 
 
独特のしかけや地域に密着した売り場作りで出版業界にその名を知られる「さわや書店」。同店のある岩手県盛岡市には、介護施設と図書館を融合させた「フキデチョウ文庫」というユニークな施設が生まれ、話題を集めています。
 
 
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コンサルタントが薦める「差別化」は正解なのか?

沼田 川上さんがいらっしゃる前に栗澤さんと盛り上がっていた話があるんです。地域店舗の悩み・・・・・・というほどもないんですが。

川上 なんでしょう? 

沼田 最近、いわゆるコンサルタントの方から「差別化をはからないとダメですよ」と連絡をいただくことがとても多いんです。「どうすればいいんでしょうか?」と聞くと、ホームページ(HP)やブログをやればいい、そのお手伝いをしますよって言われる。

川上 ええっ! まだ、そんなことを言ってくる人がいるんですか(笑)。

栗澤 介護業界はまだ開拓できていないと思われているのかもしれませんね。書店業界もそうですが。

沼田デジタル音痴があふれている業界ではありますよね。そういう意味ではつけ入れられやすいかもしれません。でも、この図書館を見てください。存在からして充分、差別化できているじゃないですか。私は、「何をしたか」を発信する必要はないと考えています。いい関係ができて、そこで完結できていればよくて。へたに「何をしたか」を発信しようとすると、いい時間や関係の濃度まで薄まってしまう気がしてしまうんです。

(中略) 

川上 僕はそういう、お店によってラインナップが違うというのは素晴らしいことだと思うんです。というのも、「売れた」と「売った」は違うものだから。駅ナカで人通りの多い場所にあるお店が「何百冊売りました」と言っていても、立地と本の実力で売れたのか、それとも意志を持って売ったのかはわからないわけです。たとえば、自分のお店が全国の書店の1%のシェアを持っているとしたら、10万部売れた本を1000冊売ってもそれは「売れた」です。決して「売った」わけではない。そういう視点で見ると、さわや書店さんは全国シェアに比べてものすごい冊数を売っている本が、たくさんある。それは「売る」という意志があるからできることです。そういうお店には惹かれますよね。

(中略)

川上 なぜそうなったかというとちゃんと理由があります。そのセレクトショップとして大成功している店も、いきなり今の形になった訳ではないということです。そういう店だと認知されるまでは10年くらい試行錯誤して、街全体との調和をはかってきた。その全体の調和を抜きにしていきなり棚だけ同じにしてもダメだったということなのでしょう。さわや書店さんの場合もおそらく、フェザン店のラインナップを他の店舗に拡大したからと言って、必ずしもそれが売れるわけではないと思います。

 

 

(引用終わり)

 
 
 
これなんか 典型的な例だけど  やっぱり 「売っていくのはどうしたらいいのか?」っていう問いかけをしつづけた結果に たどりついたんだとおもう。
 
それを 外から 「これがないから こうしたほうがいい」  「ここが弱いから こうしたほうがいい」っていうのは 誰でもできるし そんな話をきいてはいけない。
 
 
 
「こういうのを やれないか?」という話が 内部でおこなわれるようにしていくのが 外部のコンサルタントや専門家のやくわりだとおもうな。
 
 
 
 
 
「売れた」と「売った」のちがいは大きい。
 
 
無理やり 押し売りってことじゃなくて 重要なのは 「お客さんの期待以上の価値」や「お客さんが 自分でも気づいていなかったニーズ」などを ビルドインして売っていく。
 
 
こういったことが 組織としておこなわれやすいようにしていくことが 重要だってことだね。
 
 
と、いうことで また次回!
 
 
 

 
 
 

2014年8月13日 (水)

キャリアがあっても熟達しない理由

最近でちょっと印象に残ったこととか。
 
 
 
 
以下引用
 
 
中級者と上級者にある差の正体(勝間和代オフィシャルメールマガジン より 
 
いろいろな分野のコーチや研究者の方に

「熟達とは何か」

ということについて、インタビューをしています。そして、共通するのが

「熟達とは、特別なめったに使わないスキルを磨くことではなく、汎用的なスキルをミスなくできるようにすることである」

ということに最近、目から鱗が落ちています。

もちろん、上級者の方は、いろいろと初心者や中級者ができないような、難しいこともできるのですが、それ以上に成果を分けるのが

「ごくごく普通の、頻度が非常に高くでることを、頭でわかっている、というレベルではなく、それをミスなく実行できるか」

ということに差が現れるそうです。
 
 
 
(引用終わり)
 
     
 
 
 
最近「カツマー」は、なんと 麻雀とかにはまっているらしい
 
 
ゴルフとかも もの凄くやってて バイクやら自転車やらクルマやら なんか 完全に「オッサン化」しているね。
 
 
 
それで ゴルフやらバイクやらのコーチなんかから聞いた話なんか書いてあったりするんだけど 今日は「中級者と上級者にある差の正体」っていうのがおもしろい。
 
 
 
僕がおもしろいとおもったのは 
 
 
 
「へー カツマーみたいな 経験も知識もある人でも こんなことってよくわかってなかったのか」
 
 
 
ってところなんだよね。
 
 
メルマガの内容なので わりと短くかいてあるんだとおもうんだけど 要するに
 
 
「上級者と中級者をわけるのは よくあるケースを完璧にミスなくできること」
 
 
っていうことだよね。
 
 
 
 
 
「熟達」については エリクソンという人が 熟達ルールっていうのをいってて それが「10年かかります」 という話だそうだよ。
 
いっぽうで 別の人は 「1万時間(これは最近否定されつつある)」 「5000時間」とか さまざまな意見があるみたいだよ。
 
 
 
 
あと ただ漫然と、時間をすごせばいいわけではなくて、
 
「長期にわたって 注意を必要とする練習」
 
が必要なんだよね。
 
 
※ 注意を必要とする練習 (deliberate practice)
 
 
 
実は これが結構重要なんだけど 「長期にわたって 注意を必要とする練習」ができる環境をつくることが 熟達の絶対条件なんだよね。
 
 
逆に言うと キャリアがながくても その練習がおこなわれていなければ 熟達にはならない。
 
 
この練習なんだけど これが日常的におこなわれるように 環境を設定しないと熟達されないんだけど 完全に作為的にデザインする必要があるんだよね。
 
 
 
よくあるケースが 「長く経験があります」という場合で しかもそれなりに成果をだしていたりすると
 
 
「この人は 熟達者なんだ」
 
 
っておもうよね。
 
 
でも 実は 成果をだしたのは 「長期にわたって 注意を必要とする練習」をやったおかげで 熟達することによって 成果をだした、、、のではない!
 
 
「注意を必要とする練習を避けながら なんとか成果を出す方法を学んだ」
 
 
ってケースがとてもおおいんだよね。
 
 
 
まぁ 会社なんかで うまく会社を動かすことで成果をだしてきた人とかは 実は会社の看板で成果をだしていたのに 自分自身の実力でだしたとおもってしまうケースとか。
 
 
成果にいい悪いはないので 組織をうまくつかって成果をだすのも 関係なく自分でだすのも 同じなんだけどね。
 
 
 
 
 
 
ほおっておくと 自分自身では 「長期にわたって 注意を必要とする練習」は やる動機づけがないので ちゃんと目的もってデザインしないとやらないよ。
 
そうでなければ 何人キャリアがあっても 熟達者にならない。
 
 
 
つまり これが キャリアがあっても熟達者でない理由なんだよね。
 
 
 
まぁ だからその人が「熟達者」かどうか 見分ける必要があるばあい それに関する質問をするといいよ。
 
 
 
その質問、、、とか、、、ちょっと長くなるので また別の機会に話すね。
 
 
ではまた次回!
 

