明石家さんま、「努力は必ず報われる」と思う人に「見返りを求めるとロクなことがない」は正しい
僕は、「努力」教が大嫌いなのだ。
なぜなら できていないのは 「努力が足りないからだ」のように 原因が努力に還元されてしまうから。
「苦労すること」「嫌なことをすること」「同じことし続けること」「人の言うことをききつづけること」「大変なおもいをすること」、、、、、、なんかが 努力だとおもっている人がいるけど 大間違いだ。
以下 引用
さんまは、この言葉に対して「報われると思ってやっちゃ、ダメ」「努力を、努力であると思ってる人は大体間違っている」と真っ向から否定を行っていた。その理由としては、「努力をして何かを得られる、と考えることは見返りを求めることであるから」であるという。
引用終わり
「努力」教の人の、根っこには「それによって、何かが打開されたり 見返りがある」ということが信じられているというのがあるとおもう。
でも 「努力によって何かを変えよう」というのは 悪しき戦時中の「竹ヤリ、特攻」をおもわせるよね。
極端な例だけど 「竹ヤリ」でいくら努力しても 絶対に飛行機はおとせない。
じゃ、努力しなくていいのか?
そのまえに そもそも「努力」とはなにか? ということをかんがえたいんだよね。
「苦労」することが努力ではないよね。それは みんな同意するとおもうよ。
でも「努力」する過程では「苦労」することもあるのではないか? とおもうよね。
で、その結果 うまくいかなかったとする。
努力したけど うまくいかなかった、、、 それは努力以外の何かが足りなかったってことだよね。
つまり 努力してうまくいかなかったのは 努力不足じゃないね。
しかし 「努力」教の人は 「努力が足りない!」っていうかもしれないね。
さて 努力(苦労)して うまくいった場合。
努力が報われた! やり方はもっと良い方法があったかもしれないけど とにもかくにもうまくいった。 苦労が報われた! 努力してよかった!
「努力」教の人は 努力が実ったっていうだろうね。
?????
うまくいかなかったら 「努力が足りない」 といわれ
うまくいったら 「努力が実った」 といわれる
と、いうことは うまくいった場合のプロセスを「努力」とよび うまくいかなかった場合のプロセスを「努力中」あるいは「努力してなかった」とよぶのであろうか?
僕は だいたい これが「努力」の正体だとおもう。
身も蓋もないけど うまくいった場合の過去を「努力」とよび うまくいかなかった場合の過去は「努力不足」とよばれる。
本当のところはよくわからないけど 正直 この程度にかんがえておいたほうがいいとおもう。
でないと 本当に苦しいおもいをしている人が救えない。
だから さんま師匠みたいに 努力なんか大したことない、見返りとかどうでもいい、第一「好きだからやってるだけやから」ぐらいにおもったほうが、救われる。
僕はコーチングのクライアントさんとかには
「好きだからやってるって理由を見つけたほうがいいですよ」
って伝えてる。
だから とにもかくにも うまくいかせることですね。
どうにもならないこともあるので それに抗うとき「努力」という言葉はつかわないようにしましょうね。
では、また次回!
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