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2011年5月23日 (月)

人生に役にたつかもしれない「信頼できるカウンセラーとは?」

 

問題だとおもう

このあいだ あるカウンセラーの人と話をしていて 

「「こころ」にアプローチする方法も、行動にアプローチする方法も どちらも正しくて それらを組みあわせて 話をしていかないといけない」

とか 一見 正しそうだけど バカげたことをいっていたので ちょっとおもったことを かいてみる。

まぁ ふつうの人がどんな認識もっていてもいいんだけど しかし カウンセラーみたいな 一見専門家のふりをしている人がこういう バカなことをいうのは問題だとおもう。

 

 

何が問題なのか?

どういうアプローチをしないといけないのかというと、

「こころ」の問題で苦しんでいる人は その呪縛を解いてあげて 現実は 「こころ」というものの呪縛の世界、 ファンタジーの世界である ということを理解してもらう。

というところに 最終的に もっていく必要がある。 

 

そのように カウンセラー側に しっかり自覚が無いのが問題だとおもう。

 

ちなみに 心理学的手法を全否定するのではなくて 「ファンタジー」だと理解してもらうために 心理学的手法をとることは意味がある。

つまり 心理学的アプローチをクライアントに施すことで その心理学的アプローチそのものが意味を失わなければいけない。

心理学的アプローチをとることで それ以降その人に その心理学的手法が通じなくなれば そのカウンセリングは成功だった ということになるんだろう。

 

 

 
クライアントが解放されるのはなぜ?

だから 心理学的アプローチが クライアントを悩みから解放するんじゃないよ。
そうじゃなくて 悩みそのものがウソだったんだ と気づいてもらうためのものだよ。

 

解決は また別の話で それには 現実的なアプローチをとる必要があるし(行動療法的なこと) ばあいによっては 呪縛から解き放たれただけで 解決するばあいもある。

 

それを まちがって 心理学的アプローチが 「成功」した と錯覚するばあいがある。

 

そんなふうに クライアントがおもうのは いいとしても カウンセラーがそう信じているっていうのは、、、、。

インチキやせる薬を売っていたら 本当に痩せる人がでてきて 「じゃ飲んだら本当にやせるかも、、、」って 自分で飲んでいるようなもんだよ。

インチキやせる薬で 痩せた人は その薬のせいで痩せたんじゃんくて ちがう原因でやせたわけで それを薬のせいだって おもいこんでいる。

だから まるで 心理学的アプローチがうまくいくようにみえるわけで 実際は別の原因によって うまくいくようになる。

 

 

心理学の「こころ」って何?

たとえば よくいわれるように 動物と人間とを分けているものは何か?

 

いわゆる 「こころ」があるか? ないか? という話になるとおもう。

 

でも 「こころ」って そもそも何?

 

「あぁ この人好きだな」とか 「よし、がんばるぞ」とか おもう気持ちのことなんだろうか?

 

それは たんなる 「感情」であって 「こころ」ってよばれているものとは ちょっと違う。

 

この人が好きだなっておもうのは その人とつきあえたり、知り合えたりすれば 自分が「嬉しい」とか「楽しい」とかいう 気分(感情)になるから 「好きだな」っておもうわけで どちらかというと 自分に良いメリットをもたらせてくれるなぁ と瞬時に判断する「欲求」といえるよね。

 

「こころ」ってよばれているものは むしろ逆で

 

自分のメリットに ならないにもかかわらず 相手のメリットになることを する

 

ってものが こころで 例えば「愛」とか「友情」とかそういうものだよね。

相手を喜ばせたいから バイトしてプレゼントあげて 
「わぁ ありがとう この気持ちが嬉しいね」
っていうのは あいてに「愛」という こころを感じた とか そういうことだよね。

 

 


人のためか自分のためか?

でも それも ようするに 最終的に自分自身にメリットがまわってくるから 一時的に 自分自身が苦痛をかんじても ガマンしているわけで それは 動物の世界でも ふつうにある行動だよね。

 

おなじように 社会のために 自らの命を捨てる! とか 清いこころの持ち主だ、、、、っていわれるかもしれないけど 全体のために個体が命を捨てることは 集団行動する動物や昆虫でも ふつうにある。

 

というか むしろ 社会のために、、、、っていうのは どちらかというと 「そういうことのために命を投げる自分」というありかたを 守るために命さえも捨てるっていうように 解釈するほうが わかりやすい。 
そうなれば 要するにそれも 自分自身のメリットのためだったりしてしまう。


つまり 個人的な欲求であろうが 社会から得られるものが欲しい欲求であろうが  なんにせよ 誰もが 「欲求 = メリット(ベネフィット)」につきうごかされている って言えるよね。

 

直接的な 食べ物とか睡眠とか さらには 性欲とか 社会から認められたいとか あるいはそれらと交換可能なお金が欲しいとか まぁ そういう理由で 働きたくなくても働いたり 嫌でも いろんなルールを守ったりしているわけだよね。

 

 

あれ? 「こころ」は?

 

自分にメリットがなくても いっけん嫌なことでも やってしまう 「こころ」は どこにあるんだろうか?

 

 


「こころ」は どこにいってしまったのか?

どっかいってしまった「こころ」はどこにいったのか?

 

それは その人をつきうごかしているものが わからないから それに「こころ」というラベルを貼りつけたものだよね。

 

つきうごかしているもの(欲求=メリット(ベネフィット))が 「こころ」ってよばれているもので 欲求が外からはみえにくいので 「こころ」っていうラベルを貼っているわけだよね


「より良い社会であって欲しいというこころから、自主的に町内パトロールをしています」

→ パトロールすることで 町内の人に「良い人」であると認められたい。
  そういう人であると 認識されたいという 欲求

「この人のことが好きだから 辛いことでもガマンする」

→ この人といれば心地良いし 嬉しいという感情がある
  この感情を得られる メリットがあるなら 辛いことでもガマンする。

上の例のようなケースに 「こころ」っていうラベルを貼っているようなもんだよね。

 


だから 逆にいうと 「こころ」の問題は その人が いったい何につきうごかされているのか?っていうことが わからないと解決できない。

 

つまり 「こころ」そのものが ある という前提での心理学的アプローチでは つきうごかされているものの正体を たしかめることがないために  うまくいきにくいっていうのが よくわかるよね。

 

 


信頼できるカウンセラー

だから 逆説的に 信頼できるカウンセラーって そういうこと すべて 飲み込んで そしてクライアントにあたることができる人だよ。

 

そして それは とても少ないし 僕のまわりでも ごく少数しかいない。

 

法律の不備をしっている弁護士、医学がすべてっておもっていない医者、科学が絶対って信じていない技術者、、、、 そういう人たちが ホンモノ だよね。

 

あ、 あと コーチングなんて しょせんこんなもん とかおもっている プロコーチ も入れて欲しい(笑)

 

だから 最初に 「心理学的なものや 行動学的なもの どちらも正しくて 組みあわせて、、、、」っていっているのは 一見 ものわかったような 言い方なんだけど どっちも正しいっていう言い方は ちょっと違うとおもうな。

心理学的なものは「自覚的」に( 呪縛をとく手段として ) 行動学的なものは「成果的」に( 実際に解決するために )もちいることが 重要だとおもうな。

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