2014年8月12日 (火)

「自分のアタマで考える」というマニュアルをつくれ!

いつか こういうのがでてくるっておもってたんだけど できてきたよね。

 

 
 
以下 引用
 
 
 
 

 顧客の回転率を上げるため、どの外食チェーンも作業手順をマニュアル化しているが、すき家ではなによりもスピードが求められる。すき家のカウンター席では、牛丼は原則として10秒以内で出すことになっている。吉野家の15秒を上回り、業界最速だ。学生アルバイトであるクルーは、「いらっしゃいませ」と声をかけてからのすべての動作を、体のバランスの取り方から手の動かし方まで秒単位で決められている。牛丼の具材をよそう時の動作はこうなる。

「左手で丼を取り、右手でよそう。この際、足を一歩たりとも動かしてはならない。リズムよく重心移動で左、右と流れるような作業をこなすのが鉄則だ」(同)

 現場のクルーはときに、「やや膝を曲げ、カウンターがある左側の重心を意識すること」が大切なのだという。丼を下げる時の動作も定められている。

「丼を下げる時は、左手でトレーを持ち、右手で専用ナフキンを使って、テーブルをZ字に拭かねばならない。その際のルールは丼を洗う時と同じく「肘から下」(を使う)。上腕を使うと動きが大きくなり、ムダな動きだと叱責を受けることになる」(同)

 24時間、店舗を回すために作業のすべてに決まり事がつきまとう。細かなタイムテーブルが組まれ、すべて分秒刻みの制限時間が設けられている。クルーは、ゼンショーグループ憲章を完璧にこなせるようにならなければ、一人前とは認められない。

(引用終わり)

     
 
いったいこれのどこが問題なのかね?
 
 
あたりまえではないか。全国どこでも均一の味が求められるのであれば、調理している人は条件がおなじであればおなじ所作でつくられければ、同じようにできない。
 
そして それができなければ 叱責されるのはあたりまえじゃないか。
 
 
いや むしろ、
 
 
「左手で丼を取り、右手でよそう。この際、足を一歩たりとも動かしてはならない。リズムよく重心移動で左、右と流れるような作業をこなすのが鉄則だ」
     
 
これは マニュアルとして ややできが悪い。「リズムよく」という表現は リズムはひとによって主観が入る可能性があるので 「秒数」や「動作順」などによる 表現により厳格化しないと 人によって「うまい下手」のバラツキがでるおそれがある。
 
 
 
 
 
 
 
 
だいたい 題名の「細かいすべての動きを秒単位で規定、間違うと叱責」というのは どこのどんな業界でもあたりまえの話だ。
 
 
外食はすき家だけじゃなくて 鮨や和食の高級店からラーメン店なのでの大衆店まで メーカーの工場などの生産現場でもそうだし、医療なんかだと 叱責だけじゃすまないぞ!
 
 
たぶん この記事を書いた記者が、世間をぜんぜんしらないんだとおもう。
 
 
 
 
 
 
 
「すき家」の問題は ただ2点だけだ。
 
 
 
1 「安全や正常な店舗運営ができないほど、人を減らして営業していたこと」
 
 
2 「働いている人たちに ときには違法なまでに 低報酬ではたらかせていたこと」
 
 
この2点だけであって あとは大きな問題があったわけではない。
 
 
美味しくないとかの評判がでたり、食品偽装があったわけではないんだよ。(あとで でてきたり、、、しないよね?)
 
 
 
 
 
いわゆる「ワンオペ」や 以前エントリーでもあげたように 「お店がまわせるだけの人を配置するか、まわせるようなメニューにするか」 にしておけば 1番の問題はおこらなかった。
 
 
 
そして それと相まって 休日出勤や 労基法を超えた労働時間をはたらかせて しかも その報酬を払っていなかった という問題。これが2番目の問題。
 
 
 
とくに 今回は 1番目の問題がおおきい。
 
 
 
 
 
2番目の問題は 実はよくあるケースで、、、というか すき家はこの問題がおこるまえからそうだった。
 
 
 
 
 
飲食の世界は ある種 徒弟制度が残っている世界で たとえば 和食やラーメン店など いまでも わりと 低賃金長時間労働 労基法もあんまり守られていない。
 
 
ただし たとえば鮨屋でもラーメン店でも、それは修行ととらえられていて そのお店が人が必要だから低賃金ではたらかせるという発想はもともとはなかったはず。
 
 
 
修行の弟子は 「ここで働かせて下さい」というのは その後ろの言葉に
 
 
 
 
「ここで働かせて下さい(そして、教えてくれて ゆくゆくは独立させてください)」
 
 
 
 
があったわけで だからそこの大将は その子の人間性とか 将来店がやれるような根性があるのか? なんかをみて 「よかろう」であったり「ダメだ」というジャッジをしていたはず。
 
 
 
 
 
 
つまり 今は低賃金であっても いずれは 独立して店をかまえれば そこで 収入もあがって 立派にやっていけるという ゴールがあった。 
 
 
だから 低賃金 長時間労働 「お客様のため」が できたんだよね。
 
 
 
 
その 最後の「自分で独立してできる」という部分をとりのぞいてしまえば それは ある程度の報酬をだすしか ないでしょう。 
 
 
そういうビジネスモデルであるかどうか? っていうのは ちょっとかんがえればわかるのだが、、、ちょっとも考える時間がないくらい経営陣は忙しかったんだろうね。
 
 
 
 
 
 
なので ぜひ経営陣のマニュアル、、、あと この記事を書いた記者の人にも
 
 
「1日に ~時間~分~秒 以上は 自分のアタマで考えるようにする。考えるときは リズムをとる必要はない」
 
 
みたいなものを設定することを 提案します。
 
 
 
と、いうことで また次回!
 
 

2014年8月11日 (月)

全員が好きな料理はださない

旧盆もおわって 平常をとりもどしつつある 沖縄ですね。

 
 
と、いっても まぁ 今日ぐらいまで雑談モードでいきますね。
 
 
 
基本的に 僕のコーチングのスタンスっていうのは 人間を信じない、、、というか 人間に頼らないってモデルなんだよね。
 
 
 
これは よく誤解されるけど 
 
 
「人が苦しむのは 人が原因だからとしてしまうから」
 
 
なので 人を救うために人に頼らないで解決する必要があるっていうのが 僕の主張なんだよね。
 
 
 
 
 
何か問題があったときに 
 
 
「これは いったい誰が原因でこんなことになったのか?」
 
 
という問いかけと
 
 
「これはいったい何が原因でこんなことになったのか?」
 
 
という問いかけでは 次にとる行動がかわってくる。
 
 
 
 
 
これは 重要なんだけど およそビジネスの場面で 「人」に原因があるのか「しくみ」に問題があるのか といえば ほとんどのばあい 「しくみ」の改善で乗りきることができる。
 
 
 
おおくの場合 「しくみ」をつくることが下手だったり 面倒だったり 最初にコストがかかったりで 「しくみ」の問題にする力がなかったりする。
 
 
 
そこで 依然として 「人」の問題でのりきろうとするので 延々と問題が解決しないことがおおくなる。
 
 
 
 
 
これは 僕からみたら ある種 信仰のようにも見える。
 
つまり 「原因は 「この人の何か」 であるから それが改善(?)することで 問題がなくなる」 という信仰だ。
 
 
 
これは 本当に根強い。
 
 
 
