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2011年5月

2011年5月26日 (木)

コンサルタント?凄いね。帰っていいよ。

先日 あるクライアントさんが これまで契約してたコンサルタントの人を辞めて 新しい人と契約しましたって お話があった。

 

なんで 変えたのか? 聞いてみたら 要するに 要求に答えられなかった ということなんだけど、、、、、。

僕は このコンサルタントの人が どんな仕事をしていたのか 実はよく知っているんだけど たしかに 要求にこたえられなかったって いわれてもしかたないかもしれない。

 

たぶん これは コンサルタントの人が自分の仕事をよくわかっていなかったんじゃないかなって 僕はおもうな。

 

 

実際 コンサルタントや専門家といわれる人は 

 

「正しい解決策を伝える」
「ソリューションを提供する」

 

ことが 仕事だと おもっている人が多いんだけど そういう人は帰っていいです(笑)

 

「クライアントの要求に答えること」

 

が仕事であって それ以外は仕事では無いよ。


こんなことを書くと じゃ クライアントの要求であれば なんでも聞くのか? とか バカなことを聞く自称(笑)専門家とか いるんだけど そうじゃないのはあたりまえ。

一見 クライアントの要求を丸呑みするように すべて 聞いているようにみえて 最終的に クライアントも気づいていない 隠れたニーズを満たす ソリューションを提供する ということが必要だとおもう。




つまり

1 クライアント自身も気づいていない ニーズを 掘り起こす 力
 

2 納得できたり あるいは抵抗ないかたちで 会話ができる
コミュニケーション能力


3 ニーズを実現していく 
複数の具体的なソリューションの提供

 

この3つが たぶん 最低限必要なスキルなんじゃないかな とおもう。



コーチングで 僕が意識しているのは 対応方法をかんがえるのではなくて 問題解決をするには 何が必要か?ということ。

問題解決をするときに 一番重要なのは とりもなおさず 「問題設定」なんだよね。

だから コーチングで何をやっているかというと 問題は何か?って話 なんだよ。

 

それは 1の 「ニーズを掘り起こす」というところから はじまるので  「ちょっと このコンサルタントや専門家は 1のスキルがイマイチ弱いかなぁ」って よくみえるね。

 

 

でも だからって 僕がそのスキルがスゴイのか?っていうと そうでもないところが なかなかコーチとして哀しい。

 

 

実は僕のウリは 3のソリューションの提供だってことに最近気づいてきた。

 

スゴイ方法をしっている ということではなくて やるときに 注意しないといけないポイントとか うまくやるコツとか そういうのを わりと オタク的に知っているっていうところみたい。

 

このへんの事は また次回以降にかいてみたい。



 

2011年5月24日 (火)

BRUTUS 「本屋好き」

最近、Amazon とかで 本をかうより リアル書店で本をかうことが多いんだけど その理由は2つある。

 

ひとつは すぐに読みたいから。

もう すぐに読みたい~ こらえきれない~ってやつで 当然ネットとかで 誰かがすすめていて その紹介が とても良いので 欲しくて欲しくてしかたなくなるって場合。

書店に入って 1冊だけあった! とか なんかすごく嬉しくなるケース。


 

もうひとつは 引越ししたときに 未読の本を大量に処分したから。

ネットで買うと どうしても

「あれ、、、こんな内容だったのか、、、、」

っていう いわゆる ハズレ がでてくるよね。

 

それを引っ越しの時 大量に目にして 大量に処分したために いまは 自粛(笑)ムードがあるから。

まぁ 自粛ムードなので いずれは もとにもどるかもしれないけどね。

1

それで 今月の BRUTUS なんだけど 本屋特集で これがイイ。

そもそも この雑誌も本屋で買った。

ネット書店がでてきて 大型店か個性店しか 生き残れなくなったんだけど ここにでてる個性店はいいね。

京都の<恵文社一乗寺店>とか すごく行きたくなるし 鳥取の<定有堂書店>も こんな店があれば 通うなぁって おもう本屋さんだな。

 

