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2014年1月

2014年1月31日 (金)

2014年 1月の人気エントリー

さて、「 毎日ブログ更新します 」といって なんとか1月は毎日更新できましたよ。  

 
 
正直、まだペースがつかめないんだけど なんとなく 
 
「 ブログ書くためにノートPC買おうかな 」  
 
とか 怪しいことかんがえたりしてるよ。 
 
 
 
僕が書きたいことと、実際に読まれるエントリーとの乖離がなかなかに面白くて 「こういうことに興味がある人が多いのだな」っていうのも ちょっとみえてきたぶぶんもあるな。 
 
 
 
 
と、いうことで 1月のアクセス数 BEST3を紹介してみるね。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
これは Twitterから引用したけど、僕がはじめてみたのは Tumblrでながれてきたものをみたんだけど そこでのニュアンスは 
 
「殺人犯に共通点はいろいろとさがしたけれども、けっきょくみつからなかった。しかし 1つだけ共通点をあげるとすれば 「がさつ」 ということでした」
 
ってことで 出自とか、職業とか、年齢とか、そういうのに共通点はないっていうのが 強調されてた。
 
 
だから 「がさつ」 っていうのが 余計に怖さをかんじるフレーズになっているんだろうね。 
 
 
「ルーズさ」はいろんなことの原因なんでしょうね。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
なんだか お正月やすみの箱根駅伝なんて 去年のことみたいにかんじるなぁ。
 
 
 
「クイックサービス」の重要性について書いていますね。 
 
 
これは 僕自身もコーチングするときに、とても気をつけてみている指標ですよ。 
 
 
仕事って 「速くやろう」とすることで上達するっていうのを 僕は信じています。
 
 
 
単純に速くすればいいって問題じゃないところがミソなんだけどね。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
これが 1番読まれていましたね。
 
 
 
 
よく会社で 「~を管理する仕事をしています」とかいったりする人いるんだけど それ「管理」って名前つかわないで 説明できるんだろうか?
 
 
 
仕事って 要するに できないことを できるようにすることで それなりのギャラ(給料)をとれるわけだよね。 
 
 
 
労務にたいして支払われるというのであれば それは時給換算なわけで 「こんなにたくさん働いているのに」 「こんなに頑張っているのに」っていうのは ちょっと違うかもね。 
 
 
 
「これはできませんね」っていうのが専門家の仕事じゃなくて、「こうすると できるはずだ」という話をしましょうってことですね。  
 
 
 
 
 
 
 
 
と、1月ふりかえってみたんだけど やっぱり、もうちょっと文章のクオリティをあげていきますね。
 
 
 
 
 
 

2014年1月30日 (木)

「クビにするぞ!」とか言われて、平気で辞めていく人たち

「その人の能力を伸ばすためには 何をすると1番伸びるとおもいますか?」 

 
 
という問いに なんと答えるだろうか?
 
 
僕が答えるとしたら 「伸ばしたい能力について 誰かをコーチして伸ばすこと」 って答えるかもね。 
 
 
 
 
この 「コーチして伸ばす」っていうのが ポイントで、「教えてできるようにする」っていうのとちょっとニュアンスが違う。
 
 
 
「教えて、できるようにする」 → できないことを できるようにする
 
 
 
「コーチして、伸ばす」 → できてることも できていないことも いまより成果がだせるようにする
 
 
 
イメージとして こんな感じかな。 
 
 
できないことが できるようになる というのも もちろんとても良いことだとおもう。
 
 
そして 実戦的で 効果もある。
 
 
 
 
ただ 「今より成果をだせるようにする」 というのは とても重要で、場合によっては 教えている自分よりうまくできるようになることもある。
 
 
 
 
 
 
だから 単純に 自分の知識とか経験を「教える」よりも 「今より成果をだせるように コーチする」っていうのは 大変かもね。  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
できていることも できていないことも 今よりできるようにする というのが ゴールだとすると 教える側としては どんなことをかんがえないといけないだろうか?
 
 
 
やっぱり まず 相手と向き合わなければいけないんじゃないかな。
 
 
つまり 相手と自分との関係性みたいなものが、重要だってすぐ気づくとおもう。
 
 
たぶん すぐに「相手が悪い、問題だ!」ってなるんだろうけど それでは いつまでたっても 教える側が合格点をもらえない。
 
 
なにせ 伸ばさないことには 合格にならないわけだからね。 
 
 
 
 
相手と自分との関係性 というのは 相手の事をかんがえることもあるし 自分のことをかんがえることもあるだろう。
 
 
相手と向き合うだけじゃなくて 自分自身とも内省するチャンスなんだろうね。 
 
 
 
ちょっと まとめると 
 
 
その人の能力を伸ばすためには 何をすると1番伸びるのか? 
 
 
「伸ばしたい能力について 誰かをコーチして伸ばすこと」 
 
 
「教えて、できるようにする」 → できないことを できるようにする
 
 
 
「コーチして、伸ばす」 → できてることも できていないことも いまより成果がだせるようにする 
 
 
なので コーチして伸ばすのは ちょっと大変かも。
 
 
やらないといけないのは、 
 
相手と向き合うこと 
 
自分と向き合うこと 
 
 
だから その人の能力が伸びるのではないか。
 
 
 
 
ふむふむ。 
 
 
 
なんか もの凄く 面白くない正論だなぁ。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ただ やっぱり 相手と向き合ったり 自分と向き合ったりするのって ちょっと面倒臭かったり 嫌だったりするから やらない人はやらないね。 
 
 
「ちゃんと 向き合わないと クビにするぞ!」 
 
 
 
とか いってもムダです。 
 
 
 
それで 平気で辞めていった人を 僕は何十人も知っていますよ。 
 
 
クビになるくらいでは やりたくないことをやるようになったりしません。 
 
 
 
 
つまり 「相手と向きあう、自分と向き合う」ということは 仕事とか収入とかと引き換えにしても やりたくないことなんだろうね。 
 
 
 
 
 
こういうのって どうしたらいいか? というと まず このことについて話あうってことでしょうね。
 
 
「向き合うことって あなたは仕事とか収入とかと引き換えにしても やりたくないことなんですね」って話し合うことでしょうね。  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「相手と向きあう、自分と向き合う」っていうことが どれくらいできるのか? というのはとても重要なんだよね。
 
 
逆にいえば それができれば 能力はとても伸びるということ。
 
 
 
けっきょく 人や自分と向き合うことが能力をあげるということですね。
 
 
 
ちなみに 「向き合う」って何か? というと 感情や気持ちを理解しつつも、そのバイアスから自由になること、、、、、、だとおもうな。
 
 
理解はしないといけない。
 
 
でも、同情からは逃れて 冷静にならないといけない。
 
 
そういうことなんでしょうね。
 
 
いろいろ大変ですね。  
 
 
 
 
 
 
 

2014年1月29日 (水)

泡盛とかについてかんがえる

もちろん ご存知のように 僕はお酒は好きで、うちでもそとでも、いただけるのであればいただく人です。

 
 
んで、何のんでるのか?というと ビールは最初で、あとは焼酎か泡盛をのんでいることがおおいね。
 
 
 
焼酎は、やっぱり鹿児島系のいも焼酎が好きで、もぐら とか 明るい農村 とか そういうのを のんでいることがおおい。
 
 
泡盛は、いろいろのんでるけど 僕がのんでいるのはどちらかというと 大メーカーのものじゃなくて 小さな酒造所がつくっているところのがおおいかな。
 
 
泡盛は、大メーカーの傾向は、どれも同じ傾向で ようするに 「いかに、本土の大メーカーの焼酎や日本酒に近い飲みやすさにするか?」競争の果てに( 果ててないが )いきついたもの みたいな風味のヤツがほとんでで それだと別に泡盛じゃなくてもいい。
 
 
ただ 沖縄では、安いので 消去法的に大メーカーの泡盛が、一般的にのまれているってことになるんじゃないかな。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
僕は 実は 泡盛は沖縄にきて しばらくはあまりのめなくて さして美味しいともおもわなかった。
 
 
もっといえば よくある観光客むけの居酒屋とかでだされる、沖縄料理とかもぜんぜん美味しいとはおもわなかった。 
 
 
 
 
 
 
でも それは のちに完全な間違いだとおもいなおした。 
 
 
 
 
 
 
とある2軒のお店にいったときに、ちょっと考え直したんだよね。 
 
 
 
 
 
最初にいっておくけど この2軒のお店の名前は、今はあかしません。
 
 
なぜなら、1軒はもうなくなっているし( つい最近まであった )、もう1軒は また別の機会に紹介できるとおもうから。
 
 
その2軒のお店にいって 沖縄の食材で、正統な沖縄の料理法で つくられた 沖縄料理は あたりまえだけど 沖縄でつくられた泡盛に ぴったりあう これ以外にない というほど 素晴らしい肴とお酒だったのだ。 
 
 
 
 
 
 
 
僕自身はちょっとかんがえこんでしまった。 
 
 
 
 
 
 
たぶん 泡盛の大メーカーは いかに泡盛の「エグさ」や「臭み」を消すか?ということに とても注意をはらっていて おかげで 比較的なんにでもあう 泡盛ができた。 
 
 
でも 僕がその2軒のお店でたべた料理は、沖縄料理の「エグさ」「臭み」のようなものを いかに活かすか? というような料理だった。
( じっさい その店では ゴーヤの「わた」ごとだされて、それがとても美味しかったのだ ) 
 
 
 
 
そして その「正統的沖縄料理」には、泡盛らしさが ガツンとまえにくる泡盛が とてもあうのだ。
 
 
 
 
なんというか、ぜんぜん関係ないんだけど 例えば ぼくのコーチングのクライアントさん企業のなかで 「いかに 本土並みにするか?」 っていう話がでるクライアントさんがいたんだけど 別に 「本土並みにする必要があるのか?」という視点は、その2軒のお店にいくまで あんまりせまってくる感じじゃなかった。 
 
 
 
 
 
でも ちょっとわかったのが 「らしさ」っていうのは やっぱり単体では よくわからなくて いろんなものの組み合わせのなかで 「らしさ」が発揮できるんだろうなっておもった。  
 
 
 
だから 泡盛単体で どうのこうのいうんじゃなくて 沖縄にきて ちゃんとした沖縄料理にあうお酒ってどれ? っていうと 「やっぱり、昔ながらのこれじゃないの」ってことだとおもうな。 
 
 
だから 「らしさ」を打ち出したいのであれば なんらかのパッケージが必要なんだろうね。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
とか いうこの文章は 実は 沖縄の泡盛をのみながらでもなく、ビールをのみながらでもなく、 さらには 焼酎を飲みながらでもなく なんと! 日本酒をのみながら書いています(笑) 
 
 
 
 
と、いうのも この 「菊水のふなぐち」  というのがえらく評判だ、、、、、 とききつけてのんでいるのですが、、、、
P001_01
僕には ちょっと甘いかな?
 
 
まぁ でも スーパーとかコンビニとかにも 売っているレベルとしてはまずまずかも。
 
 
お試しください。 
 
 
 
 
 
 
 
 

2014年1月28日 (火)

会議参加で「超お得」な2つの方法

誰かとミーティングをしたり、あるテーマで会議をしたりするときに 参加者として どの程度準備をしたほうがいいんだろうね。 

 
 
実際、会議をひらく側だったり、発言や発表をすることがきまっていたりする人は ちゃんと準備するだろうけど 参加者はほとんど準備してないんじゃないだろうか?
 