以前は、僕はこの「信仰」にたいして 
 
 
「あのー 間違っているので その信仰をすててください。 こちらが現実です」
 
 
と 信仰をすてることを すすめたり あるいは 提案したり 強力に主張したり、、、 と 要するに 「改宗」をせまったわけだ。
 
 
 
 
で もう今はそんなことはしない。
 
 
 
僕が うまくいくやりかたを知っているとすれば それを伝えるのに 「あなたがたは間違っていますよ」というのは 相手だって たとえ正しくても信じたくはないよね。
 
 
 
だから 相手の「信仰」を尊重しつつ、うけいれてもらえるような話をしていくことが 僕の仕事じゃないかな とおもっている。
 
 
 
 
 
 
 
 
僕の立ち位置というか 僕の主張っていうのは 受け入れてもらえるように できるだけ 「食べやすい」かたちにして 届けていこうとしているんだよね。
 
 
わかりやすく、納得しやすく、受け入れやすく、、、って気持ちではあるんだよね。
 
 
 
 
 
ただ いつもおもうのが 一番やってはいけないことは 「全員にうけいれられるアプローチをする」っていうことだとおもってるだよね。
 
 
 
 
どれだけ 「食べやすく」していても ごはんやパンを提供しているんだじゃなくて あくまで 「料理」を出しているつもりなんだよね。
 
 
 
その「料理」は できるだけ お客さんのことをおもって 温かさや 辛さ 量なんかは かんがえるけど 全員が好きだとおもえる料理をださないようにしているんだよね。
 
 
 
 
この さじ加減って なかなか大変なんだけど このへんが 仕事のポイントのようなきがしているんだけど、、、まぁ またこの話はしますよ。
 
 
 
では また次回!
 
 
 
 
 
 

 
 

2014年8月10日 (日)

守るべきは「命」か?「民族の誇り」か? 魂を揺さぶる 映画「セデック・バレ」

やっぱり もの凄い映画だった。

 
 
日本公開は 昨年の春だったんだけど 見逃してしまったので DVDでやっとみれた。
 
 
やっとみれた、、、というのは この映画 「第一部 太陽旗」と「第二部 虹の橋」の2部構成になっていて 合計4時間36分! というまさに超大作なんだよね。
 
 
 
でも 見終わって これはこれだけの時間が必要だったんだろうな とおもわせるような ていねいなつくられかたで それだけテーマも重いものだったよ。
 
 
 
 
 
Photo
 
 
 
 
 
いつものように できるだけカンタンに説明してみるね。
 
 
 
 
1930年に 日本統治下の台湾で実際におこった 先住民セデック族の反乱の事件「霧社事件」を描いた台湾映画。
 
日清戦争後 進駐してきた日本軍に統治され 高地で暮らす首狩り族「セデック族」は独自の文化を否定され 35年間を抑圧されてすごしていた。
 
ある日 日本人警官がセデック族と衝突し、日本人警官は重傷をおってしまう。日本人からの報復を恐れた セデック族がいくつかの仲間の部族と武装決起をおこなう。
 
日本人の運動会の日を狙って 霧社地域をセデック族が襲い 日本人の女性や子供まで 約140名が全員が虐殺される。
 
 
日本軍は決起した約300名を 制圧すべく部隊をおくりこむが 山岳地域に長けたセデック族のゲリラ戦に手をやく。
 
 
暴動鎮圧のために 日本軍が 大砲や飛行機 毒ガスなどの近代兵器をつかったり セデック族と敵対する部族に懸賞金を支給して 制圧にのりだし 同族間でも凄惨な殺し合いがおこなわれる。
 
 
セデック族であるが 学問を身につけ 妻や子どもたちとともに日本人として暮らすセデック族の兄弟は 板挟みにあって たいへんな葛藤にまきこまれる。
 
 
しだいに追い詰められていく セデック族。 リーダーの「モーナ・ルダオ」は 最後の闘いにむかう。
 
 
 
、、、という話。 だいぶ端折っているけど こんなかんじ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
台湾映画なので 視点は当然 セデック族視点なわけで 日本人は敵、、、ということになるよね。
 
 
でも この映画で 日本人の僕は 劇中「敵」としてあつかわれることによる居心地のわるさってあんまりかんじないんだよね。
 
 
 
それは 「日本人が悪い!」っていう描き方ではなくて 統治する、制圧するものの容赦のなさ、圧倒さ、強引さ、、、みたいなものが描かれているだけで それが日本人だったという話だ、という感じなんだよね。だから みたらわかるけど 絶対に「反日映画」ではないよ。
 
実際 日本人のやったことにはいいこともあるし よい日本人もいる ということが描かれているんだよね。
 
 
 
Yama  
 
 
 
 
また セデック族も そして 敵対する部族も どっちが悪いとかそういう描き方はしていない。「悪い敵」というはこの映画にはあんまりはっきりとでてこない。
 
 
だから 余計に この映画の悲しさがうかびあがってくるし それぞれの立場での容赦のない殺戮や自決のすさまじい凄惨さがクローズアップされるんだよ。
 
 
 
セデック族は抑圧された不満があるんだけど 激情にかられて単純に決起したわけではないんだよね。 彼らは「日本人を殺したらどうなるかわかっているのか? 我々は全滅させられるぞ」といって どうなるかはよくわかっているんだよね。
 
 
実際 武力決起したあとの死体が転がる運動会会場で セデック族の女が泣き叫んでいるんだよね。これは、全滅が確定しているのをよくわかっているので 男たちの行為を嘆いているシーンだったりする。
 
 
 
 
 
それでも 決起したのはなぜか?
 
 
 
 
 
単純に 民族の誇りとか抑圧された怒りとかそういうものではないとおもう。
 
 
 
この映画では 「民族の誇りを大切にせねば」というかんじのメッセージがなんどもでてくる。
 
 
 
 
日本人の名前をなのり、日本人として師範学校へいったセデック族の警察官「ダッキス・ノービン(花岡一郎)」に セデック族のリーダー 「モーナ・ルダオ」が問う。
 
 
「おまえは 死んだら日本人として神社にいくのか? それともセデック族として 虹の橋を渡るのか?(セデック族はそうして死後の世界へ行くと信仰している)」
 
 
 
 
 
花岡一郎ことノービンは答えない。
 
 
 
 
 
答えないのだ。
 
 
 
 
 
 
この「答えられなさ」が決起をひきおこした原因になっているんだとおもう。
 
 
 
その「答えられなさ」を理解するために ぜひ映画をみてほしいとおもうよ。
 
 
 
 
 
 
 
 
監督は ウェイ・ダーション あまり知られていないけど(僕も全然しらなかった) 台湾では日本統治時代を中心に映画をとっている社会派の監督で、前作もヒットしているみたいだね。
 
 
 
なんといっても ビッグネームは 制作のジョン・ウー。
 
言わずと知れた トム・クルーズ主演の「M:I-2(ミッション・インポッシブル-2)」の監督だよね。今回はプロデューサーってことだね。
 
 
 
 
日本人俳優もいっぱいでているよ。
 
 
 
 
Andou
 
 
 
安藤政信、田中千絵、木村祐一(キム兄ですね)などなど
 
 
そもそも日本人役なので 日本語で話していますよ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あと なんと! ビビアン・スーもでています! 
 