リアル書店がいいのは やっぱり「出会い」があるところかな。
おもわず 買ってしまう本ってあって それが長い間手元にあるっていうはいいな。

「出会い」が ないならないで 「勝った」とか勝手におもって 書店員の目利きより 自分の本に対する 情報とか知識がうわまわった とか 意味ないことで時間が過ぎたりするのも好き。

 

沖縄の本屋さんも 2店紹介されているよ。

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そのうち1点が この 「日本一狭い本屋」 とくふく堂。

この店 公設市場ちかくにあるけど となりが支店で この写真の女性が本を読んでいるスペースだけが 本店。( よこのおばぁがいる店は 関係ない となりの店だよ )

あと 宜野湾の店も 1店紹介されてたなぁ。

5

100店 ちょっと行ってみたい。


 

 
 

すごく昔に アメリカに旅行にいったときに いっしょにいった友だちが

「知り合いに マドンナのヌード写真集をかってこい って頼まれてるんだよ」

って いっしょにアメリカの書店をさがしたおぼえがある(笑)


当時 マドンナの人気絶頂で しかもセンセーショナルなヌード写真 そして洋書でその時はまだ 日本未発売なので 海外旅行で買ってくるには 最高のおみやげだった。


アメリカの書店は 本当に 豪華というか 本そのものも厚くてキレイだし 洋書だし(あたりまえだが) なんかとても華やいだ雰囲気をかんじた記憶がある。


で 肝心の マドンナの写真集なんだけど アメリカでも人気だったのかな? 2店ぐらい さがしたけどなくて、、、、

 

でも 恥ずかしくて 英語でも 書店のひとにききにくくて あきらめかけていた。

 
 

3店目で しばらくさがしてたら、、、、、あった! 平積み!あるとこには ある!


ふたりで 「あった!!!」って 叫んで くいついていったら 書店にきていた まわりのお客さんに かなーり 笑われた。

マドンナのヌード写真集に 叫びながら かけよる 日本人青年(当時) 2名、、、、 日本の恥 だったかも、、、、 スミマセン。

2011年5月23日 (月)

人生に役にたつかもしれない「信頼できるカウンセラーとは?」

 

問題だとおもう

このあいだ あるカウンセラーの人と話をしていて 

「「こころ」にアプローチする方法も、行動にアプローチする方法も どちらも正しくて それらを組みあわせて 話をしていかないといけない」

とか 一見 正しそうだけど バカげたことをいっていたので ちょっとおもったことを かいてみる。

まぁ ふつうの人がどんな認識もっていてもいいんだけど しかし カウンセラーみたいな 一見専門家のふりをしている人がこういう バカなことをいうのは問題だとおもう。

 

 

何が問題なのか?

どういうアプローチをしないといけないのかというと、

「こころ」の問題で苦しんでいる人は その呪縛を解いてあげて 現実は 「こころ」というものの呪縛の世界、 ファンタジーの世界である ということを理解してもらう。

というところに 最終的に もっていく必要がある。 

 

そのように カウンセラー側に しっかり自覚が無いのが問題だとおもう。

 

ちなみに 心理学的手法を全否定するのではなくて 「ファンタジー」だと理解してもらうために 心理学的手法をとることは意味がある。

つまり 心理学的アプローチをクライアントに施すことで その心理学的アプローチそのものが意味を失わなければいけない。

心理学的アプローチをとることで それ以降その人に その心理学的手法が通じなくなれば そのカウンセリングは成功だった ということになるんだろう。

 

 

 
クライアントが解放されるのはなぜ?