 
 
ってか 必要な準備ってなにそれ? っておもう人もいるだろうけど やっておいたほうが よいものを2つだけ ピックアップしてみた。 
 
 
 
 
1 議題について 「予想される難しいのではないか?」とおもわれる部分をメモしておく
 
 
議題は当日わかるケースもあるだろうし、わからなくても事前にある程度予想しておく。
 
 
そして、会議で話しあわれるわけだから なにかしら問題や困難があるはず。
 
 
そこで 解決策をかんがえておくのではなくて
 
 
「何が難しくしているのか?」 
 
ということをかんがえておく。
 
 
解決策をかんがえるのは 会議やミーティングで 出される情報をもとにしたほうが効率がよい。
 
 
「何が困難なのか?」  「何が難しくしているのか?」 というのは 議題からはなれないためにも 明確にしておくと便利。  
 
 
 
 
 
2 ノートやメモを2冊用意するか、線をひいておく
 
 
準備というか 会議中におこなうことかもね。  
 
 
仮に ノートに会議のメモをとっているとする。
 
 
そこに ノートに真ん中に縦に一本、線をひきます。
 
 
右側には ふつうの会議のメモ 
 
 
 
左側には 会議中におもいついた  
 
 
「あ、そうだ あれやっとかなくちゃ」 
 
 
とか 
 
「あーそうか これは会議に関係ないけど 自分のアレに役立つな」 
 
 
とか 
 
「ぜんぜん関係ないけど、いま思いついた良いアイディア」
 
 
を どんどん書きます。
 
 
 
会議後に 順番をつけて やっつけます。 
 
 
僕は 同じノートに書いたほうが その時の雰囲気が伝わるので同じノートの左側に書くようにしているよ。 
(もちろん 左右は逆でも良い)
 
 
 
会議中とかは 不思議と、会議とは関係ないアイディアがうかんだり、忘れていたことを思い出したりってことがあるよね。 
 
 
これは 関係なく 即座に左側に書いて、思いつくのであればどんどん書いたほうがいいよ。 
 
 
 
そこで ポイントは「アイディア」をメモするんじゃなくて 「この会議のあと どうするのか?」を書くこと。
 
 
 
たとえば Aさんに相談してみようか ということを思いついたとするよね。
 
 
そうすると 「Aさんに相談」 って書くんじゃなくて 「Aさんに相談できないか XX時に電話する」 とか書く。
 
 
これだと 会議後にすぐ行動できるよ。
 
ちょっとした違いなんだけど 効果はぜんぜん違うよ。
 
 
 
重要な会議だと 書くことで「メモした」という安心感で 議題に集中できるし つまらない会議だったら 時間のムダにならない。 
 
 
 
 
 
僕は どうしても参加させられたセミナーや講演会なんかには この方法をよくつかうよ。  
 
 
 
この2つは ちょっとしたコツなんだけど 知っていればとてもお得です。
 
 
 
今日 ちょっと コーチング中にこの2つをクライアントさんに お話したら けっこう喜ばれたので 紹介してみました。
 
 
 
 
 
 
 

2014年1月27日 (月)

そのビジョンはどんなときに考えたの?

目標きめて どうやって達成していこうか? というときに よくでてくるのが  

 

 
「明確な目標をきめましょう」 
 
 
みたいな ものなんだけど それがカンタンにできれば そりゃカンタンだよね。  
 
 
 
 
と、いうか 目標みたいなものって ようするに明確にできないから なんとか明確にしようとしてるようなものかもね。 
 
 
 
 
だから 目標を明確にしないといけません というのは ある意味むちゃなことかもね。 
 
 
 
 
なんかのスポーツの大会とかで優勝する、というのは 一見明確な目標みたいにおもえるけど 「じゃ、優勝すればいいわけね?」とか乱暴にいわれると なんか他の理由もあるきがしてくる。
 
 
 
 
 
 
まぁ でも 当面 目標がきまったとして コーチング的アプローチだと 「ビジョンをつくる」っていうふうになるんだろうね。
 
 
目標が先か、ビジョンが先か という問題はあるにしても 仮に 目標がきまったとしたら 次は ビジョンメイキングって いう順番にやるね。
 
 
 
 
コーチングを知って、とてもよかったな とおもう1つが この「 ビジョンをつくる 」っていうことの効果がよくわかったっていうのがあるね。 
 
 
 
 
僕は 「夢を叶えよう」とか いわれるのは 気持ち悪くて 「おおきなお世話だね」とか 考える人なんだけど 「ビジョンをつくる」っていうのは とても効果があるので わりと素直にやってます。 
 
 
 
 
僕が コーチングの場面で「ビジョンをつくる」という話をするときは 要するにいろんな角度から 状況がイメージできるようにする、、、、、 というような感じだよ。 
 
 
 
 
たとえば 達成したとき 誰がいてどんな雰囲気だとか そこまでのサクセスストーリーをかんがえたり 絵に書く人もいるだろうし 文章にする人もいるし メモや 写真のイメージを組みあわえる人もいる。 
 
 
 
そうすると 立体的になるので 目標までのみちすじを いろんな角度からおもいついたり 誰かに うまく話ができたりして 協力がえられやすくなったりする。 
 
 
 
 
 
そういうのって いわゆる「心理的」効果でなくて 現実的に効果がでるので なるほど これは いいなっておもうんだよね。 
 
 
 
 
クライアントさんを含めて 「ビジョンをつくる」っていう作業の現場にたくさんたちあったので 自分自身でも コツみたいなものはつかんできたようにおもうな。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その 「コツ」なんだけど 1つ紹介すると 
 
 
「どういう 心境のときに ビジョンをつくっているのか?」 
 
 
 
を意識することっていうのがある。 
 
 
 
 
僕は 状況をメモしておくんだよね。 
 
 
 
たとえば いろいろイメージを想像した場所が リゾートのカフェで おもいついたイメージだとする。 
 
 
そうすると そのメモに写真をくっつけておいたり 日付と場所とかメモしておくと、 
 
「あーあのときいい気分のとき おもいついたことかぁ」 
 
って おもいだすことができる。 
 
 
 
 
こんどは とても疲れてたり 嫌なことあったりしたとき ちょっと時間とって考えようって 考えたイメージも同じようにメモにかいておく。 
 
 
 
 
いいイメージのときに つくったビジョン(のいちぶ)が 必ずしも よいものではない。
 
 
イマイチのシチュエーションや調子のとき 思いついたビジョンが、けっこう役に立つこともある。 
 
 
 
 
だけど それを考えたときに 自分自身にどれぐらいバイアスがかかっていたのか 客観的になれるのは とてもいい。 
 
 
 
 
気分いい時は 「なんでもできるぞ!」とか おもうんだけど そんなこともないし 「現実的に行こう」って縮こまってるのが悪いわけでもない。 
 
 
 
 
ただ どっちかに、かたよっているものって けっこうひとりよがりになりやすいんだよね。
 
自分では 「これ以上ない すばらしい目標だ!」とか おもっているんだけど 他の人からみたら そうでもなかったり 逆に現実的すぎたりしてしまう。
 
 
 
だから 「どんな心境のとき ビジョンを考えたのか?」を意識することで ぐっと ビジョンメイキングの奥行きがひろがるよ。
 
 
 
 
 
この 「どんな 心境(シチュエーションやコンディション)でビジョンを考えたのか?」というのは メモしているといろいろ面白いことがみつかるので おすすめですね。
 
 
 
あと どうでもいいですけど 僕は手書きと、キーボードと、両方つかいながらかんがえるのが好き。
 
 
 
 

2014年1月26日 (日)

そんなに「特別な方法」が必要かな?

「複雑系」というのが 一時期とても ブームみたいにフォーカスされたよね。

 
 
複雑系ってどういうものか?というと ( って 僕も理解が十分ではない ) 全体を部分に割っていって原因を調べても、部分がそれぞれに影響しているので 
 
 
部分正解+部分正解+部分正解+、、、、、=全体正解  
 
 
にならない。
 
 
 
 
だから 全体は部分に影響しているし、部分は全体に影響している システム(系)である、、、、、みたいな 理解でおおむねいいんじゃないかとおもう。
 
 
 
 
それで 少しまえに たくさんの人に なぜ?フォーカスされたのかというと 2種類の人がいたようにおもう。 
 
 
 
 
1つは 「部分的な正解をきわめた、エキスパートの人たち」が 「ある程度のところまでは部分正解で のりきれるが 全体正解とかとてもわからん」 という認識で 複雑系のアプローチが必要だなって おもった人たち。
 
 
これは まぁ そうなんでしょうね。 
 
 
 
 
でも そのいちぶぶんの人たちは 最近では 「全体正解をだす方法とかは 全然わからん、、、、、けど ビッグデータで なんでそうなるかわからんが 答えはわかる」 って 感じになりつつあるね。 
 
 
 
これも 興味深いね。  
 
 
 
 
 
 
そして もう1種類の人たちは 「部分的な正解をきわめていない人たち」が、「ぜんぜんうまくいかないのは 複雑系のアプローチをしてないからだな。よし、複雑系だ!」 といった人たち。 
 
 
 
 
 
つまり 全体正解をだすのに 部分正解をきわめていても、いなくても どちらの人もうまくいかないので 両方のひとたちが 「複雑系だ!」 って 支持したんじゃないかとおもうな。 
 
 
 
 
 
合格点 80点の試験で 75点で落ちた人と 0点で落ちた人のコメントが同じように 「難しい試験だったよね」というようなもんじゃないかな。 
 
 
 
 
内容はぜんぜんちがうんだけどね。 
 
 
 
 
 
 
 
この話から 僕がおもうのは 「別のアプローチが正しいかも?」とおもうのは 実は「今までの方法を極めていないから」かもしれない、、、、 ということなんだよね。
 
 
 
極めた人も極めてない人も 同じように あるレベルにくれば壁にぶち当たりますよ ということがわかっていたとする。 
 
 
 
 
でも 「あるレベル」っていうのが よくわかっていないんだよね。 
 
 
 
 
 
それは 極めた人は 相当高いレベルまでいけるとわかっているが 最後のほんの何%かはムリだといっているのかもしれない。 
 
 
 
一方で 極めてない人は そもそも極めてないのだから本当だったらうまくいくのに すぐ手近なレベルで 「あーやっぱり、うまくいかない」っておもうかもしれない。 
 
 
 
 
 
 
 
 
果たして 今 じぶんがやっている方法を自分は極めているのだろうか? 
 
 
もし 自分が極めていると自信があれば そこから先は違う方法が必要だろう。
 
 
でも 自分が極めていると自信がなければ どのあたりまで それで進めるのか 確かめた方がいい。 
 
 
 
 
 
 
 
 
よく 「ビジネスに役立つ ○○○ の方法」とか「コミュニケーションをよくする ○○○ の手法」 「マーケティングの ○○○」とか あるんだけど さっきいったことと 照らしあわせると どうなんだろう。 
 
 
 
僕は ビジネスとかコミュニケーションとか そういうのは 普通の人が普通に仕事したり コミュニケーションしたりするのに 特別な方法はいらないとおもう。 
 
 
 
 
 
「特別な方法」じゃなくて 「普通の方法」で いいとおもうよ。 
 
 
 
 
普通の方法で 相当レベルまで うまくいくはずだし うまくいかないのは それは 「普通の方法を極めていないから」なんだとおもうな。  
 
 
 
 
 
ただ 「普通の方法」っていうのが 見えなくなってきているのも本当かもね。 
 
 
 
 
 
 
ところで 僕がやっている コーチングは普通の方法なんでしょうかね?
 
 
うーん 難しいことはやってないので 「普通の方法」でも「特別な方法」でも どっちでもいいですよ。 
 
 
 
だって 誰でも カンタンにできるので どっちでもいいです。 
 
 
 
仕事でつかうのに 難しければ意味ないよね。
 
 
 
 
 

2014年1月25日 (土)

紀子の食卓

別にたいした意味はないんだけど、なんとなく未見だったので DVDでみたよ。

 

 

Photo

 
 
 
映画監督って 2種類いるっておもってるんだけど 1作1作が完全に独立している人と ぜんぶで長ーーい映画を取っているような人といるんだけど 園子温監督はどっちなんだろうか?
 