 
 
Bibiann
 
 
 
 
全然しらなかったんですけど ビビアンって出身は 山岳民族出身なんですね。台湾出身だけど 漢民族系じゃなくて いわゆる台湾人なんですね。
 
 
この映画にでている セデック族役の人って ほとんどの人が実際にセデック族の末裔だったり 近い部族の出身だったりしてるんだよね。
 
 
そもそも 主役の「モーナ・ルダオ」役の人って映画初出演らしい! そもそも役者でもないらしい! 部族の牧師さんらしいね、、、マジか!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
沖縄では 「命どぅ宝」ってことばがあるよね。
 
 
今現在の価値観で、ものごとをみるのであれば 「命に過ぎたる宝なし」ということは よくわかるよね。
 
 
セデック族は 「命」よりも「民族の誇り」を優先したのだろうか?
男たちは 殲滅し 女子供は自決することになったのだが。
 
 
日本統治下の台湾で 実際におこった事件を描いたこの映画が ゆさぶる「命題」は、いまもなお「命題」として、我々につきつけられているのだろうか? 
 
 
 
一部、二部あわせて 4時間36分。
 
 
 
 
観る価値がある映画だとおもう。
 
 
 
 
 

2014年8月 9日 (土)

さまざまな理由で今日は更新が遅れます。スミマセン!

2014年8月 8日 (金)

「知識の詰め込み」と「考える力を養う」ことについて(雑文)

今日から 沖縄では旧盆ですね。

 
 
心配された台風もさほど影響はなく 道路でエイサーをおどる 「道ジュネー」も各地でおこんわれているようですね。
 
 
これ、みんなすごく練習するんですよね。部活みたいにやってるよね。
 
で、悲しいことに部活と同じで、上手いところと そうじゃないところとはっきり差がでるんだよね。シロウトの僕がみてもわかる。
 
 
と、いうことで しばらくは 沖縄の旧盆で 雑談のエントリーがつづきます(なんで?)
 
 
 
以下 引用 ↓
 
 
 
 
世の中はこの350年で大きく変わった。日本は江戸時代。ちょんまげの時代である。その時代の人が現代の社会にワープしたら驚いて腰を抜かすであろう。
しかしもし学校の授業に参加をしたならば、もしかするとあまり違和感をいだかないかもしれない。これほど長きに渡って教育のあり方が変わっていないという事は驚異に値すると思うのは私だけであろうか?
 
(中略)
 
こうして変わらなかった教育が、今、大きく改革をされようとしているのをご存知だろうか?今までは知識のある人がその知識を伝導する事が教育であった。
しかしIT革命が進んだ今、知識は誰でもが瞬時に獲得する時代になったのだ。
また人もお金も情報も国を超え、グローバル化の波が押し寄せだしてから久しくなった。それに従い、コメニウスの教育では現状に合わないことを皆がわかりだしたのである。
 
 
(引用終わり ※宋文洲メールマガジンより コメニウスと学校教育 坪谷ニュウエル郁子
 
   
 
 
 
教育ネタ? というより 「学習ネタ」かも。
 
 
 
うーん 根強くあるのが 「知識をつめこむ」ことと「考える力を養う」ことというのが 相反するものって考えがあるんだけど これはいったい誰がひろめたんだろうね。
 
 
「知識をつめこむ」ことと「考える力を養う」ことは 一直線上にある。
 
 
 
 
極論をいうとわかりやすいんだよね。
 
 
たとえば 小学校1年の子供たちをあつめて ディスカッションする授業やってもほとんど成り立たないよね。
 
 
その理由は 1年生では あまりにも知識が不足していて 議論にならないから。
 
 
じゃ 何年生ぐらいから ちゃんと話し合いができるようになるのかな? よくわからないけど 小学生だったら高学年ぐらいからじゃないかな?
 
 
 
こんどは逆に 中学生になれば 相当議論はできるから 知識は最小限でいいのかな?
 
 
 
 
たとえば 中学校の3年の数学の 「新学習指導要領」 をみてみると どんなことをやるのかわかる。 
 
 
どんなことをやるのか? というと  平方根や2次関数、相似や三平方の定理など 知っているのと知らないのでは 日常生活で大きく違う 「知識」を習うんだよね。
 
 
「こんなの ぜんぜん役に立たないよ」って言ってる人は たぶん これを知っていることがあたりまえすぎて 役に立っていることがわからないんだとおもう。
 
 
「こんなの習ったのも忘れていたけど 今まで困ったことがないぞ」という人は ぜんぜんしらなかったおかげで とても損をしているかもしれないんだけど 損をしていることに 気づいていない可能性がある。
 
 
 
中学生レベルでも 相当 基本的なものなんだよね。
 
 
 
 
だから たぶん 中学とか高校レベルでも かなり「知識のつめこみ」は必要なんだとおもう。
 
 
 
だけど 「知識のつめこみ」によって得た知識をどうやって活かしていくのか? という「考える力を養う」っていうのも あるレベルから 同時にやる必要があるんだとおもうな。
 
 
「考える力を養う」っていうことが また知識の習得に役に立つこともあるしね。
 
 
 
 
なんだか この引用の議論っていうのは 「詰め込みは悪」みたいな雰囲気がただよっていて なんだかミスリードな気もするな。
 
 
 
 
だから テクノロジーの進歩によって 「知識の詰め込み」と「考える力を養う」っていうのが両方とも 促進されるっていうのが うまいつかいかただとおもうね。
 
 
 
 
 
そこで 思い出すことがあるんだけどね。
 
 
 
 
何回思いだしても不快なんだけど 僕が「スマホないと ちょっと生活に困りますね」っていったら ある教育関係の人が 「そんな人生楽しいですか?」っていったんだよね。
 
 
 
たぶん その人は スマホ=ゲーム とか スマホ=くだらないSNS とかっておもってるんだろうね。
 
 
 
そういうふうにかんがえる人生のほうがつまらんね、、、とかは 僕は人格がすばらしいので いいませんでしたけど。
 
 
 
あぁ なんか 話がずれてきたので このへんで おしまい。
 
 
 
では また次回!
 
 
 
 
 

2014年8月 7日 (木)

パティ・スミスの村上春樹評

明日から 沖縄では旧盆ですね。

 
 
お休みの会社とかもあるみたいですけど 僕はあんまり関係ないですね。
 
 
という ちょっとノンビリモードなので、、、というわけでもないけど 今日はネタ系で。
 
 
 
 
 
 
パティ・スミスが ニューヨーク・タイムスに 村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の書評をかいてるんだよね。
 
 
 
 
 
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この書評のなかでボブ・ディランの60年代と70年代それぞれの代表作と言われる2枚のアルバムになぞらえ、「これは『ブロンド・オン・ブロンド』ではない、『血の轍』だ」と形容。村上春樹がこの小説で新たな成熟へ向けて挑んでいる、と論じている。
 
(引用終わり)

 
   
 
 
 
 
 
 
英語苦手なんだけど まぁまぁ苦労して読んでみると パティ・スミスは相当な「村上春樹ファン」だってことがわかるね。
 
 
そのおかげなのか パティ・スミスもこの作品をもてあましているというか 作品単体としてはあんまり評価していないふんいきがあるね。
 
 
 
いままでの作品の文脈の中で たとえば 「1Q84」とか 「ねじまき鳥クロニクル」 「海辺のカフカ」なんかの流れのなかで 「多崎つくる」を論じているようにおもえるね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
実際 僕も 正直 「多崎つくる」はこの物語 単体で あんまり意味が無いような気がするんだよね。 たいして面白くないし(あ、いっちゃった)
 
 
だから いくつかこのあと 本が出て そのあと「多崎つくる」をふりかえってみると 「あぁ 多崎つくるは そういうことだったのか」ってわかるかもね、、、というか そうあってほしいね。
 
 
 
 
 
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ところで 「1Q84」の BOOK3って 僕はとても興味ぶかいんだよね。
 
あれは 「1Q84」がすごく売れて ある種の社会現象みたいになったので わりと突貫工事で BOOK3を書いたんだよね(村上春樹 本人もそういってた)
 
 
 
でも 書評家とかのあいだでの評判は散々だったんだよね。
 
 
たしかに 急いでかいた感じがあって なんだか原稿を読んでいるかんじがしたよ。おかげで その他の本が とてもていねいに手がいれられているんだなってのがわかったんだけどね。
 
 
それとは 別に 「牛河」のくだり、、、の迫力ってとてもおもしろかったんだよね。
 
 
 
なんだか これから熟成されるお酒を 若いうちに わりとたっぷりのんでしまったような気分が 興味深くかんじたところなんだけどね。
 
 
 
 
 
 
まぁ パティ・スミスと村上春樹ってわりと納得のワードだよね。似合う。
 
 
もはや 全世界が注目してるんですね。
 
 
 
と、いうことで また次回!
 