だから 心理学的アプローチが クライアントを悩みから解放するんじゃないよ。
そうじゃなくて 悩みそのものがウソだったんだ と気づいてもらうためのものだよ。

 

解決は また別の話で それには 現実的なアプローチをとる必要があるし(行動療法的なこと) ばあいによっては 呪縛から解き放たれただけで 解決するばあいもある。

 

それを まちがって 心理学的アプローチが 「成功」した と錯覚するばあいがある。

 

そんなふうに クライアントがおもうのは いいとしても カウンセラーがそう信じているっていうのは、、、、。

インチキやせる薬を売っていたら 本当に痩せる人がでてきて 「じゃ飲んだら本当にやせるかも、、、」って 自分で飲んでいるようなもんだよ。

インチキやせる薬で 痩せた人は その薬のせいで痩せたんじゃんくて ちがう原因でやせたわけで それを薬のせいだって おもいこんでいる。

だから まるで 心理学的アプローチがうまくいくようにみえるわけで 実際は別の原因によって うまくいくようになる。

 

 

心理学の「こころ」って何?

たとえば よくいわれるように 動物と人間とを分けているものは何か?

 

いわゆる 「こころ」があるか? ないか? という話になるとおもう。

 

でも 「こころ」って そもそも何?

 

「あぁ この人好きだな」とか 「よし、がんばるぞ」とか おもう気持ちのことなんだろうか?

 

それは たんなる 「感情」であって 「こころ」ってよばれているものとは ちょっと違う。

 

この人が好きだなっておもうのは その人とつきあえたり、知り合えたりすれば 自分が「嬉しい」とか「楽しい」とかいう 気分(感情)になるから 「好きだな」っておもうわけで どちらかというと 自分に良いメリットをもたらせてくれるなぁ と瞬時に判断する「欲求」といえるよね。

 

「こころ」ってよばれているものは むしろ逆で

 

自分のメリットに ならないにもかかわらず 相手のメリットになることを する

 

ってものが こころで 例えば「愛」とか「友情」とかそういうものだよね。

相手を喜ばせたいから バイトしてプレゼントあげて 
「わぁ ありがとう この気持ちが嬉しいね」
っていうのは あいてに「愛」という こころを感じた とか そういうことだよね。

 

 


人のためか自分のためか?

でも それも ようするに 最終的に自分自身にメリットがまわってくるから 一時的に 自分自身が苦痛をかんじても ガマンしているわけで それは 動物の世界でも ふつうにある行動だよね。

 

おなじように 社会のために 自らの命を捨てる! とか 清いこころの持ち主だ、、、、っていわれるかもしれないけど 全体のために個体が命を捨てることは 集団行動する動物や昆虫でも ふつうにある。

 

というか むしろ 社会のために、、、、っていうのは どちらかというと 「そういうことのために命を投げる自分」というありかたを 守るために命さえも捨てるっていうように 解釈するほうが わかりやすい。 
そうなれば 要するにそれも 自分自身のメリットのためだったりしてしまう。


つまり 個人的な欲求であろうが 社会から得られるものが欲しい欲求であろうが  なんにせよ 誰もが 「欲求 = メリット(ベネフィット)」につきうごかされている って言えるよね。

 

直接的な 食べ物とか睡眠とか さらには 性欲とか 社会から認められたいとか あるいはそれらと交換可能なお金が欲しいとか まぁ そういう理由で 働きたくなくても働いたり 嫌でも いろんなルールを守ったりしているわけだよね。

 

 

あれ? 「こころ」は?

 

自分にメリットがなくても いっけん嫌なことでも やってしまう 「こころ」は どこにあるんだろうか?

 

 


「こころ」は どこにいってしまったのか?

どっかいってしまった「こころ」はどこにいったのか?