 
 
正直 僕はよくわからなくて それは園子温監督が、かなり寡作だからなんだとおもうな。
 
 
 
「希望の国」なんか ものすごくタイムリーな物語なんだけど せまってくるものは 「愛のむき出し」とか 「「ヒミズ」  とかだけど たとえば 愛のむき出しもヒミズも何回みても感動は同じものがせまってくる気がする。
 
 
でも、「冷たい熱帯魚」とか「希望の国」とかは、ジャーナリスティックなセンセーションはあっても また観たいか?といわれると そうでもないな。  
 
 
 
 
1
 
 
 
で、この「紀子の食卓」は、題材がセンセーショナルなだけあって やはり今見ると「ふむふむ」という感じで 正直ちょっと「今、観る映画」ではない気がしたな。  
 
 
 
 
 
 
Images
 
 
ストーリーは、カンタンにいうと 
 
家族との関係や自身の現状に違和感を感じていた女子高生・紀子(吹石一恵)は、あるサイトにのめり込み東京へ家出する。
 
サイトの主宰者と出会った彼女はミツコと名乗り、レンタル家族の一員となる。
 
 
そのころ起きた女子高生の集団自殺に紀子の手がかりを見出した妹も家出。
 
その後母が自殺し、残された父親は(光石研)娘たちの消息を追う。 
 
 
 
 
 
まぁ その結果 わりと例によって救いようがない感じになるんだけど 家族関係の虚構性みたいなものっていうのは 少しまえなら テーマとしてありだとおもうんだけど 3.11のあとでは まぁ 今取り上げるテーマ ではないかもね。  
 
 
 
 
 
Images_1
 
 
 
ただ 例によって 女優陣の演技はすばらしい。
園子温監督の女優の撮りかたって 毎回ほんとうに 女優の良さを引き出しているとおもうな。
 
 
吹石一恵、吉高由里子、つぐみ とか 3人ともこの映画が最高傑作ではないか?
 
 
それだけでも 見る価値あるかもね。 
 
 
 
下は 園子温監督の若かりしころの「東京ガガガ」というパフォーマンス。
 
 
これも 面白い。
 
 
 
 
 
 
   
 
 
 
 
 
 

2014年1月24日 (金)

プラン・ジャパンの年次報告書

プランジャパンの年次報告書がとどいていたので、きょうは読んでいましたよ。

 
 
 
Photo
 
 
プランは かんたんにいうと 発展途上国の子どもたちの支援をおこなう団体だよ。 
 
 
金額は たいした金額じゃないけど ずっと昔から支援しているのは この団体は毎月パンフレットをおくってきてくれるので、そのたびに ちょっとだけ世界の子どもたちにかかわってることを 思い出すことができる。
 
 
 
 
正直 パンフレットみただけでは 活動しかかいてないから たとえば「その活動がどれくらい貢献しているのか?」とか、「どれくらい意義が高いものなのか?」っていうのは わかりにくいだろうね。
 
 
でも ときどきこの支援している国の「チャイルド」とよばれる子供から手紙がきたりするんだよね。
 
 
そうすると その国ってどんな国なのかとか、経済状況とか、宗教とか、歴史とか、そういうことに関心をもつことができる。
 
 
それで、日本から行けばどれくらいの時間と、お金がかかるのか? とか なんかいろんなことをかんがえるきっかけになって、正直 僕のほうが 感謝したいくらい。 
 
 
 
 
 
Photo_3
 
 
 
 
 
僕がいつも関心をもっているのは 「子ども」の歴史はとても浅い ということなんだよね。
 
 
高校の世界史なんかでも、本当は習うらしいんだけど( 僕は「地理」選択者なのです )げ「子ども」という 明確に大人とくべつすべき対象として認識されたのは 比較的最近のことで それまでは 「小さな大人」としてあつかわれてきた ということらしい。
 
 
実際 子どもの権利条約では18歳未満は子どもと定義するという 国際条約があるんだけど 国によっては成人の定義が16歳だったりしていて 未成熟なまま社会から守られないということもある。
 
 
 
こういうのが アジアだったり アフリカだったり ラテンアメリカだったり いまや僕の知りあいなんかが 日常的にかかわっているような国々が未だにそんな状況だっていうのが けっこうリアルにつたわってくるんだよね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
まぁ 実際「プラン」が支援できるような国や地域は、そもそも恵まれている地域だ とかいわれているらしいけど それでも こんなふうに ときどき関心をよびさましてくれるのはありがたいね。
 
 
 
 
 

2014年1月23日 (木)

早く帰れないのは「成果」がはっきりしてないからではないか?

みなさんどーも、コーチングオフィス沖縄の白水淳です。

 
 
とくに元気に登場しようとしたわけではないけど たまには挨拶からはいろうかと。
 
そんなこんなで 今は毎日更新のために試行錯誤ですね。 
 
 
 
 
 
 
ところで 今日気になったこと。 
 
 
 
 
 
 
 
 
僕のコーチングのクライアント企業では、男性社スタッフより 女性スタッフがおおい職場がけっこうある。 
 
 
 
 
そこで やっぱり問題になるのが 「出産女性社員の働き方」とか「ワーキングマザー」の働き方とかなんだよね。 
 
 
 
 
比較的むかしから 沖縄では 女性がはたらくことに 違和感が無い社会だったんだけど やっぱり 出産、子育てとフルタイムの仕事の両立って とても難しい。 
 
 
 
 
実際 ある程度、規模が大きい会社とか、よゆうがある会社なら 育休とか時短とかもとれるんだけど ほとんどがそうでない会社だから 実態は辞めてしまうとか、パートタイマーになるとか そういう状況になるね。 
 
 
 
 
 
会社側とか、経営者側とかに これ以上「考慮」とか「思いやり」とかは 現実的にムリで 「どっちかが なんとかせい」というのは まったく不毛なはなしだとおもうな。 
 
 
 
 
解決には ならないかもしれないけど ひとつ僕がコーチングをやっていて気づくのが けっこうたくさんの会社で 仕事の「成果」がなにかきまってないところがおおいんだよね。
 
 
いや 数値目標はあったりするんだよ。 
 
 
 
 
でも それだと あんまり頑張ってなくても 世の中の時流にのったりして数値目標達成したりするじゃない? 逆だってあるよね。
 
 
 
だから 「何をすれば 十分な貢献になる行動なのか?」っていうのが 会社や上司 もちろん本人にも よくわかっていないケースがあるんだよね。
 
 
 
「あなたには これをやってほしいんですよ」 というのを伝えられてない人がとてもおおいんだよね。 
 
 
 
 
だから なんとなく時間で 貢献度をはかられてしまうので 早くかえりにくいんだとおもうな。 
 
 
 
 
僕は これができたら帰こってよい、という時間の成果目標をつくれないだろうか?とおもう。
 
ふつうは成果目標を達成すると 給与に反映されるんだけど そうじゃなくて 帰れるということにできないだろうか。 
 
 
 
 
 
スタッフが 自分たちは本質的に何を求められているのか よくわからない というケースはとても多いんだけど でも経営者側も 何を求めていいのかよくわかってないんだよね。 
 
 
 
 
 
もちろん これは経営者の責任、、、、みたいになってしまうんだけど それでは 偉大な経営者以外の会社は ぜんぶ労働環境が改善しない。 
 
 
 
 
だから これは スタッフ側も自分で自分の仕事の取り決めみたいなものを提案する必要もあるとおもうな。 
 
 
 
1人で上司にお願いするんじゃなくて 上司の人と一緒に会社にとおしていくみたいなイメージでね。  
 
 
 
 
そうすれば 成果も決まるし 早く帰れる条件も決まるし すこし改善するような気がするな。
 
 
 
現実的に 「会社の成果(目標)は何か?」って経営者にきいても答えられないケースがおおいんだよね。
 
 
それを 話し合ったり 決めていくってプロセスが大事なのかもしれないね。
 
こういうのは ぜんぶリンクしてくるし もうちょっと僕自身サポートしたいですね。
 
 
 

2014年1月22日 (水)

「21日で習慣が身につく」は必ずしも真実ではない、らしい。

 

 

表題の件、、、、、、らしい。

 

 

 

 
 
 
 
 
 
よくいわれることで 「3日、3週間、3ヶ月」つづけるといい、とかいわれるよね。 
 
 
 
 
信じて 昨日21日連続で ブログ更新やってみたんだけど、、、、、 
 
 
 
ただ 次のハードルは 3ヶ月だなっておもっていて 3週間と3ヶ月のハードルは、あいだが大きいなー とおもっていたんだけど。 
 
 
 
 
それでは指標となる"魔法の数字"はなんでしょう。研究によれば平均して66日でしたが、人によって違いますし習慣の形成(または除去)がどれほど困難かにもよります。ありがたいことに、『Psychology Today』(英文)は66日間で1日だけやらなかった日があっても大したことはない、と指摘しています。(引用終わり) 
 
 
 
 
 
次は 66日だそうなので 66日めざしていきたいとおもいますね。  
 
 
 
 
 
と、いうことで 今日はこれだけで おしまい。
(  手抜き  ) 
 
 

2014年1月21日 (火)

昨日から、食べてばかり。

今日は ちょっと日記モードで書いてみる。
 
 
朝の沖縄は けっこうな雨で 雨のわりには寒い朝だったよ。 
 
 
ところで 昨日の夜は 某氏と 泉崎の小やじ で いろいろと作戦会議(笑)
 
 
2
 
 
 
 
宮城県のお店なので 牛たんとか食べながら 日本酒を順番にけっこう呑む。 
 
 
 
 
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沖縄でも最近ちょっと寒いので あったかいものを結構たのんでるね。 
 
 
 
 
 
 
 
 
そのあと、沖銀本店横の屋台で また一杯。 
 
 
道行く人に見られながら、個人的な話とかしながら。 
 
 
 
 
 
 
 
けっこう、遅い時間だったけど ながれで 近くの 「もとなり」へ。 
 
 
 
 
 
3
 
 
 
 
 
 
 
いわゆる 〆ラー という奴ですね。
 
 
ヤバイけど 呑んだあとはラーメンはうまいんだよね。 
 
 
 
 
 
 
めずらしく 遅くまで徘徊していたんだけど 朝はわりとふつうに起きる。 
 
 
 
写真はないけど 自作したカレーが、なかなかに美味そうな雰囲気で おもわず「朝カレー」してしまう。
 
 
 
午前中は事務所で仕事。  
 
 
 
コーチング関連じゃない仕事の企画書作成。
 
 
 
 
 
 
 
 
僕は 人材関連のコーチングとかが、本職なんだけど 最近はいろんなことを頼まれる。
 
というか 自分でも飛び込んでいくことがおおい。 
 
 
 
 
誰がいってたか忘れたけど とりあえず、自分の仕事の範疇かどうかわからないことは 1回はひきうけてみる。 そして あんまり向いてないのであれば それでやめればいいんだけど わりとハマったら また続けてみる、、、、、、 という仕事のやり方を聞いて なるほど とおもって いまはそうしてますよ。 
 
 
 
 
実際、このあいだ 僕の研修のコンテンツを数えてみたら 51個あったよ。 
 
 
 
それぞれ 最低でも2時間はできるから 100時間以上のプログラムを僕1人でできるという計算になるね。  
 
 
 
 
 
もちろん そんなことはやらないけど それぞれに クライアントさんからの「1次情報」をもっているので 話のネタには事欠かないな。 
 
 
 
 
 
研修やってても どこかの有名企業の話とか、エラい人の話なんかより 僕が実際に見た1次情報の話のほうが 断然ウケがいい。 
 
 
 
 
メモとってた人とか とるのやめて 俄然こっちに注目するもんね。  
 
 
 
いままで 発言しなかった人が 手をあげて質問してきたりとか。  
 
 
 
 
たぶん 自分自身の経験とか体験とかに ひきよせて聞いているんだろうね。
それで いろいろ聞きたいこと 喋りたいことがでてくるんだろうね。 
 
 
 
 
 
そんなこんなで あーでもない、こーでもない と企画書いて午前中おしまい。 
 
 
 
 
 
 
 
 
知りあいから電話あって ぜんぜん関係ないけど 「ほか弁」の話になって 話してたら 食べたくなって 買いに行く。 
 
 
 
 
 
 
4 
 
 
 
 
おー 写真でみると ひときわジャンクだね。  
 
 
なんか お昼は15時まで 50円引きで 370円だった。 安いな。  
 
 
 
考えたら 昨日から食べてばかりだな。
 
 
ちょっと 炭水化物おおすぎー 食べすぎ。
 
 
 
 
 
 
 
 
午後 1社 コーチングに出向く。 
 
 
 
終わって 別の会社で研修。 
 
 
 
会場が急遽変更になったんだけど それはそれで結果的によかったかも。 
 
 
 
 
 
 
 
事務所もどって ちょっと明日の準備とか。
 
 
 
なんか いつも出歩いているようにおもわれるんだけど 本当はそんなことはないんですよ。
今日は おとなしく帰る。
 
 
 
では また明日!
 