 

2014年8月 6日 (水)

衝撃なのは結末じゃない? 映画「LOOPER/ルーパー」

ちょっと 前の映画なんだけど このあいだDVDでみるはめになったので 備忘録的にメモしておくね。

 

 

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公開されたとき(2012年だね)は、なんだかとても評判がよかったので 覚えていたんだけど なんといっても この年は 「桐島、部活やめるってよ」が公開されてて 完全にそっちにもっていかれてたんじゃないかな?
 
 
 
 
 
まず この「LOOPER/ルーパー」を 例によって 超カンタンにストーリーを説明してみるね。
 
 
未来のマフィアが違法に人を殺すために タイムマシンで過去におくりこんで殺す必要がある。 主人公は高額な報酬とひきかえに殺し屋をやっていたんだけど ある日おくられてきたのが 30年後の自分だった。30年後の自分は、現在の自分から逃げたんだけど 逃すと「組織」から殺されてしまうので 未来の自分を探して殺す羽目になるんだけど 未来の自分は 「組織」の親玉を狙っているらしいが、、、って話。
 
 
今回は ちょっと説明に手間取った? 
 
 
あえて ひとことでいうと 「ターミネーターのような タイムトラベルSFアクション映画」だね。
 
 
実際 ターミネーターに似てるよ。
 
 
 
 
 

 
 
 
今回 「超カンタンにストーリー説明」に手間取ったのは わりとこの映画設定がふくざつなんだよね。 
 
 
 
 
たとえば、、、 
 
未来のタイムマシンは勝手につかうのは違法で おかげで犯罪組織がつかっている
 
 
未来では なんかIDカード的なものが埋め込まれていて 身元とか履歴とかがわかるようになっているので 簡単に人を殺せない
 
 
現在、、、っていっても 2074年っていう 近未来である
 
 
とか なかなかに面倒な設定なんだよね。
 
 
 
 
 
 
だけど そういう複雑な設定を 短いじかんで うまく刈りこんで説明しながらみせているのは うまいなっておもったよ。
 
 
だから みていて あんまり設定の複雑さに 気づかないんだね。
 
 
 
 
 
 
なぜ? こんな複雑な設定にしたのか? というと それがこの映画の評価がわかれるところなんだよね。
 
 
これは SFっぽい フレームをつかっているんだけど 描きたかったのは 「人間ドラマ」なんだよね。
 
 
 
たとえば 30年後の自分は ちゃんと自分の正義のために「組織」の親玉を殺そうとする けど 今の自分は自分の正義をつらぬこうとする。しかし よくかんがえると 両方とも自分なので 
 
「未来の自分の正義と今の自分の正義とどちらが正しいのか?」
 
 
みたいな 葛藤が 主人公以外でも たくさんみられるんだよね。
 
 
 
 
 
で、評価が別れるのは たぶん ラストシーンが「衝撃の結末」なのかどうか? なんだとおもう。
 
 
 
ラストシーンが 「衝撃の結末」っておもえる人は よい評価をするんだろうけど 僕は「ふーん。まぁ 別にそれで いいんじゃないですか」っておもってしまうので だから何よ? ってなるんだよね。
 
 
 
ここが 評価がわかれるとこなので 僕はそれほど高い評価には ならないかなぁ。
 
 
 
 
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「衝撃」なのは べつにあって それは この映画のもういっこの見どころでもあるんだけど、主人公の「ジョセフ・ゴードン=レヴィット」が いかに 「ブルース・ウィリス」になっていくか? というプロセスなんだよね。
 
 
 
具体的にいうと 「ジョセフ・ゴードン=レヴィット」がどうやって「ブルース・ウイリス」のようにハゲていくのか? というのが マジで丁寧に描かれているんだよ。
 
 
だいたい この2人似てないよね。かなり苦労して特殊メイクとかしたらしい。
 
 
 
実際 30年後の自分がやってきて いきなりハゲていたら 超おどろくよね。
 
 
しかも 即 殺さないといけないとか 衝撃だよね。 「なんて日だ!」 
 
 
実際 ハゲに驚いたせいか 殺せずに取り逃がしてしまうんだけどね。
 
 
 
ハゲていくプロセスを見どころにしている映画とかはじめてみたよ。
 
 
 
 
   
 
 
 
 
途中で 恋愛的な展開もあったりするんだけど そういうのをふくめて 「ターミネーター」っぽいね。
 
 
 
「衝撃の結末」かどうかは ぜひ観てたしかめてください。
 
 
僕は ハゲていくプロセスのほうが 「衝撃」だったけど。
 
 
 

2014年8月 5日 (火)

「ルール無用の殴り合い」の外食業界

今日は ネタ系のお話で いきますね。

 
 
僕のお客さんで 外食系のお客さんはとてもおおい。
 
 
もともと僕の出身がソッチだからってこともあるけど、コーチング以外にも、いろんなオーダーがあるよ。
 
 
 
 
外食とか教育とかは 誰もが経験しているので いわゆる「シロウトの床屋談義」がはびこる世界だね。 
 
 
 
訳知り顔で、「こうしたらいい、ああしたらいい」って話がでるけど 外食にしろ教育にしろそれは ほとんどが無意味なアドバイスだったりする。
 
 
 
教育は誰でも うけているので たとえば僕のような「コーチング」とかについても いろいろシロウトがいってくるけど そういうのは的外れなので 無視無視(笑)
 
 
ときどき 勘違いしてコーチング的なことを 仕事にしたりする人とかもいるけど たいていは 「教育」の分野は すこし参入するにはハードルが高いよね。
 
 
 
でも 外食、、、つまり 飲食店は はじめる人がとても多い分野だよね。
 
 
外食の経験はあるし しかも 「どこそこが美味い」とか「◯◯マニア」とかのひとが 勘違いして お店をやりはじめたするケースはおおいよね。
 
 
あとは 会社とかが 「サイドビジネス」的にやり始めるケースもおおい。
 
 
 
そして たいていは失敗に終わる。
 
 
 
理由はいっぱいあるんだけど 外食って 
 
 
「ルール無用の殴り合い」
 
 
の世界だからだよ。
 
 
 
 
ようするに 誰でもはじめることはできるので さまざまなひとが参入してくる、、、ということは ものすごくライバルが多い業界だよ。
 
 
 
しかも 大手だろうが 個人だろうが関係ないし 最近は他業種が 弁当やコンビニ宅配なんかでもライバルになるので 超激戦の業種だよ。
 
 
 
 
だから あんまり 儲かる商売ではないので 別のことをやるのをオススメするんだけどね。
 
 
 
で 雑談はこのへんにして 吉野家が都内で 居酒屋やっているらしい!
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 吉野家でちょい飲み――。吉野家が都内3店舗で実施している「吉呑み(よしのみ)」が話題だ。 店舗の2階で夕方から営業を開始し、酒やつまみを格安で提供しているという。