 

それは その人をつきうごかしているものが わからないから それに「こころ」というラベルを貼りつけたものだよね。

 

つきうごかしているもの(欲求=メリット(ベネフィット))が 「こころ」ってよばれているもので 欲求が外からはみえにくいので 「こころ」っていうラベルを貼っているわけだよね


「より良い社会であって欲しいというこころから、自主的に町内パトロールをしています」

→ パトロールすることで 町内の人に「良い人」であると認められたい。
  そういう人であると 認識されたいという 欲求

「この人のことが好きだから 辛いことでもガマンする」

→ この人といれば心地良いし 嬉しいという感情がある
  この感情を得られる メリットがあるなら 辛いことでもガマンする。

上の例のようなケースに 「こころ」っていうラベルを貼っているようなもんだよね。

 


だから 逆にいうと 「こころ」の問題は その人が いったい何につきうごかされているのか?っていうことが わからないと解決できない。

 

つまり 「こころ」そのものが ある という前提での心理学的アプローチでは つきうごかされているものの正体を たしかめることがないために  うまくいきにくいっていうのが よくわかるよね。

 

 


信頼できるカウンセラー

だから 逆説的に 信頼できるカウンセラーって そういうこと すべて 飲み込んで そしてクライアントにあたることができる人だよ。

 

そして それは とても少ないし 僕のまわりでも ごく少数しかいない。

 

法律の不備をしっている弁護士、医学がすべてっておもっていない医者、科学が絶対って信じていない技術者、、、、 そういう人たちが ホンモノ だよね。

 

あ、 あと コーチングなんて しょせんこんなもん とかおもっている プロコーチ も入れて欲しい(笑)

 

だから 最初に 「心理学的なものや 行動学的なもの どちらも正しくて 組みあわせて、、、、」っていっているのは 一見 ものわかったような 言い方なんだけど どっちも正しいっていう言い方は ちょっと違うとおもうな。

心理学的なものは「自覚的」に( 呪縛をとく手段として ) 行動学的なものは「成果的」に( 実際に解決するために )もちいることが 重要だとおもうな。

2011年5月18日 (水)

ふがいない僕は空を見た

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 ふがいない僕は空を見た




「本屋大賞」っていう賞があって、これは「全国の書店員さんが一番売りたい本を選ぶ」っていう 賞で 僕は大賞をとった本は 手にとって読んでみることにしている。

 

ことしは 謎解きはディナーのあとで が 大賞だったんだけど 正直これは ??? って感じで 読んだあと 中学生の長男にあげた。 

( ちなみに喜んで よんで 「おもしろかった~」っていってたので それぐらいの年齢には ぴったりかもね )

 

まぁ そういう大賞だったので 今年は 「ハズレ」の年か? っておもってたんだけど 2位の ふがいない僕は空を見た が えらく評判がいいので 読んでみた。

 

 

読みすすめていくと ざくりとナイフで体をきられるような 強烈な体験だった。

 

 

 

子供のころに  「いろんなことを きちんとやらないと 変な人になりますよ」 的なことを いわれて じゃ ほんとに きちんとやらなかったら どんな人になるんだろう? って おもったことがある。

 

作中の人物は その「やらなかった人」が ずらりと ならんでいる気がする。

 

だから 読んでいると どこか自分が 上のポジションにいるような 人物をバカにするような気がしながら読んでいる。

 

 

だけど 読みすすめていくと だんだん気づいてくる。

 

 

実は そのバカにしている人物は すべて 読んでいる自分自身のことなんだ、と。

 

 

そう 「いろんなことを きちんとやらなかった」のは もしかして自分なのかって 気づかされていいく。

 

 

おかしい。こんなはずじゃなかった。

 

 

自分自身は ちゃんとやってきた気がするけど どうしてこうなったんだろう?って だんだん思いはじめてくる。

 

 

気づきはじめたら 読みすすめていくと 人物のこころが 気持ちわるいくらい 手にとるようにみえてくる。

 

だから とても痛いし辛い。

 

最後には ギリギリ救いがあって 読んだ後の 衝撃は強烈。

 

男性にも 女性にも オススメするけど けっこう心をえぐられるから そのつもりで 読むといいかもね。

 

 

 

 

 

短編5つから成るんだけど 5つで ひとつの物語。

 

そのうちのひとつ「ミクマリ」は、「女による女のためのR-18文学賞」の大賞受賞作で それだけあって 冒頭から 官能小説のような濃厚な描写がつづく。

 