 

2014年1月20日 (月)

「ほんとに成功する方則」を、できる技術

さてさて、本当に成功する方則っていうのがあるらしい。 

 
ずいぶんまえに 面白かったのでアーカイブしていたんだけど ふと思い出してひっぱりだしてみた。
 
 
 
 
僕が 面白いなとおもったのは 「プレイヤー(駒)になりきれるかどうか。このことが、納得できるかどうかが、「成功」と「不成功」の分かれ目なんだなぁ。」というところ。
 
 
 
ちょっと 引用してみる。 
 
 
 
そして、「ゲーム」がはじまったら、
「あなた」という「主人公」は、
「目的」に向かって進むことそのものを
「目的」にすることになるんだ。

「駒」というのは、そういうものだからね。
いままでの「目的」や「主人公」の設定は、
まず、すべての前提だよね。
そして、「主人公」が「じぶん」であると
しっかり了解することが決意というものだよ。

でも、「駒(プレイヤー)」になりきれるかどうか。
このことが、納得できるかどうかが、
「成功」と「不成功」の分かれ目なんだなぁ。

スゴロクとか、将棋だとかの「駒(プレイヤー)」は、
「目的」を実現するためのことしかしないだろ。
チェスの駒が、めし食いに行って休んでます、
なんてことはないんだよね。
 
(引用終わり)
 
 
 
僕のうけとりは 「非情にプレイヤーに徹せよ。すべては目的のために捧げるべし」 というようにうけとったよ。  
 
 
 
これは とても納得できるな。 
 
 
 
 
 
自分がプレイヤーとしてかかわっているということは そのプレイヤーに徹することができるかどうか? というのは成功、、、、、というか 仕事をうまくいかせるためにとても大切だとおもう。 
 
 
 
 
僕がいいたいのは だから プレイヤーに徹する心構えが大事だととか、そういう教条的なものじゃない。
 
 
プレイヤーに徹する、駒になりきるというのは これは1つの技術だとおもうんだよね。
 
 
つまり ごく自然に自分自身をすてて 非人間的に駒に徹するということは 最初はできない。 
 
 
 
それができるようになるには 精神論や心構えではない。
 
 
できるようになったのは 「自分を捨て、駒に徹する」ための技術を手に入れたからなんだよね。 
 
 
 
 
 
 
これが 精神論とか心構えだとかにするので ややこしくなる。 
 
 
 
 
 
「自分を捨て、駒に徹する」には  
 
 
駒になることで大きなメリットを手に入れることを知る必要があるし、 
 
 
メリットを手に入れられるように交渉したりトレードしたりする技術も必要だし 
 
ゲーム自体を拡げて最大化できるような働きかけも必要だし、 
 
そもそもプレイヤーとして抜群のスキルをもつよう研鑽も必要だし、 
 
 
と、、、いうようなことは全部 「成功の技術」なんだとおもうよ。 
 
 
 
 
 
 
 
だから うまくプレイヤーになりきれないというのは 技術不足ということだよね。
 
 
 
うーん これは逆にシビアな話かなぁ。 
 
 
 
つまり 駒に徹することができないというのは、人間のプライドや、はたまたリーダーの問題でなくて 本人の能力不足ということもできるね。 
 
 
これはちょっとつらいかも。
 
 
つまり 駒に徹することができないのは そんなひどいことを要求する周りのせいだったり 「これは俺のプライドが許さない」みたいな男気とか関係なく ひたすら自分自身の能力が無いせいで ただただ自分が悪い、自己責任ってことだからね。 
 
 
 
 
 
でも 「技術」とすることで 習得可能だという見方もできる。 
 
 
 
「成功の方則はプレイヤー、駒に徹することだけど それは身に付けることができるので 技術を磨いてできるようになれば 誰でも成功することができる」ということだね。  
 
 
 
 
 
だから 逆に
 
「なんで俺がこんなことやらないいけないのかな?」
 
とか気持ちの問題にするのではなくて 
 
「さて、何をどうすれば 駒に徹することができるかな?」
 
「プレイヤーに徹することで、自分自身のメリットを最大限にしないと損だな。」
 
とか 戦略を練ることができるということだね。
 
 
 
 
 
 
できたら 次からはスーーッと ゴルゴ13みたいに プロの殺し屋みたく プレイヤーに徹することができればもっといい。 
 
 
 
往年の川相昌弘のように 職人として活路を見出すのもいいね。
( たとえが古いな、、、) 
 
 

 
 
僕は こんな風におもっているよ。
 
 
たぶん イトイさんが言ってるから間違いないとおもうよ(笑)
 
 
 
 
 

2014年1月19日 (日)

自律的になる方法

自律的になる方法について書いてみる。

 

 

たとえば 朝なかなか自分でおきることができなくて お母さんに起こしてもらう子供がいたとしますよね。  

 

 
お母さんは 
 
「どうして 自分でおきることができないのかね?」 
 
とおもうでしょう。
 
 
 
 
 
それで 次の日から 大きな音がなる目覚まし時計を買ってきました。 
 
 
 
 
目覚まし時計によって お母さんから起こされずに起きることができるようになりました。 
 
お母さんは 
 
「おお、自立心が芽生えてきたのね」 
 
 
とか思うんでしょうね。 
 
 
 
 
 
 
そうです。 
 
 
カンタンだよね。
 
 
 
お母さんに起こされているから それは自律的でないといわれるんだけど 目覚まし時計に起こされれば それは自律的だといわれます。  
 
 
 
つまり 人から手助けをされると 「自律的でない」といわれるし モノに手助けされると それは「自律的である」といわれるわけです。 
 
 
 
だから 子供に自立心を芽生えさせるには 人をつかうのではなくて 何か「モノ」をうまくつかうことで 人の手をわずらわせずできる簡単な方法を 教えてあげれば いいわけだよね。  
 
 
 
 
それを 面倒くさがらずに 教えることが必要じゃないかな? とおもうんだよね。 
 
 
 
 
部下や後輩への指導も 
 
「こうすれば1人でできる」 
 
「こうすれば 1人で練習できて 上達できる」 
 
「これで ずいぶん効率がよくなる」
 
 
という 「方法」 を提示してあげることが必要なんだとおもうな。  
 
 
 
僕自身がコーチングをやっていて 感じるのは 上司側が 「方法」をよくしらなかったり 「方法を見つける方法」を提示してなかったり(あるいはできなかったり)しているケースがとても多いよ。 
 
 
 
 
まぁ 1番カンタンな方法は、「1人でできるには、何があったらできるとおもう?」 と質問することじゃないかな。 
 
 
 
少なくとも 1人でやって欲しい という意志は伝わるしね。
 
 
 

2014年1月18日 (土)

「マン・オブ・スティール」 スーパーマン壊しすぎ

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マン・オブ・スティール」は スーパーマンの映画ですよ。

簡単にいうと 「よく知られているスーパーマンの設定になるまでを描いた映画」ですね。

製作が クリストファーノーラン、、、、、ということは バットマンシリーズと同じように スーパーマンが 「なんで 俺が闘わないといけないのか?」と 碇シンジくん的に思い悩むのか、と思いきや、、、、、、、、、、 

 

 

 


その通りでした(笑) 
 

 
バットマンやスパイダーマンなど アメコミヒーローが苦悩 葛藤した結果 世の中を救うことになる! っていうのは 最近のはやりみたいだけど スーパーマンって 僕の印象では 一番キャラがおバカで 明るくて 荒唐無稽な気がしていたので いろいろとムリがあるんじゃないかな? と思っていたんだけど、、、、、、、、、、、 
 
 
 
 
 

その通りでした(笑) 
 

やっぱり ちょっとムリがあるなぁ。
 
 
スーパーマンの設定は クリプトン星からやってきた宇宙人スーパーマンは ふだんはイマイチうだつが上がらない クラークケント という人間に扮して 新聞社で働いているが ひとたび人類の危機がおこると 電話ボックスで スーパーマンに着替えて 地球をすくう というものだよね。
 
 
要するに この映画では  なんで こういう設定になったのか? ということを いかに納得性が高く見せるか? というところが見どころなんだよね。

とくに 「電話ボックス」って いまやほとんど見かけなくなったので コンビニのトイレとかで
着替えるのか? いやそんなことないだろう、適当にごますんじゃないかな?と思ってたんだけど、、、、、、、、、、、、 
 
 
 
 

 
その通りでした(笑) 
 

 
 
 
やっぱ 設定にむりがありまっせ ノーランはん。 
 
 
 
けっこう 笑ったのが スーパーマンとクリプトン星からきた宇宙人との 「超人対決」で これは 映像的には もの凄い。
 
超人同士の闘いがリアルにつたわってくるし いままでに見たことがない映像で 見る価値大!だとおもうな。
 
 
ただ スーパーマン、、、、、、壊しすぎ! たしかに地球の危機だけど 殴りあうだけで ビルとか3つ4つ簡単にこわすし あれは けっこうヒト死んでるんじゃないの? 
 
費用的にも あんまり地球人にやさしくないですよ。 
 
まぁ 地球のためとはいえ  「おいこら ケンカは外でやれ外で!」って そりゃいいたくなりまっせ。
 
 
でも 地球の危機をすくってくれて ありがとうございます。
 
 
続編 必至でしょう。 

ってか 続編は バットマンVSスーパーマンらしい、、、、、 ケンカはゴッサムシティの外でやってくださいね。   
 
 
 
 
Poster
 

 
 
ところで クラークケントの母親役(養母ですね)に ダイアンレインがでてるじゃないか! 
 