 はたして、吉呑みとはどんな店なのか? それを探るべく、吉呑みを実施している店舗に突撃した。

吉野家にさりげなく“赤ちょうちん”

 吉呑みを実施している店舗は、外から見ると通常の吉野家と変わらない(1階は通常の吉野家として営業)。しかしよく見ると、赤ちょうちんと看板が出ている。このさりげない感じが、普段牛丼を食べている店で酒を飲む“ちょっとした非日常感”を演出している。

今回訪れたのは吉野家の「西五反田一丁目店」。このほか、「東京駅八重洲通り店」「JR神田駅店」の都内3店舗で実施中(2014年7月現在)。外観は通常の吉野家と変わらないが、赤ちょうちんが目印
よく見ると、ちゃんと看板もある
大阪名物“うどん抜きの肉うどん”「牛すい」(350円)。牛肉とタマネギと豆腐が入っており、牛丼の牛肉を使用。麺が入った「牛すい麺」(400円)もある
「牛すじの煮込み」(350円)。見た目によらずあっさりとした味で、肉と大根がたっぷり
「焼いか」(300円)はぷりぷりとした食感で量も十分
マグロの刺し身は6切れ入りの「まぐろ刺身」(300円)と12切れ入りの「まぐろ刺身W」(500円)の2種類。厚みは十分だが、ドリップが出ていて色合いもいまひとつだった
 
(引用終わり)
 
これは 都内とか大都市の駅前店舗の夜の時間にやるらしい。
 
2階以上があるお店で 1階がふつうの吉野家 2階が「吉呑み」にするらしい。 こうすることで 夜にわりと空いている 2階以上の客席の有効活用になるってことだね。
 
 
 
すごく安いので 僕もちょっといってみたいね。
 
 
都内の駅前って 家賃も高いから もともと空いているお店の2階をつかうのはいいよね。
 
 
吉野家は、グループ企業に居酒屋のチェーンもあるから そこと協力したらしい。
 
 
 
 
こういうのは やっぱり大手じゃないと できないよね。
 
 
異業種にでていくばあいでも 「ちょい呑み=ファーストフード的居酒屋」っていうのがねらいだとすると 異業種のようでも 実は同業種なのかもね。
 
 
 
 
 
 
 
大手が こういうやり方やれば そうじゃないところは もっとスキマを狙うべき。
 
 
で、こういうお店もある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
同店の6kgの塊肉。部位は、和牛イチボ。和牛の同部位で6kgの塊を確保するには、イチボが最適だとか
 
 

2014年6月17日、渋谷にオープンした「炉窯(ろがま)ステーキ煉瓦(れんが)」では、約6kgの塊肉をそのまま、煉瓦造りの特注の炉窯で2時間以上かけてじっくり焼いている。

 焼き上がり時刻は毎日19時40分(金曜日のみ20時40分)が目安。その時間に合わせて来店た客全員で1つの塊肉をシェアして食べるというスタイルだ。開店時間の18時から焼き上がり直前の19時半まで(金曜日のみ19時~20時半)に入店する完全予約制で、焼き上がりまでは来店時間によって、アミューズから前菜、温菜までを楽しむ。メニューは塊肉をメインとしたコース(1人6800円)の1種類のみ。ただし21時以降はアラカルトにも応じるという。

 

(引用終わり)

     
 
 
これは また全然ちがうお店だけど 18席で 6800円のコース しかも 焼き上がりの時間に 来てもらって 全員でシェアする。
 
 
もちろん 1回で その日はおしまい。
 
 
いさぎよいね。
 
 
だから 連日予約で満杯になるんだろうね。
 
 
うーーーん おなじように こっちも行ってみたいよね。 肉、、、超おいしそう!
 
 
 
 
 
 
 
 
2つとも 同じ肉メインのお店だけど 本当に両極端だよね。
 
 
大手はやっぱり どんどんお客さんを回転して さらにいろんなところに手をひろげていく。
 
 
いっぽう そうでないところは スキマを狙って 徹底的にスペシャリティなところにすすんでいく。
 
 
 
 
 
 
一方で 僕なんかの個人でも 吉野家も 6800円のステーキハウスも たぶんどっちも利用者になるだろうから 個人がいろんな場面でつかいわけるんだろうね。
 
 
 
 
 
 
うーーん。 競争が激しい業界だから 今後どんなアイディアがでてくるのか 面白いね。
 
 
こういうのが 他の業界とかに影響あたえるから ウオッチするのは勉強になるね。
 
 
 
と、いう 雑談で 今日はおしまい。
 
 
それでは また次回!
 
 
 
 

2014年8月 4日 (月)

アドラーの「課題の分離」についてのノート

「課題の分離」について ちょっとはなしてみる。

 
 
まだまだ いきおいが衰えない  「嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え」 だけど このなかで あつかわれる重要なキーワードだよ。
 
 
 

 
 
 
 
アドラーの教えでは 「すべての悩みは 対人関係の悩みである」っていう思想だよね。
 
 
 
たとえば おかし売り場で子供がおかあさんに 「おかし買ってーー!!」と泣き叫んでいたとします。
 
 
そうすると お母さんは 「ダメよ!買いません」といって 手を引いていこうとしますが 子供はまったくいうことをききません。
 
 
大声で泣き叫ぶ子供に お母さんは困ってしまって 「じゃ 今度だけよ。1回だけよ」といって おかしを買いあたえます。
 
 
子供は泣きやんでおかしを食べました。
 
 
ところが 次の日 また子供は「おかし買ってーー!!」と泣き叫びます。
 
 
 
さて どうしたらいいでしょう?
 
 
 
 
 
 
 
これは アドラー的に考えると 「対人関係の悩み」になるわけだよね。
 
 
そうすると お母さんと子供との対人関係になる。
 
お母さんが悩んでいるのは 
 
 
「どうしたら うちの子はちゃんとガマンが身につけられるだろうか?」
 
 
ってことにみえるけど 実はそうじゃない。
 
 
 
子供が泣き叫んで困っているのは 「お母さん」なんだよね。
 
 
だから 「うちの子のガマンができないのが問題」じゃなくて 「子供がどうやったら泣きやむか?ということを お母さんは問題にしている」というのが正しい。
 
 
 
これが 「課題の分離」のポイントだよ。
 
 
 
つまり しつけができていない子供が問題じゃなくて 泣きやませたいお母さんの問題だってことだね。
 
 
だから お母さんは子供におかしを買いあたえた。そして子供は泣き止んだ。おかげでお母さんの問題は解決した。
 
 
ところが また子供が泣きだした。
 
 
 
なぜなら 前回泣いたら お母さんがおかしを買ってくれたからだ。 
 
 
だからまた 泣いたら買ってくれるとおもうはずだよね。
 
 
 
それはそうだよね。
 
 
 
つまり 泣き止ませるためにおかしを買い与えてしまえば、お母さんの問題は解決する。毎回買ってあげれば 子供は泣かないよ。
 
 
そう。
 
 
 
だから 本当にこれは「子供のしつけの問題で 将来 本人がこまる」とおもうのであれば 泣き止まなくて お母さんが困っても おかしを与えてはいけない。
 
 
 
 
つまり いまおこっている問題は いったい誰が問題にしていて 解決しないと困るのは本当は誰なのか? ってことをはっきりさせることが 「課題の分離」っていうプロセスだよ。
 
 
 
 
 
 
 
これって 要するに 「問題はなにか?」ってことをはっきりさせる そのまま コーチングのプロセスとおなじだよ。
 
 
 