でも それは 実は作者のしかけで のちの助産院での出産シーンなどの布石になっている。

 

作者は 窪 美澄さん という人で もちろん僕は全然しらなかったんだけど もともと官能小説とか書いていた人らしい。

 

だから そういう描写はとくいなんだけど 僕は文章のリズムもとてもよくて なにより 「人の痛い部分」っていうのをよく知っている人のような気がした。

 

 

正直 なんで この本が 大賞でないのか 不思議。

そして もちろん この本は 中学生の長男には ま~だ 早いので 読ませません。

 

2011年5月14日 (土)

わかりやすいインフォメーション

この間 嫁と買い物にいったときに スーパーで こんな紙がはってあった。

「 東日本大震災の義援金の募金箱を レジサッカー台にて設置しております ご協力ください。 店長 」

文面は正確じゃないけど こんなかんじだった。

で、嫁に きいてみた。

「レジサッカー台って どこのことか わかる?」

「レジサッカー台、、、、、? レジのところかしら??」

男性とか ぜんぜんわからない人もいるかもしれないけど レジサッカー台って ようするに 袋詰めをするところなんだよね。

実際 そこに 募金箱はあった。

 

また別の日 家族で 入場料が必要な 大型の公園にいったときのこと。

僕はノドがかわいて どっかに自販機がないかな? って おもって うろうろしてた。


そしたら 普通の人は はいっちゃいけないエリア付近に 迷いこんでしまったみたいで 係の人が

「あ ここは ふつうの利用者のかたは はいれませんよ。 どうされました?」

「あぁ スミマセン、、、 あの自販機ないですか? ドリンクの」

って聞いたら

「あ ありますよ。一般受付横 にあります」

「?? ありがとうございます、、、、、?」

ちゃんときけば よかったんだろうけど なんか迷いこんでしまっていたので そそくさと退散しないといけない気がして よくわからないまま でてきてしまった。

そのおかげで 一般受付横って どこかわからなくて けっきょく 自販機はみつからなかった。

僕は ここに来るときは いつも自動発券機で 入場券をかって 係の人にわたしていたから 受付とか つかったことがないので よくわからないし そもそも 園内からは どこが 受付かなんて みえないのだ。

ようするに 僕は なんとなく 入り口付近に あるんだろうって想像はつくけど 一般受付なんて 利用したこともないし どんなものなのか さっぱりわからかったわけだ。




募金箱も 自販機の場所も どっちも お客さんにむけてのメッセージだよね。

でも どっちも つたわってないよ。

おそらく どちらも ごく日常的に自分たちがつかっているから つたわってない ことがわかっていないんだとおもう。

 

自販機は まぁ親切でおしえてくれたんだろうけど 募金箱は、、、、、 誰か 指摘できなかったんだろうか?

「レジサッカー台って ふつうの人には わかりにくい表現ですよ」 って。


こういうのちゃんとしないといけないよね~ って 単純なことがいいたいんじゃないよ。


これは 実は 組織的 手抜きなんだよ。

つまり この程度でいいだろうっていう その組織の顧客への姿勢そのもの なんだよね。



なぜか?

 

 

それは セオリーとして もし改善をするとしたら まず一番顧客にちかいところから 改善していく っていうのが セオリー中のセオリーだから。

僕自身が担当して コーチングする場合も そうだし コンサルタントなんかもかならず そういうアプローチをとるはず。

その 顧客に一番ちかい 「現場」 で こういう 表現がまかりとおっているっていうのは 会社とか 組織として 顧客を「お客さん」として みていないっていう ことだよ。

 

 

 

今ここに セオリー中のセオリーってかいたんだけど だから わりと誰でもしっている可能性が高い。

 

だから いろんな人に 「 私たちは 顧客を大事にする活動をふだんやっていません! 」って メッセージを発していることになりかねないよね。

 

 