デビュー作の 「リトルロマンス」から 「アウトサイダー」「ストリートオブファイヤー」「コットンクラブ」とか 見てた僕としては なんだか突然の登場にちょっとビックリしたよ。  
 

 
華やかな印象があった 彼女だけど 意外と「気骨ある母親役」とか わりといいかもしれないとかおもったな。 
 

あと 父親役で ケビンコスナーもでています。 
 

なんか ドラマの大物俳優枠 みたいな感じで ちょっとでてきて オイシイ台詞だけいって すぐ引っ込むみたいな役どころですね。 
 
 
次回作も ダイアンレインが 母親役ででてくれると ちょっと嬉しい。 
 

 

2014年1月17日 (金)

ホワイトボードの方則

僕はいろんな企業さまへ 出向いてコーチングとか、研修とかやったりしているんだけど 出向いた先の企業さまの会議室とか 研修室とかをつかうことが多い。

 
 
たとえば はじめて研修を おこなう会社で いわゆる「良い会社か?否か?」というバロメーターになるものがある。 
 
 
 
 
それは 「ホワイトボードが綺麗であるかどうか?」なんだよね。 
 
 
 
 
 
ホワイトボードが綺麗であるというのは、  
 
 
 
 
ボード部分に 前に書いたあとが残っていない。 
 
ホワイトボード消し( なんていうのかわからないけど 黒板消しみたいなやつですね) が 汚れていなくて 消しやすい。 
 
ボードについている マグネットが整然としている。 
 
 
ボード下のマーカーをおいたり 消すやつをのせたりする 溝部分が掃除されている。 
 
マーカーが 3種類そろっていて どれかが多すぎたり 少なすぎたりしない。 
 
「足」部分が ちゃんと動いて 「キィィィーー」とか不快な音がしない。 
 
 
 
 
 
 
などなど。 
 
 
 
 
 
ホワイトボードが綺麗な会社は ホワイトボードを消すだけじゃなくて ちゃんと掃除をしているんだよね。 
 
 
 
掃除にはそんなに時間かからないよ。 
 
 
 
まぁ 雑巾でボードや溝を拭いたり 消すやつを洗ったりとかで 15分程度でおわる。
汚い会社は たぶん1度もやっていないんじゃないか? とおもえるような会社もある。  
 
 
 
 
ホワイトボードを使うのは 僕だけではないはずなので 僕以外の人も綺麗なホワイトボードだと 気持ちいだろうし 汚れていれば不快だろうね。  
 
 
 
 
黒色のマーカーが 1ヶ月以上なかった会社もあるよ。 
 
 
 
 
 
 
ホワイトボードが綺麗な会社は「良い会社が多い」。 
 
 
 
これは 僕が勝手に 「ホワイトボードの方則」呼んでいるもので 結構信ぴょう性が高いとおもうな。  
 
 
 
 
 
つまり ホワイトボードのようなものの 整備のしかたとか 使い方とか そういうものの取り決めがある会社というのは 他の仕事の重要な取り決めも守られている、、、、、というのは 間違いない。 
 
 
 
 
逆に ホワイトボードが汚い会社は 会議やミーティングが しっかりおこなわれてなかったり 行き当たりばったりだったりしている可能性が高い ということなんじゃないかな。 
 
 
 
 
 
ちなみに ここでいう 「良い会社」の定義ってなんでしょうか? 
 
 
 
それは 「仕事(レスポンス)が速い会社」です! 
 
 
 
 
僕みたいな 外部の人にレスポンスが速い会社は お客さんへの対応も速いことがおおいですね。 
 
 
 
もちろん 例外もあるんだけど どうぞ 御社でも ホワイトボード綺麗に掃除してくださいね。 
 
 

2014年1月16日 (木)

学校の勉強は社会に出て恐ろしく役に立つ

かつては「偏差値の高い難関校」はそれ自体がひとつの目安となり、たとえ「グータラ学生」だったとしても常識や一般教養は身についていると期待できた。そのため企業側も、採用時には学力よりもサークル活動など学生生活の充実ぶりに注目した。ところが昨今は大学のレベルを問わず、「勉強しない」の意味が「常識を知らない」と同義になりつつあるようだ。興味のある分野には徹底して関心を寄せるが、逆にそうでない分野は一切知ろうとしない若者が増えたと石渡氏はみる。 

   ただ今日でも、大学でまじめに授業に出席し、勉強に励んでいる学生は就活に必要な社会常識や一般教養が身についているという。逆に基礎学力がない学生は、徹底して欠けている。言わば二極化が進行しているようだ。 

 

「小学生レベルの学力」どころではない 難関大の学生も驚愕の「常識崩壊」 

 

 

 

まぁ、この記事は  

 

「就職試験で、学力重視の企業がふえているのは 難関大でも常識がない人が増えているからだ」  

 

 というところに着地させたいんだろうけど 実態は ぜんぜん違う。

 

 

 

この記事を書いた 記者かライターかしらないが 取材していないことはすぐに分かる。

 

 

 

 

 

僕が就職活動をしていた時代は 「有名大学でた だけ ではだめで しっかりコミュニケーショ能力がないとダメ」 という基準がおおかったような気がする。

 

それは つい最近までも主流で むしろ いわゆる「コミュニケーション力」みたいなものの偏重が 凄かったんじゃないかとおもうな。 

 

「学校の勉強と社会とは違うんだ!」

 

「就職したら 大学までの勉強はすべて忘れた」

 

などという言葉が 平気でいわれていた。 

 

 

最近もそのような 「コミュニケーション力」「人間力(笑)」などが 就活の重要なものだといわれてきた。 

 

だから 「就活塾」的な ナンセンスなバカバカしいものが 幅をきかせているんだとおもう。 

 

 

 

島耕作が 課長のとき 宴会で 盛り上あげるために 「裸踊りでもやって!」といわれて 困っていたら 上司の中沢部長が 「おー私がやりましょう!」といって その場を救うというエピソードがある。 

 

 

そのあと 屋台で 中沢部長が島耕作に  

「俺も最初はびっくりした。マルクスもケインズもぶっとんだよ。俺は大学で何を勉強してきたんだろう?ってね」 

という話しをするくだりがある。

( だいたいこんなエピソードだった )

 

 

 

これは 日本の力が強くて、社内や国内の取引先と いかにうまくやるか?が企業の使命だった時代は 学閥だったり、コミュニケーション能力とかが とても有効だったからだろう。

 

でも いまは 「マルクスもケインズもぶっとんだ」 ではダメで マルクスやケインズぐらいある程度 読んでないと そもそも会話の共有ができない。

 

学生は勉強してないとダメですよ。 

 

 

昔は、大学の勉強は社会にでて 役に立たないとかいわれていましたので そんなことをいっている オッサンのいる会社なんかに就職するのやめましょう(笑)

 

 

正直 専門分野であれば 大学レベルの知識では たいして有効ではないんだけど かんがえないといけないのは 学校で勉強したレベルを社会にでていかに応用していくか? ということだとおもうな。

 

 

大学といわず 高校や 中学での勉強って 恐ろしく社会にでて役にたちます。

 

実際 どんなレベルでもそうなんだけど しっかり勉強してきた人の方が 長い目でみると確実に仕事ができますよ。 

 

そして 勉強してこなかった人は 自分が仕事ができないのは 実は「学力」が原因だと 気づくことができないんだよね。

 

 

これは あんまりいろいろと書けないんだけど コーチングをやっていて 間違いのない話しなんだよな。

 

 

 

 

だから 学生時代 資格試験とかよりも専攻分野を キッチリ勉強しておけば 世の中で絶対に役に立ちます。

 

 

実際ね 経済学部とか経営学部とかでた オッサンに 

 

「経済学(経営学)って そもそもなんですか?」

 

とかいっても答えられないんだから。

 

 

就活塾や、資格学校もいいですけど 学校の勉強をしっかりやりましょう。

そっちのほうが リターンが大きいとおもうよ。

 

 

2014年1月15日 (水)

すべての人に望まれる「専門家」の条件

では、プロフェッショナルというのはどういう存在か。

 1人で相応の価値を上げることができる人である。価値を上げるということはビジネスができるということにも通じる。技術という範囲で言うのであれば、たとえば「釘が打てる」ではプロとは言えない。「家が作れる」となって初めてプロと言える。

あなたはプロフェッショナルか、単能工か 大企業の管理職が誤解しがちな「専門性」の意味 (ダイヤモンド・オンライン)

ダイヤモンド・オンラインの12月のエントリーだけど、なかなか面白い。

 
要するに 専門家であっても専門バカはいらんよ ということだね。 
 
 
 
 
あたりまえなんだけど では専門バカとは何なんだろうか? というと これも一般的には その分野だけしかできない人のことなんだろうね。
 
 
 
これもあたりまえだが そんな人はあんまり有用じゃないだろうね。  
 
 
 
 
 
 
 
このダイヤモンド・オンラインのエントリーの中盤にこんなことが書いてある。
 
 
技術者もそうだが、話し合いにノーから入る専門家は多いものだ。「できる、できる」と言うよりも、「それは無理だ」と言うほうが専門家らしいとでも思っているのかと感じることが少なくない。ノーと言うことに、自分の存在意義を見出しているのだ。(引用終わり)
 
 

つまり 専門家というのは 「ジャッジする人」と勘違いしているんだろうね。 

 

 

 

 
 
通常 お客さんが専門家に期待する役割は 「できるか? できないか?」の判断ではなくて 「難しそうにみえるものを 解決する」ことを期待している。  
 
 
 
だから 「こういう案件があるのですが、、、、、」というと 「このようにする必要があります」と相手ができるような形にまで 落としこんで そして提供しないといけない。  
 
 
 
そうでないと 専門家をよぶ意味がないよね。 
 
 
 
僕の知りあいに自称(笑)某専門家がいるけど まさに「こうするといいですよ」というだけで ジャッジしたり評価したりするだけで ぜんぜん役に立たない人がいる。 
 
 
 
 
 
実際 大手企業出身の人なんかにおおくて たぶんそれが管理職の仕事だったんだろうね。
( しかし 大手企業の管理職の生産性の低さはなんとかならんのかね、、、、 ) 
 
 
 
 
 
 
 
もう 1つ引用だけど 今月の「致知」という雑誌から  「一意専心」という特集から
( これも どうでもいいが この「一意専心」って言葉、、、、 痛すぎる、、、、、) 
 
 
 
開店前までの僕は、料理人として自分でも誇れる修行レベルだと思っていたし、料理をつくって美味しいと言ってもらえさえすれば独立して店は持てると考えていた。だけど実際にはそんなことで店なんかやっていけないわけですよね。(引用終わり) 
 
(特集 一意専心 我ら、料理の道を究めん 
   銀座・小十店主 奥田透  日本料理・龍吟代表 山本征治 対談 ) 
 
 
 
 
 
 
両方共 有名なミシュラン3つ星店なんだけど ふたりとも もともと知りあいだったんだね。
知らなかった、、、、、し もちろん 両店とも 僕はいったことがない。( 当然! ) 
 
 
 
 
「一意専心」とかかれてあるんだけど おそらく対談の編集としては 一心不乱に料理道をあきらめずに 邁進した、、、、、 というトーンで書きたいんだろうけど ふたりが言っているのは ぜんぜん違う。 
 
 
 
 
 
料理すきなだけじゃダメで 効果的なチームをつくらないとうまくいかないし そもそも自分たちがうまくいったのは、いろんな人に助けてもらったからだ、、、、、という主張。 
 
 
 
 
ただし チームでも いろんな人に助けてもらうにしても そもそも料理に対する自信とか 情熱とか 修行とかは 誰にもまけないとおもう ということ。 
 
 
 
 
 
 
つまり 高い専門能力 + マネジメント力 が必要だということですね。  
 
 
 
 
身も蓋もない結論だけど 料理のような厳しい世界はそうだろうね。 
 
 
 
まとめて 専門家とは何か? というと  
 
1 専門分野で 望まれる解決ができること


2 高い専門能力 + マネジメント力 
 
 
ということですね。 
 
 
 
ごくごく あたりまえの結論のようだけど すべてのビジネスマンに必要とされるものではないかな。 
 
 
 
ところで この両方の情報とも なんと! クライアントさんから 教えてもらいました! 
 
