ライフログ、、、までいかなくても手帳とか
昨日は、論理的には説明できないけど、なぜか続けていること について話したよ。
その シリーズ第2回に今日はしてみる。
僕は 毎日日記をつけている、、、というか日誌を書いているんだよね。
このブログも今年になって 毎日かいているけど これとは別に毎日かいているよ。
日誌は 書き始めて 18年くらいになる。 だから、学生のころからとか じゃなくて 社会人になってしばらくしてからだね。
どんなふうにかいているか、写真とかあるといいけど それは一応非公開にしておく。
もちろん 誰にもみせてないんだけど 別にみられても 大して困らない。
だって 何があったかを書いているだけなので、たとえば
「起床5:00 眠い 11:00 ××社で○○さんと打ち合わせ 昼 △亭で中華丼 」
とか そういう記録?みたいなもの。
ちょこちょこっと 地域の出来事とか 身の回りのこととかも記録するよ。
「こいのぼり祭り 人おおい クリーニングとってくるの忘れた」 とか
これは もともとなんではじめたのか?というと まだ20代のときに 当時の上司が
「記録をとっておくと便利だよ。去年のことを、すぐに参照できるし 毎年おなじことをくりかえさなくてすむから」
って 教えてもらって それもそうだなって はじめたのがきっかけだよ。
記録は その当時は 会社で配布されていた システム手帳のカレンダーに記入していた。 見開きでA4、、、、つまり B5サイズのバインダーに1ヶ月ぶんを記入する感じ。
だから 1日 4~5行くらいだよ。 だからつづけられたのかもね。
そのあと 会社配布のバインダー → フランクリンプランナー → 陰山手帳 → ほぼ日手帳 、、、って変遷して 今は iPhoneで入力して EverNoteにかいているよ。
最近 「ライフログ」っていって 自分自身の1日の記録をとって それを見直すことで 仕事とか生活だったりのクオリティをあげるっていうのが よくやってるよね。
それに近いかも?
違いといえば 僕はデータとして残すものは 自分の関心のあるものだけにして 適当に途中でやめたりしているよ。
たとえば 食事制限をしているときは データを記録して しばらくつけておいて 制限しなくてもよくなったり 制限するのをやめたりすると つけるのもやめる。
わりと ゆるーく続けているね。
メリットは 正直はかりしれない。 とてつもないよ。
僕は 10年前の今日の日付の日に何をしていたのか、しらべたら直ぐわかるんだよね。
そして それは自分をみなおすのにとても役に立つよ。
つまり 何年間もおなじことで悩んでたり 失敗しているってことは それはもうあきらめたりやめたほうがいいってことを 過去の日誌がおしえてくれるんだよね。
仕事でもプライベートでも クオリティをあげようとするなら 「何をやらないか決める」っていうのは 本質的に重要なことだとおもうよ。
なぜなら 僕がコーチングをやっているなかで クライアントさんの話のなかで 本当によくでてくるパターンが
「おなじことを繰り返しているのに 違う結果を望んでいる」
って状態で 悩んでいたりするんだよね。
こういう場合は 何か違うことやらないといけないんだけど 何か新しいことやるってことは 何かをやめるってことだよね。
で、実は 「何かをやること」で 変化がおこるんじゃなくて 「何かをやるために やむを得ずやめたこと」のほうが 変化にたいするインパクトがおおきかったりする。
かんがえたら あたりまえで 変化をしようとしている障害をとりのぞいたわけだから そっちの方が インパクトが大きいに決まっている。
ただ それを 誰かにいわれたら 腹立つかもしれないけど 他ならない 自分自身で 「おいおい これ 3年前からおんなじ間違いやってるよ」とか 目の当たりにすると やめようって決心がつきやすいよね。
こういうのが 手帳1冊かってきて 1日5分くらいで できるなんて ほんとにやらなきゃ損だとおもうよ。
あれ? わりとメリットって明確だな。
「なぜか 続けている」シリーズになってないね。
まぁ いいか。
しばらくは ゆるーくやりましょう。
では、また次回!
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