 
で、 「課題を分離」すると アドラー的には このあと 両方で話し合って 「共同の課題」にしていく、、、ってプロセスになるんだけど このあたりがちょっと 僕がどうかな? っておもうところなんだけどね。
 
 
 
否定してないよ。
 
 
 
ただ じゃ さっきの子供とお母さんの場面で 子供とお母さんは 話し合って「これは2人の問題である」っていうことにする、、、とか現実的じゃないよね。
 
 
 
 
本とかにしてあるから うかつなこと書けないんだろうけど もうちょっとラフにかんがえてもいいよね。
 
 
 
 
お母さんが厳しく「ダメよ!」って 手を強くひいて、、、ってのを 何回かくりかえせば 子供も「あぁ もう泣いてもムダだな」っておもうし あとで 「あぁ あれはしつけだったんだな」ってわかれば それでいいよね。
 
 
 
ただこの「課題の分離」って、プロセスはとても大切で そうじゃないと問題はあつかえないよ。
 
 
これは1人で「課題の分離」をするにはなかなか難しいので おすすめは図に書きながら 誰かといっしょに ひもといていくのがいいとおもうよ。
 
 
と、いうことで また次回!
 
 
 

2014年8月 3日 (日)

相手を倒すのではなく 仲間をふやす

今日は 日曜で いろんなイベントなんかあったんだろうけど 僕は1日じゅう仕事やってたんだけど ちょっと疲れましたよ。

 
 
先日 友人たちだとはなししていたんだけど そのなかで 
 
「沖縄だから、、、っていう人って嫌い」
って話になったんだよね。
 
 
本当は別の原因で そうなってるんだけど 「沖縄だから」っていって 思考停止するのが嫌いって話しだよ。
 
 
 
僕も それに賛成。
 
 
とは、いうものの やはり「地方」とか「田舎」独特の 
 
 
「新しいことへの抵抗感から もっともらしい反対をいう人びと」
 
を 説得していくのはとても面倒だしたいへん。
 
 
 
じゃ どうしていくのか? って話しだけど 1つの回答が以下の引用だとおもうな。
 
 
 
 
 
(以下 引用)
 
 
 
 
 
 

むしろ賛成する仲間を増やす

――しかし、田舎の自治体で、新しいことをやる時というと、都会以上に障害も大きいのではないですか。まず市役所の職員をどういう風に引っ張っていくか、さらに市の外に出ると、田舎ってそれぞれの支持者に非常に強いつながりがあるので、反対派の壁を突破していくのは、とても大変なのではありませんか。

 佐賀県の古川(康)知事がよく僕を引き合いに出すんですが、「突き進む前にチームでやっているから」と。それでどんどん広がっていくんですよ。

 だから反対派を説得するっていうよりは、むしろ賛成してくれる仲間を増やしていく。あんまり反対派を説得するということはないですね。それよりも賛成の人が来たら、1を100に、反対する人が来たら100を1くらいに無力化する。

 反対派を無力化するっていうことが大事なんです。

 説得するとかではなくて、「あの人も、この人も賛成しているのか」ってなったら、人間はコロっと変わるんですよ、比較の動物だから。だって僕から説得されたら、余計反対になっちゃいますよ(笑)。

――少しおかしな言い方ですが、どちらかというと悪い奴は悪い事していると分かっているので、論理的な説得が効くんですが、私はこれがこの自治体にとって正しいことだと信じ切っている人って、逆になかなか説得するのは難しいですよね。

 大変ですよ。今まで行政ってそういう人にアプローチしてきたんです。そういう人ってまた声がでかいんですよね。だから、僕のような政治家とその人が、直接やり取りするよりは仲間を増やしていく。そうすると、結構、仲間と仲間の付き合いがあるんで、そこで無力化させる方がよっぽど合理的でかつ速い。

 だから僕らはいつもチームでやっているという認識があって、チームで行動するっていうのは楽しくやれるということと、もう一つ敵対勢力を無力化できるっていうことがある。こういう田舎だと、どっかでつながっていますもん。「あいつがあのチームかよ」ってなると、「ちょっと反対できないね」とか、「オレがちょっと間違っていたかも」という風になっていくんです。だから僕は上からドーン突破するんじゃなくて、フラットに仲間を増やしていく。

ダイヤモンド・オンライン より

     
 
 
 
説得するには大変なので そもそも説得はしないっていうのが 重要なんだろうね。
 
 
 
説得されるのは みんな嫌いだよね。
 
 
 
だから 「いかに説得すべきか?」 とうことではなくて 「賛同してくれる人を増やしていく」ってやりかた。
 
 
 
これは 以前  1対1の場面でつかうものとそうじゃないもの    とか   納得はできないけど 同意はするっていう合意はする  のエントリーで 話した 
 
 
「チームのコミュニケーションをとっていく」
 
 
ってことの重要なポイントなんだよね。
 
 
 
1対1の場面だと 「どうやって納得してもらうか?」ってことは 重要なんだけど 相手が「チームや組織」なら 納得してもらうより 同意してもらうことのほうが重要なんだよね。
 
 
そうじゃないと前にすすまない。
 
 
上の引用では 「仲間をふやす」ってあったけど 具体的に「仲間」をふやしていくほうほうは いっぱいあるんだよね。
 
 
ただ これは いわゆる カッコつき「仲間」であって プロジェクトごとに離合集散することになるよ。
 
 
、、、と このことについて話すとながくなるので 詳しくはまた別の機会に話すよ。
 
 
 
 
ただ 「チームや組織」でものごとにあたる場合 「チーム一丸となって 相手にむかう」とか「組織で協力して 相手に勝つ」とうのではなくて
 
 
「チームや組織の仲間を増やしていく」
 
 
っていうのがセオリーだって話だよ。
 
 
と、いうことで あとはまた次回!
 
 

2014年8月 2日 (土)

知らないと「すき家」みたいに崩壊するよ

BtoCのビジネスの会社、、、つまり お店をやっていたり 直接消費者に商品やサービスを売っている会社っていうのは 僕のクライアントさんにも とてもおおいよ。

 
 
僕は 人材関連のコンサルタントみたいなものなので 採用とかにもかかわることがおおいんだけど よくある質問に
 
 
 
「今の人数は適性数なのか?」
 
 
 
 
って話なんだよね。
 
 
 
これは ちゃんと計算式というか 指標があるんだけど 特別に今日は話してしまおう。
 
 
 
 
【指標 その1】 1時間で 1人の人が だいたい 3人~4人のお客さんを担当すれば かなり効率よい 人の配分になっている
 
 
【指標 その2】 1時間で 1人の人が 売上げ 4000円~5000円をあげていれば かなり効率のよい 人の配分になっている
 
 
 
この根拠をはなすと長くなるので はぶくけど すごくおおまかなガイドラインだよ。
 
 
当然 業界や業種の客単価や客数にも よるんだけど これで計算して 僕がもっている他の企業と比較して 分析します。
 
 
 
 
【指標 その1】をみて 「あれ~? これって超余裕じゃないの?」っておもう人もいるだろうね。
 
 
でも たとえば レストランで 4人のお客さんがきて ホールが1人 厨房が1人だったとします。
 
 
「おー ちゃんと ホール1人で4人担当してるじゃないか!」 
 
 
っておもうけど これは ホールと厨房と2人いるので 1人あたりの担当は2人です。
 
 
だから 店内にスタッフが2人いれば お客さんが8人きて 1人あたり4人で合格です。
 
 
 
 
だから 【指標 その2】だと 店内に2人いれば 10000円売上げないと 1人5000円の合格にならないってことだね。
 
 
 
 
 