 
僕の プロとしての能力が問われるね、、、、、 トホホ、、、、 
 
 
 

2014年1月14日 (火)

根拠ないことだらけ、、、、のようだ

この記事では学習定着率(学習内容を学習者がどの程度覚えているか)について、「本等を読んで知ったことは2週間後には10%しか覚えておらず、人から聞いたことでは20%、画像等を見て知ったことは30%…と続き、実際に自分で体験したことは2週間後でも90%覚えている」等とする、いわゆる「学習のピラミッド」モデルが、なんの根拠も持たないことを解説しています。
 

 
 
 
僕は、研修講師もやっているんだけど いわゆる「自己啓発」的な研修とかを 期待されるケースもあるんだけど 実際は徹底的に スキル偏重の技術講習なんだよね。
 
 
 
「スキル偏重」にしているのは ちゃんと理由がある。 
 
 
 
コーチングを「マインド」とか、「才能」とか、「センス」とか、そういうレベルで話すると 誰でもつかえないから。  
 
 
 
 
ビジネスの場で つかうコーチングなら 誰でもカンタンに習得できるように 論理的に説明でできないとダメだから。 
 
 
 
だから 完全にスキルとして 伝えてますよ。 
 
 
 
 
実際 ビジネスコーチングって そんなに難しいこと やる必要ないんだよね。 
 
 
たぶん 世の中に出回っている コーチング研修はオーバーアチーブだとおもうよ。 
もともとが プロコーチ養成用のカリキュラムをたたき台にしているんだろうから仕方ないけど。 
 
 
 
さて そんな中で 冒頭の「学習定着率」とか、こういうのって よく研修なんかで もっともらしく伝えられるんだけど こういうのに騙されてはいけない。  
 
 
 
 
 
「エビングハウスの忘却曲線」とか 「マズローの欲求段階」とか 「メラビアンの方則」とか よくつかわれる奴だけど ググって下さい。 
 
 
 
疑義がたくさんあがっていて 根拠が弱いことがよくわかりますよ。 
 
 
 
 
 
ただ 僕は わかりやすくするために、たとえ話として研修なんかで使うには悪くないとおもうな。  
 
 
 
でも その前提条件というのは 講師側が、「まぁ 厳密にいうと いろいろ問題はあるのだが、、、、」ということを 少なくとも認識しておく必要はあるとおもう。  
 
 
 
だから 盲目的に講師側がつかうのは問題あるとおもうよ。 
受講する側も、「その話しの根拠はあるのかな?」とかんがえて欲しい。
とくに 他の人に、また伝えないといけないときなんかはね。
 
 
 
 
そのあたりは 注意する必要があるね。
 
 
 
 
ところで 僕がいうのものナンですけど 「ふつうにやって、ふつうに商売できないか?」 って 少しまえに書いたけど 部下育成とかって そんなに大変なスキルが必要ですかね? 
 
 
 
 
「ちゃんと話して、ふつうに教える」ことやれば そんなに特別なことする必要あるのかな? 
 
 
 
なんか 心理的ななんとかとか、わけわからん人間力とか 研修うけたりとか そんなに必要なんですかね。 
 
 
 
どうも 単純にちゃんとやってないだけにおもえるんだけどね。
 
 
 
 

2014年1月13日 (月)

スティーヴンハンター祭りだそうだ

ずいぶんまえに スティーヴンハンターのいわゆる「スワガー サーガ」について 書いたんだけど 最近 新刊が出て えらく評判がいいらしい。

 

 

 
 
 
アマゾンじゃ 品切れになるくらい 売れているみたいだね。
(ちなみに リアル書店ではまだ、けっこう売っていました)
 
 
正直 読みたくて たまらないのだが ちょっとだけ ガマン、ガマン。
 
 
 
さらに 何と! アマゾンで スティーヴンハンターのキンドル本のバーゲン やってるじゃないか!
 
 
 
 
1月19日までだけど まぁ10%ポイント還元なので、たいしたことないといえば たいしたことないけど 読んでないやつは今のうちに DLしておこうかな。
 
 
 
とかで キンドルなのに積読とかよくわからない状態になるんだよね。
 
 
ちなみに 「極大射程」の上巻は 50%OFFですよ。
 ( 紙本も 50%OFFですね )
読んでいない人は この機会にどうぞ 上巻、下巻DLしてみてください。
 
 
 
 
 
 
うーん 時間が全然たりないぞ!
どこか 静かなところで イッキ読みしたいな。 真剣にそういう時間を考えようかな。
 
 
 
 
 
 
 

2014年1月12日 (日)

身も蓋もなく言うと「フィードバック力」とはつまり、、、

このようなことで頭に来た、とは言うが、だからお前はこれをするな、とは決して言わない。それが正しい心の狭さだ。 by 心の狭い人選手権優勝候補

 
「フィードバックする」という 会話の手法があるんだけど これは 上の言葉のように 「だから こうしろ」というような アドバイスではなくて 「頭に来た」ということを伝えるもの。
 
 
 
だから 「感じたことを伝える」って言われているんだけど これは 僕のコーチング研修なんかでも やるんだけど とても難しい。
 
 
 
 
難しい理由は いっぱいあるんだけど そもそも 「感じたことを伝える」ということは日常的には 普通の大人は会話しない。 
 
 
 
「あーその話は私には興味がないですね」
→ 「ところで 別の話で 面白い話があるんですけど、、、、、」 
 
 
「あなたの態度がとても不愉快です」
→ 「こういうふうに振る舞えば、もっとあなたはうまくいくとおもうよ」
 
 
 
「自分自身が努力してきてよかったという熱い気持ちでいっぱいだ」
→ 「自分一人でやってきたと思わず 周りの人に感謝したい」
 
 
 
上段が 「感じた 率直な 生の気持」 で それを人前で言い表す時は 下段のような言葉になるという典型。
 
 
 
つまり フィードバック という会話の手法は ほとんど日常会話では使われない 特殊な会話だということだよね。 
 
 
だから 研修なんかで いくら練習しても 
 
「、、、、なので、、、とても良いので続けたほうがいいと 感じた」
 
 
「だから、こうするべきではないと思う」
 
 
「で、結局 わたしに何を聞きたいのですか?」
 
 
とかで 全然フィードバックでない会話になってしまって わからない人は全然わからないまま 終わってしまうことがあったりする。 (残念ながら そういうことは あります) 
 
 
 
 
 
僕自身は これをコーチングのトレーニングのときに 初めて体感したんだけど その効果というか 影響というか 威力に 衝撃をうけた。 
 
 
こんな 方法が世の中にあったのか! というくらい このフィードバックという方法に びっくりした。 
 
 
思えば 自分自身が なにげない誰かの言葉が深く残っていたり 逆に傷ついていたりしたのは このフィードバックの言葉だったのか と思ったりした。  
 
 
 
 
 
 
実際 これは すぐにできる人とか 直感的にできる上手い人もいるんだけど 僕は かなり練習したし いまでもトレーニングをやっている。 
 
 
なんせ 普段はつかわないから 感覚が難しいんじゃないかな? 
 
 
直感的に上手い人は その人のコーチングも上手な場合が多いです。 もし コーチングに才能があるとしたら たぶん フィードバック力が才能かもしれない。 
 
 
 
だから 乱暴なことをいうと 「フィードバック力」があるなしが コーチングが上手いかどうか?の重要な要素で 身も蓋もなくいうと「フィードバック力」が弱いコーチングは あんまり価値がないかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「フィードバックする」ということは 求められているときには とても効果を上げることがあるので 使えるようになっておいたほうが いいとおもう。  
 
 
 
次は 「どんな トレーニングをやったらいいのか?」について 書いてみたい。 
 
 

2014年1月11日 (土)

少しまえの本とか読みながら、マーケティングとか考えた(考えてないけど)

今日は 1日中 事務所で仕事。

たぶん 明日も。
 
 
 
ところで 昨日 知り合いと話をしてて グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ の話になる。
 
 
 
この本 2011年のやつだから もう3年くらいまえのやつになるんだなぁ。
 
 
 
それで 今日もなんとなく 読み返してみてると なかなかに面白かったな。
 
 
この本がとても注目されたのは、「こういう売り方や、やり方が 主流になるのではないか?」 という 注目のされ方だったんじゃないかとおもう。
 
 
それから 3年たったわけだけど その通りになりつつあるものもあるし そうでない部分もある。 ( あたりまえだ ) 
 
 
 
僕は この本を読んだとき 「こういうことができたらいいな」って思った。 
 
 
 
なんというか まっとうな商売というか 「 価値があるものをつくって 欲しい人に直接売っていく 」 という極めて オーソドックスなやり方が 不思議なことに SNSやネットのおかげで やっとできるようになってきた、、、、、、って感覚だった。 
 
 
 
 
やっと ちゃんとしたものを つくれば 欲しい人がでてきて それなりに商売が成り立つという ある種の「夢のような」世界ができるのではないか? と思えた。 
 
 
 
 
 
 
 
 
例えば この  キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる   という本も 同時期にでたんだけど トーンとしては 新しいマーケティング手法的な 紹介をされている。
 
 
 
 
 
 
 
今日 仕事をしてて ぼんやり思ってたのは ごくごくシンプルに商売を考えてもよいのではないか? とちょっと考えたんだよね。 
 
 
 
 
つまり 「ちゃんとしたものをつくって 適正な価格で売って それなりに商売になる」という 方針を そもそも もってみるということを考えてみてもよいのでは? ということ。 
 
 
 
 
へんな話だけど 最初っから 「そんなこと できっこないよ」っておもっている節があって でも これらの本がいっているのは 「やっと そういうことが 小さな会社や個人レベルでも できるようになった」って気がして しょうがない。 
 
 
 
僕自身も マーケティングの専門家ではないので 試行錯誤なんだけど シンプルな商売を長くつづけられたらいいな とおもうし それを模索中なんだけどね。 
 
 
 
まぁ 今日一日 そんなことを考えつつ 作業していた1日でございました。
 
 
 

2014年1月10日 (金)

「Dモーニング」 けっこうオススメかも

最近はコンビニなんかでも 立ち読みできないように 雜誌にひもをかけているところが増えてるよね。

 
 
ただ 書店では 立ち読みどころか 「座り読み」さえできて ゆっくり本を物色できるところもあるね。
 
 
 
漫画や雑誌は 短い時間で読めてしまうので 読まれちゃうと買わなくなるんだろうし 逆に ハードカバーの本は  ある程度試し読みしてもらわないと 買うきっかけができないだろうから それぞれの対応になるんだろうね。
 
 
 
 
雑誌や漫画が もの凄く売れている時には いちいち立ち読み対策しなくてもよかったんだろうけど そういう時代でもないしね。
 
 
 
 
 
 
 
そんななかで 実は僕は Dモーニング  を電子書籍で毎週購読しているんだけど これがなかなかいいよ。
 
 
 
 
月額500円で 紙のモーニングのほぼ同等の内容が毎週読めますよ。
 
 
 
 
ちなみに 紙のやつは一冊 330円なので 「ほぼ」同等の内容で 月500円って破格の安さに思えるな。
 
 
 
 
なんで Dモーニング購読しているかというと 「グラゼニ」GIANT KILLINGが読みたかったので、、、、という単純な理由。 
 
 
 
そんななかで 今週も載っていたんだけど 注目の作品が 「いちえふ」  だよね。 
 
 
 
 
Itiehu_r 
 
 
 
 
これは 福島第1原発の事故後の現場作業員として働いていた作者が書いた漫画で、作業の雰囲気がとてもリアル。
 
 
 
 
基本的に 政治的なスタンスで書いているのではなくて 作業員としての視点でかかれているので かえってリアルに感じるね。
 
 
 
 
 
 
 
もちろん 島耕作も読めるし、OL進化論もまだやってますよ。
(こいつら 何十年やってんだ?)
 