実際に 日常的に こういう改善をやっているところは すぐにわかるよ。

なにより 凄く スムーズに過ごせるので 

 

「なんだか わからないけど いってしまう店」

とか 

「なんか たのみやすい サービス」

 

って たいてい こういうインフォメーションが しっかりしているところなんだよね。


まぁ そういうことを感じました、、、、 って話しなんだけど なにより 自分自身の業務の改善を やっていかないといけないよね。

僕自身が 一番わかりにくいんだよなぁ。

いまだに 自分の仕事が何か 説明しきれてないし。

スミマセン 失礼しました。










2011年5月 7日 (土)

晴れときどき、、、日本一山香エビネマラソン!

ゴールデンウイーク、、、沖縄は梅雨入りしてしまったんだけど 僕は5月4日 ぴかぴかの晴天の日に 大分県の山香というところで マラソンに参加してきましたよ。
 
 
 
ゴールデンウイーク期間に マラソンやっているところはあんまりない。
それも そのはず だいたい 人や車が激増する時期に 交通規制して マラソンやると大迷惑。
だから 必然的に 

 
 「規制しても 大丈夫なくらい 人や車が ひかえめな地域」


でしか やれないわけで ようするに そういう地域なんだろうね(あ、、この地域の方 スミマセン)

マラソンコースも まぁ そういうコースで 延々と 田んぼというか 田舎道というか そういうのどかな 風景を見ながら 楽しくはしる、、、、ってコースですね(笑)

 

スタート前はこんな感じ


Photo_2
 
 

閑散としているようだけど 奥のほうに ちょっと見えるテントは 地元の物産とかの出店で けっこうなにぎわい。


Photo_3


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とりのモモ焼きとか 豊後牛の焼き肉とか うどんとか もちとか エスニックカレーとか いろいろ いろいろあって スタートまえに 食べたくなったんだけど ちょっとガマン。

 
 
 
そうこうするうちに ハーフスタート

 

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僕は 10キロの部なのです。

ハーフ、、、、でもよかったんだけど 今回は子どもたちも 3キロの部を走るので 子どもたちのスタート、ゴールをみとどけるには 10キロじゃないと 無理なので 10キロにした。
 
 
でも この日は とても暑くて ハーフだと相当きつかったかも? っておもったので 10キロで正解だった。
 
 
コースは 田舎道なんだけど 行きが しばらく下りで アップダウンが けっこうあり 折り返してきて 登りで 最後のほうは けっこうバテた。
 
 
途中で ハーフの人たちと合流するんだけど やっぱ 暑そうだったなぁ。
沿道での 給水とか 距離表示とかは すごく しっかりしていて 安心して走ることができた。
 
 


まぁ 僕のタイムは1時間4分くらいで 前日ちょっと 踵とか痛めたので のんびり最下位からスタートして ぼちぼちでゴールという ヌルい走りなんだけど イベントなんで まぁいいか って感じ。

 
子どもたちも それぞれ目標順位クリア! で 楽しくすごした一日でした。
 
 
 


おわった後は 近くの温泉で 汗をながして さっぱり。
九州のマラソンは これがあるから いいよね。
 


ちなみに この日は 高速もすいていて それほど渋滞らしい渋滞には かからず スイスイと行き帰りできた。
でも 途中の 湯布院インターは 超絶 激コミ だったけどね( 横をとおっただけですけど )
 

大分県は 熊本県も近いし 湯布院だけでなくて いい温泉もいっぱいあるので 別に湯布院にこだわらなくても いいんじゃ ないかなとか おもうんだけど せっかくだからっていうのも あるんだろうね。
 
 


ところで 「日本一山香エビネマラソン」って 何が日本一なのか わかります?

えーと 実は 僕もわかりません(笑)


エビネ っていうのは 花の名前で こんな花です。

Photo_6


日陰に咲くんですけど わりと ひかえめで きれいな花です。

これの 何かが日本一なんだろうね。



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