お店で 人が効率よくうごけているのは この「1人あたりの客数」と「1人あたりの売上げ」両方でみていきます。
 
 
 
 
税理士なんかが 間違うのは この数字を「売上げ」だけでみるから 問題がおこります。
 
 
店内が効率よくうごける状態になかったり メニューがとてもおおかったり お客さんが注文にとても時間がかかるような状態だったりすると 売上げにたいする 人件費の比率だけでみれば 1時間あたりに 担当するお客さんがへってしまうので
 
 
 
売上げがさがる
 
お客さんの応対がとてもわるくなる(はやく終わらせようとする)
 
お客さんがもの凄く待つ(悪い意味で ウェイティングがでてします)
 
 
 
とか いう事態になるよね。
 
 
だから 現場としては 人数が減らせない。
 
 
 
 
 
 
そして 税理士や経営陣からは 「人件費の割合が高い! なんとかしろ」 とかいわれる。
 
 
ここで 人を削減すると最悪です。
 
 
 
 
 
 
 
だとすると けっきょく 「いかに効率よく 単価の高い商品やサービスを提供できるか?」という 生産性の向上のための いろんな方法を考えだす必要があるよね。
 
 
機械化するとか、道具を最新のものにするとか、レイアウトとか、お客さんにわかりやすい告知をするとか、、、 いろいろあるよね。
 
 
 
だから 客単価が高い商品を導入するのであれば それがそもそ効率よく提供できるような 環境をととのえないと 人をふやすか 効率を落とす(お客さんにまってもらう)しかないよね。
 
 
 
 
あたりまえだ。
 
 
 
 
ちなみに 【指標 その1】を 人時(ひとじ)接客数 【指標 その2】を 人時(ひとじ)売上高 とよびます。
 
 
 
 
 
 
 
と、いうことをふまえて ちょっとこちらを引用してみる。
 
 
(以下 引用)
 
 
 
 
 
吉野家の牛すき鍋膳は、たとえば一般的に居酒屋等で使用される「鍋」だと、結構背高で運ぶ際に安定性を欠くので、背が低いものを探してきたのだという。こういうところから一つずつ組み立てて、新商品を慎重に設計してきたというのが、関係者が異口同音に話すことであった。
 
結果、人時客数を大きく低下させることなくオペレーションを回す目途がたち、鍋の人気化に伴って来客数が増大してもある程度店を回し切ることが出来たという。客単価も大きく向上し、結果として吉野家の業績向上に大きく貢献した。
 
人時客数を維持できるならば、新商品投入時にも店を回せる。予想以上の人気商品となった牛すき鍋膳をみて、吉野家の関係者は胸をなでおろしたそうだ。店が荒れずに売り上げがあがる。久し振りのヒット商品だ、と。
 
少しして、すき家が「牛すき鍋定食」の投入を発表したとき、最初は彼らは悔しがったそうだ。こんなに早くキャッチアップされたのか、すき家も手が早いな、と
 
すき家が発表した商品イメージを見て、その認識は一変したそうだ。特に什器が専用化されていない。うちが早々に諦めた方法でやろうとしている。あれ危ないんじゃないか、と。
 
結果はご覧のとおりというか、他社関係者の予想をはるかに上回る勢いで店が荒れた。
 
すき家は労時売上を重視するあまり、「店を回せるか」という観点が経営層レベルから完全に欠落していた。なので、新商品投入時に「店をまわせない」レベルの欠陥商品を押し付けてしまい、しかもそれが自社の屋台骨をへし折る可能性に全く思い至らなかった。
 
(引用 終わり 傍線は僕がひきました)
 
 
     
 
 
 
 
こういうことって よくあるんだよね。
 
 
ここでいっているのは 「吉野家は 現場に影響ないように いろいろくふうをして新商品をだしたけど すき家は そのままくふうしないで出したので 現場が崩壊した」ってことだね。
 
 
 
それは たぶん経営陣が 「売上げに対する人件費のわりあい」しかみていないから こういうことがおこるってことだよね。
 
 
 
 
効率化するのは いくつか原則や手法があるので なかなか簡単にはできないときもあるよ。
 
 
 
でも そうしなければ 新商品やサービスをいれることはできない、、、客単価アップは見込めないので 現場まかせにするような案件じゃないね。
 
 
 
 
 
今回の すき家の件は すき家の人にとっては気の毒だけど 僕は説得するのに 良い例ができてしまったよ。
 
 
 
 
 
 
 
と、いうことで また次回!
 

2014年8月 1日 (金)

わからないときどうするのか?という経験学習

有名な学習モデルに コルブの「経験学習モデル」っていうのがあって いろいろ研究とか 発表とかされてるみたいなんだけど 実態はあんまり活かされてないね。

 
 
 
 
まず ちょっと コルブのモデルをカンタンに話すね。
 
 
 
 
1 具体的な経験、実践をする
 
最初に よくわからないけど やってみる。「経験学習」のモデルなわけだから 最初に経験がくるってわけだね。
 
 
 
 
2 ふりかえりをおこなう
 
「反省」とかいわれるけど どちらかというと データ収集みたいなイメージのほうがいいかもね。
 
この段階ですぐに「よし、次こうしよう!」って結論だすんじゃなくて ニュートラルにみたほうがいいかもね。
 
 
 
 
3 概念化 理論化 経験則になるようにすること
 
 
要するに 自分なりの理論というか 自説というか そういうものをつくるってことだね。
 
これが実はなかなか難しい!
 
 
 
 
4 似たようなケースや他の場面で実験して「自分の理論」が正しいか実験する
 
こんどは 理論を実験してたしかめるフェーズ。
 
実験でたしかめることを続けることで また「1 具体的な経験、実践をする」に戻ります。4→1がすこし被るときもあるだろうね
 
 
 
 
というのがカンタンな解説。
 
 
 
冒頭でもはなしたけど 「あんまり活かされてないよね」っていうのは よく勉強会とかで聞くみたいなんだけど 「やってますか?」ってきくと あんまりやってるって話は聞かないんだよね。
 
 
 
これは 「2 ふりかえりをおこなう」 と 「3 概念化 理論化 経験則になるようにすること」 がおこなわれない あるいは 不十分なことがおおいんだよね。
 
 
 
理由は 面倒くさいから(笑) もう これに尽きるよ。
 
 
 
なので これは1人では 自主的にはやらないので やっぱり2人以上で コーチングとかのフレームをつかうといいね。
 
 
 
 
正直 すごく優秀な人はこのサイクルを回すのが上手で そうでない人はこれがうまくいかない。
 
 
逆に言うと 優秀な人とそうでない人をわけるのは このサイクルを回せるかどうか?なのかもね。
 
 
 
 
 
うん。
 
 
 
いつもおもうんだけど、こういうのをやる習慣があるのか ないのかで すごく成果がかわってくるんだよね。
 
 
いや コーチングするといいってことじゃなくて 「経験学習ってのがあって、、、」っていうのを聞いて 「ほーそうか じゃやろう」みたいなかんじで ホイホイやると 大きく成果ってかわるんだよね。
 
 
 
たぶんこれは 経験学習、、、とかいっても よくわからなかったりするんだろうけど そこで 「わからないときどうするのか?」っていう経験学習があんまりできていない人がいるんだとおもう。
 
 
 
だから 経験学習のモデルをまわせるようになるには そもそも 「わからないときどうするのか?」というのを話しあうといいね。
 
 
 
「何かわからないところがでてきたとき、どうするのか?」
 
 
「困った時どうするのか?」
 
 
っていう「経験学習」がたくさん必要だってことだね。
 
 
ということで また次回!
 
 
 

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