 
オススメは タブレットでみると見やすいですね。 
 
スマホでは画面が小さいのでちょっと見にくいかもね。 
 
 
でも けっこう 安くてお得なのでオススメしますね。

2014年1月 9日 (木)

人の決断を笑うな

僕自身は いわゆる一般的な「リーダーシップ」っていうもので リーダーの資質を図るっていうのが 嫌いな人なんですよ。

 
 
一般的なリーダーシップって なんか要するに 声が大きくて もっともらしい精神論とかを いう人ってイメージないですか?
 
 
そんなことないか、、、、っていうか 僕は精神論が嫌いなんだな。
 
 
 
 
で 今日は リーダーシップというか 決断の話。
 
 
 
 
今日のクライアントさんとのコーチングで話題になったこと。
 
 
 
 
 
たとえば 10人の人がいて 9人が違う意見をいっていたとする。
 
 
残りの1人は 自分ではよくわからないので 納得する意見に賛成しようとする。
 
 
 
そうすると Aという意見に賛成する人が 2人でてくる。
 
 
残りの意見は それぞれ 1人しか賛成していないので  Aという意見が採用される。
 
 
 
しかし 残りの8人の人は 「Aという意見に反対である」という立場でまとまることができる。
 
 
だから Aという意見が反対であるという声がとても大きくなる。
 
 
場合によっては 「おかしいんじゃないか?」とか 「これだけ反対されているのに バカじゃなかろうか?」 とか笑われたりするかもしれない。
でも その他の意見はすべて Aより 少数意見であることは間違いない。
 
 
つまり 反対する人が多いからといって その意見を破棄する理由には必ずしもならない ということ。
 
 
情勢からみると 反対意見がとても多いので 自然な感情では破棄すべき決断におもえるんだけど 他の意見は もっと賛同者が少ないケースもあるということだよね。
 
 
 
 
だから ベターで正しい意見だったとしても 反対者がとても多いことがあるということだよ。
 
 
ごく 当たり前なんだけど 「本当に この決断でいいのだろうか?」とおもうときの 参考になるかも? とおもって この話をコーチングでやってみました。
 
 
 
 
 
まぁ でも決断って 決めてしまえば あとはその決断が良いものになるように全力を尽くすほうが 重要だとおもうけどね。
 
 
 
 
 
 
 
 

2014年1月 8日 (水)

多くの殺人犯の共通点

多くの殺人犯を調べてきた狂気の作家・平山夢明さんが彼らの共通点として挙げたのは「がさつ」でした。身の回りがだらしなくて、世の中を見る目の解像度が低い。そういう生活を続けてると、だんだん「これをしたらどうなるか」とかを考えなくなると。(twitterからの引用)

 

 

定期的に twitterやtumblrなんかで 流れてくる文章なんだけど、説得力あるというか 感覚的に 正しい気がするな。
 
 
 
 
コーチングをやっていて いわゆるローパフォーマーの人のコーチングを依頼されることがある。
 
 
 
 
要するに 会社のなかのしかるべき人から 「こいつが仕事できないんで、仕事できるようにコーチングしてください」的な依頼。
 
 
 
もちろん 引き受けるのだが( ってか、引き受けるのが仕事なんだけど )本人の現状を 最初はよく観察するんだけど そうすると 共通点がでてくる。
 
 
 
仕事だけが 問題じゃなくて 同世代の人や同じくらいのキャリアの人とくらべて 例えば 身の回りが整理整頓されていなかったり、身だしなみに無頓着だったり、とか 「がさつ」というか 「ルーズ」な部分がおおいことに気づく。
 
 
 
 
それで そういうことを指摘すると、
 
 
「そうなんですよね。そういうよくないところ自分にあるんですよ。」
 
「それは、どうにかしないといけないと 私も考えているんですよ。」
 
などと 「わかっている」というようなことをいうんだけど 改善されたためしはない。
 
 
 
 
 
キーになるのは 「自分との約束を守ろうとすること」ということだとおもう。
 
 
自分との約束を100%守れる人とかいない。
 
しかし 自分との約束を守ることが価値のあることだ と理解していないと どんなテクニックやツールをつかっても ローパフォーマーがよくなることはない。
 
 
 
これが けっこう難しくて 言葉で相手がいくら 正しいことをいっていても 行動がともなわないことがとても多い。
 
 
まず 最初に そもそも 「自分との約束を守ることが価値があることだ」というのを理解させる前に 教える側が「もういいや」ってあきらめちゃうんだよね。
 
 
 
かくして 相手は今までどおり 「わかってはいるんですよね」と もっともらしいことを 口にして 行動はあいかわらず という状態がつづく。
 
 
 
 
 
こういうのは きっちりプログラムを組んで 対応しないと 教える側が根負けしてしまうので 対応方法はシステマチックにやる必要があるよ。
 
 
 
ときどき 「殺人犯には こういう共通点があるんだよ」とか 冒頭の話なんかを 話したりすることもあったりするんだけど もちろん返ってくる答えは、
 
 
「わかってはいるんですけどね」
 
 
って 話になるね。
 
 
 
 
いや もちろん 殺人犯になるってことじゃないですよ。
 
 
 
「ルーズさ」は、ときに大きな問題の原因かもしれないってことです。
 

2014年1月 7日 (火)

苦役列車 西村賢太

なんとはなしに 手にとった本。

 
文庫になっていて 薄いし 飛行機の中で読むにはちょうどよいか? と思って買った。
 
 
本を買う場合 基本的にはスペースがもったいなので できるだけ電子書籍で買うようにしているんだけど 飛行機の中では Kindleのスイッチを入れたり消したり 離着陸のときは使えなかったりなので 文庫とか新書とかを 空港の書店で買うことがおおい。 
 
 
著者は 芥川賞をとったときのコメントがユニークで それから芸能事務所にも所属するようになり テレビとかにもでている。
 
 
で、その小説の内容だけど まぁ これぞ私小説 というべき私小説で 作者の西村氏そのものを 書いていることに間違いはないとおもう。
 
 
本人のキャラが、テレビなんかでみても ユニークなので どうやって あのユニークなキャラができたのかを知ることができるとおもう。
(実際の本人の身の上は少し違うようだけど)
 
 
 
 
 
巻末に石原慎太郎氏が 解説をかいているので ちょっと引用。
 
 
西村氏の全ての作品は、ろくに風呂も行かず顔も洗わず着替えもせずにいる男の籠った体臭をあからさまに撒き散らしていて、その心身性には辟易する読者もいるに違いないが、しかし有無いわさずこれが人間の最低限の真実なのだといいきっているのがえもいえぬ魅力なのだ。(引用終わり)
 
 
 
「これが人間の最低限の真実なのだといいきっている」と書いてしまうと ちょっと違うきもするな。
 
 
 
 
あたりまえだけど 西村氏は作中の自分(あるいは、本人)のキャラクターのユニークさを十二分に自覚しているんだとおもう。
 
 
 
 
それは 自分自身でもあるわけだから 全く忌み嫌われるキャラクターとして 描けば それは自己否定になるので 自分がもたない。
 
 
 
だから  中卒、日雇い人足、といったとてもわかりやすい、スティグマ性が高い記号を、作中におくことによって 逆に読者の共感を得ているんだとおもうな。
 
 
 
 
つまり 「低学歴だからってバカにするなよ」 「職業なんて 別に人間性に関係ないじゃないか」といった 絶対正義のような共感を得やすいのは 中途半端な学歴や 職業ではなくて 中卒、日雇い人足 といった およそ最底辺とおもわれやすい立場のほうが 圧倒的に 読者にわかりやすい共感を得られるはず。
 
 
 
 
その共感を得ている感触を作者はかんじながら、作中人物が ひどい振る舞いや、どうしようもない行動を描くことが 小説のドライブになっているんだとおもうな。
だから 読んでいて どこかに 「まぁ確かに こういう部分は男なら 程度の差はあれ あるよな」とおもわず 思わされる。
 
 
 
 
 
 
 
 
苦役列車のその後? なのかな? 「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」が同本に併録。
こちらも 同等の文体で違和感なく読める。
 
 
 
 
 
 
つげ義春とか 落ちぶれていく男の話は ときどき読みたくなる。
 
 
 
それは 僕自身が 「いつかこうなるのでは?」という恐怖かもしれないし、「ここまで 落ちぶれることは 自分にはないな」と安心するためなのか あるいは単に 「こんな やつらを相手にしてはいかんな」とせせら笑うためなのか 自分でもよくわからないけど。
 
 
 
 

2014年1月 6日 (月)

「その1秒を削り出せ!」 サービスの絶対正義

昨日 繁盛する店は いわゆる「QSC」は大前提  ということを書いたんだけど、 今日ちょっと それに関連して とても重要な 「クイックサービス」について 書いてみたい。

 

良いサービスとは何か? という問いを 研修なんかで考えてもらうんだけど 実際にでてくるのは、
 
 
 
「ていねいな応対」
 
「こまかく行きとどいたサービス」
 
「よく 気がつくサービス」
 
 
 
とか そういう話がおおいんだけど このような解答では 50点以下なんだよね。
 
 
 
 
 
 
サービスには 大きくわけて 2種類あって 1つが 「ホスピタリティサービス」
 
これは 一般的に思いうかべる 「ていねいで よく気がつく応対」とかんがえてもいい。
 
 
 
 
そして もうひとつが 「クイックサービス」で これは 商品やサービス、 顧客の要求や提案に いかに速く応えることができるのか? というもの。
 
 
 
 
もちろん 「ホスピタリティサービス」 「クイックサービス」どちらも とても重要なんだけど あえて 「クイックサービス」のほうが大切だといってみたい。
 
 
 
 
理由は 僕のクライアントさんの企業で 「クイックサービス」を改善すると 間違いなく売上げ 客数 利益ともあがる という実績があるからだ。 
 
 
そう 「クイックサービス」の改善は 即効で 売上げや客数 利益アップにつながるんだよね。
 
 
 
 
 
 
 
 
たとえば どういうことをやるのか? というと 単純に商品やサービスの提供時間を短縮する。
 
 
 
レストランだったら メニューや動線 レイアウト オペレーションなどを見なおして 提供時間を短縮する。
 
 
サービス業だったら 必要なステップを 省いて短縮して すぐにお客さんがサービスを受けられるようにする。
 
 
メーカーだったら 納期はもちろんなんだけど 発注や納品のステップを見なおして 発注しやすくしたり 納品後すぐに ユーザーがつかえるような仕様に変更する。
 
 
 
、、、、、、、 など どんな業界でも たくさんやれることがある。
 
 
 
 
 
 
 
実際 「顧客サービス」というと ていねいなサービスを行ためには? という ノウハウは あったりするんだけど 「もっと速く もっと正確に」というノウハウは あんまり世の中に流れていない。
 
 
 
「より速く より正確に」 とかは 日本人が得意な分野なんだろうけど どうやったらいいのか? というノウハウとしては わりと軽視されている気がするな。
 
 
 
 
もっとも 日本のほとんどの企業 事業所 お店では 一定水準 しかも 高水準であるから それほど気になっていないのかもね。
 
 
でも 国内 とくに 地域や地区で 「同等の商品やサービスを 同等の価格」で 提供しているのであれば 「速い」方が 必ず勝つよ。
 
 
 
 
だから ライバルに勝つには 単純に 「クイックサービス」を強化すれば それだけで かなり優位にたてる。
 
 
 
 
なぜなら 他のところは それほど優先順位が高いとおもっていないので 強化していないし 強化するにしてもノウハウがあまりないので なかなか速くならない。
 
 
 
 
でも お客さんが求めているのは 圧倒的に 速さ なんだよね。
 
 
 
 
 
 
 
 
難しいオーダーが「すぐに」叶えられる ホテル、 
 
注文したら「すぐに」料理がでてくる 居酒屋、 
 
買いたいものが「すぐに」手に入る WEBサービス、 
 
電話したら「すぐに」担当者が駆けつけてくる業者、
 
待ち時間が、短く「すぐに」診てくれる病院
 
  、、、、、、、、
 
 
 
 
実はサービスの根本は 「クイックサービス」 にささえられている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今年 2014年の箱根駅伝の優勝校 東洋大学のランナーの 腕にマジックでかかれていたのは 
 
 
「その1秒を削り出せ」
 
 
というスローガンだったよね。
 
 
 
 
 
「クイックサービス」の改善って まさに 「あと何秒短縮できるか?」という積み重ねなんだよね。
 
 
ていねいで、ゆきとどいたサービスも タイミングよく 速く 提供できないと 単にぼんやりとした サービスになってしまう。
 
 
ライバルに差をつけるのであれば 1番に手をつけるのが 「クイックサービス」 だとおもう。
 
 
 
 
 

2014年1月 5日 (日)

「繁盛する店」と「繁盛しない店」の違い

帰沖しました。(沖縄に帰ってきたってことね)

 

 

いつも 年末年始 沖縄に帰ってきて最初にすることは 年賀状の確認ですよ。

 

 

ことしは 少し はやめに帰ってきたんだけど 日の並びによっては 松の内に帰ってこれないときもあるので 年賀状いただいて こちらが出していない不義理は来年以降になってしまう。
 
 
 
 
いたしかたないし まぁ どちらかというと 普段からつきあいある人は そもそも年賀状もこないし 出さないので まぁ 問題ないといえば問題ない。
 
 
 
 
ところで 今年の年賀状に ときどき僕がいっていたお店から「閉店のおしらせ」が 届いていた。


わりと 好きな店だったんだけど これもいたしかたないのか 昨年いっぱいで閉店したらしい。
 
 
(そういえば おととしも同じように 年末いっぱいで 閉店しましたという店から ハガキが届いていたので 僕が行く店は 閉店してしまうのかしらん)
 
 

 
まぁ しかし 両方のお店とも 正直 なかなか続けていくのは難しかろう という雰囲気はたしかにあったので さもありなん といえば そうなのかもしれない。 
 
 
 
 
僕は 飲食店のクライアントさんも多いんだけど 繁盛する店と繁盛しない店の違いって 何か? と問われると 2つの要素があるとおもう。 
 
 
 
1つは QSC といわれる お店の大前提のポイント。 
 
 
 
 
Q → クオリティ    値段にみあった美味しいものを出しているか?
 
S → サービス     その店にあった 迅速で 丁寧な応対をしているか?
 
 
C → クレンリネス   清潔で 掃除が行き届き 古びていないか?
 
 
 
正直 この3つに問題があると 繁盛店は難しい。
 
 
これは 事業所や営業所でも同じで B to C のビジネスでは基本中の基本だよね。
 
 
そして この3つは お店で働いている人が自分で責任をもって改善できるので これが 水準以下だと ちょっと厳しいね。
 
 
 
 
そして もう1つが 「新しいお客さんを 継続的に増やすことをやっているか?」
 
 
 
 
要するに 新規客をとるためことをやっているかどうか? ですね。
 
 
 
この2つ目の 「新しいお客さんを 継続的に増やすことをやっているか?」というのは かなり難しい。
 
 
 
実際 オーナー兼店主とかだと お店の運営だけで精一杯だから 新しいお客さんをとることはお店の中だけでしかやれないことがほとんどだよ。
 
 
 
 
 
だから 最初のQSCに自信があるなら はじめから 人通りが多い家賃の高い立地にだすのは アリだよね。
 
 

つまり 家賃が広告費のかわりになっているってことだね。

  
 
 
 
 
 
新しいお客さんは 常に外から来る。 
 
 
 
 
だから 外に向けての アプローチが継続的に必要になるんだけど それがなかなか大変なんだよね。
 
 
 
 
 
2年続けて 年末で閉店のお知らせが届くと ちょっとさびしいけど また新しいお店がどんどんできると いいね。
 
 
 

2014年1月 4日 (土)

「やらせる」ことと「できるようにすること」の違い

僕は 前職のことをあんまり前に出さないことで有名で(笑)、その理由を時々聞かれるんだけど 単純なんだよね。


それは (僕が以前いた会社)「⚪︎×会社出身ですよー」って 世の中に大声で叫んでいる人の 特に大きな声の人々と一緒にされたくないからです。

わかりにくい表現だな。


要するに 前の会社出身で それを売りにしている人が あまりにもショボいので 一緒にされたくないのですよ。


だから、あんまり大声で僕は言っていないだけです。

別に隠してはいないけど、積極的には話していないんだよね。

実際、会社辞めて いろんな事業はじめたり お店はじめたりしている人もいるんだけど あんまり景気のいい話は聞かないんだよね。


それは なぜかというと 人を育てる、人を動かすとか そういう人材育成に関して 大きな誤解があるからなんだと思うな。


もちろん これは コーチングをやっていて 他の企業なんかでも 気がつくんだよね。


それは 「やらせる」ことと「できるように すること」 を混同しているのだと思う。


「やらせる」というのは あまり気が進まなかったり 面白くない仕事を 文字どおりやらせること。

やらなかったり やれなかったりすることを やれるようにするので いかにも できないことをできるようにしているように見えるんだけど これは 「やらせてる」だけだよ。


「できるようにする」というのは やり方が 決まっていなかったり 毎回その場で判断しないといけないことができるようになるということだよ。


「やらせる」 → やり方が決まっていることを やらせること

「できるように すること」 → やり方が決まっていないことが できるようになること


という違いがあるということだよ。


世の中に 「やらせる」手法は たくさんあるんだけど 「できるようにする」手法って 出ていそうで あんまりでていないんだよね。


実際 「できるようにする」方法って 精神論とか 時間かけよとか そういうことしか なかなか出てこなくて 困ってしまう。


じゃ どうしたらいいのか?というと できるようになるプロセスを教える側が、説明できないと難しい。


例えば どうなったら失敗と判断するのか? とか だいたい一般的には ここでつまづくケースがおおいとか、一見ここはカンタンそうに見えるけど ここを正確にやっておくことが後でとても重要になるとか そういう 「やる人目線から見て 役立つ情報」を提供できるかどうか?っていうのが大きい。


「やる人目線で役立つ情報」を収集するには ちゃんとノウハウがある。


だから それを提供できない人は 提供するだけの能力がないか そのノウハウを知らないかどちらかだよ。


「やらせる」ということと「できるようにする」ということの区別って 重要なんですよ。

2014年1月 3日 (金)

次のオファーがあること

僕の家にはテレビがないんだけど、実家にはもちろんテレビが 堂々とある。

なので お正月期間は がっつりテレビ見るわけなんだけど 海老蔵の番組を母が見たいので なんとなくそれを見てる。

見てると「芸」って やっぱり大事だよなって思うよ。


ある意味 僕も「芸人」で その芸を買ってくれる人に 芸を売るのが僕の仕事だと思っている。


というか 基本的に ほとんどの人が「芸人」であって いや 俺は実力で勝負するぜ!って勝負できる人は あんまりいないと思うな。

美味いモンを食べさせるお店も 芸人で キッチリ仕事をするビジネスマンも芸人で、請け負った仕事をやり遂げる人も芸人で 要するに 「芸人とはスペシャリストのプロフェッショナルなり」ということだと思う。

もちろん、僕自身がそれを成し遂げてるとは思わないけど 少なくとも目指しているのは間違いない。


まぁ じゃ どういうのが「芸人でスペシャリストのプロフェッショナル」なのか?というとよくわからないけど。

でも、僕 個人的には 「芸人でスペシャリストのプロフェッショナル」とは 何ですか?と聞かれた場合には 明確に答えられる基準がある。


それは、「次のオファーがあること」というのが 僕の基準なんだよね。


つまり 僕は、次の仕事を頼まれれば それは基本的に合格と思うし そうでなければ 何か足りないものがあったって思う人なんですよ。


この「次のオファーがあること」っていうのは ある意味僕のとても大きな仕事の目的みたいなもので いつもその事を考えているな。




今日は 箱根駅伝を見たり 高校サッカーを見たり 買い物行ったりとか。


箱根駅伝で優勝した 東洋大学の監督は37歳だそうですね。
大学生のスポーツ指導は30代がよろしい。

何事も 年齢的に頃合いってものがあるよね。

2014年1月 2日 (木)

パソコンを持ち歩かない たいしたことない理由

昨日 「しばらく 毎日ブログ書くぜ!」 といいながら さっそく挫折しそうになっていますよ。

ちなみに 今このブログをどうやって書いているのか? というと iPhoneに ポメラのDM100をbluetoothでつないで 書いているんだよね。


はっきりいって とても書きにくい。

画面が小さいし 変換なんかも なかなかうまくいかないので 時間かかるな。

実家においてあるパソコンが壊れてしまったので 非常事態的に こうやってかいているんだけど まぁ仕方ない。



僕は いつも持ち歩いてるのは iPhone にポメラ iPad に kindle という ちょっとかんがえても どれかいらんのじゃないか? という装備なんだけど パソコンを持ち歩くことを かたくなに拒否してたら こうなってしまった。



なんで パソコンを持ち歩かないかというと 1番大きな理由は カッコ悪いから。
外で パソコン広げるのってカッコ悪くないですか?
なんか 社畜的な雰囲気が漂ってる気がして。
まぁ 個人的な偏見というか どうでもいいことなんでしょうね。



ふたつ目の理由は それぞれのアイテムが好きだから。
特に ポメラが僕はとても好きで 基本的に文章を打つだけって機能が 仕事の効率をとてもあげるんだよね。



ただ 最近 iPad Air を手にいれた おかげで Kindleをつかう時間がちょっと減ったかも。
軽くて気兼ねなくつかえるのが Kindleの利点だったんだけど iPad Airは とても軽くて これで読んでも比較的 ストレスがないんだよね。



でも 長い時間読むのは いくらiPadAirでも 手がつかれるかもね。



今日 電器店で Windows8マシンを さわってみたんだけど 意外とつかいやすいことに 気づいたよ。
さわってると 欲しくなるよね。


今日の夜は、ジンギスカンを食べましたよ。
写真撮ったけど うまくアップできないな。

初めて 家でやってみたんだけど 準備とか後片付けとか 超楽チンだし コスパはイイし もちろん美味しいし ヘルシーっぽいし これはとても好評だったよ。


しかし、そろそろ 食を控えないと 体重がヤバイ。

2014年1月 1日 (水)

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年はしばらく、毎日ブログ更新したいと思っていますよ。
一時期 毎日更新していた時期もあったんだけど 思うところあって しばらく毎日、、、、いや「ほぼ」毎日更新したいと思います。(「しばらく」とか 「ほぼ」とか 決意が緩いなぁ)

毎日更新になったので、さっそく 今日はどうでもよい僕のお正月日記ですよ。



年末年始は いつも実家で過ごすんだけど おでんを大晦日に僕がつくって 食べながらダラダラ紅白を見る。

途中で 今度は年越しそばをつくって 食べる。

で ゆく年くる年とかを 見ているうちに 眠くなって 寝る。


それでも、2014年のスタートは いつものコースをランニング。


三社詣りを済ませて これも 僕が作った お雑煮をみんなで食べる。


で、今は 数の子とかつつきながら 白糸酒造の「ハネ木絞り」というお酒を飲みながら ゆっくりしていますよ。


要するに 自分で食べたいものつくって 食べて飲んで 申しわけ程度に運動して 寝てるって お正月ですね。


でも こういうのが 僕は1番リラックスできるので 楽しんでいますよ。



では 本当にどうでもよい日記でスタートしましたが 今年もよろしくお願いします。




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