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2010年12月11日 (土)

映画 「ノルウェイの森」 (前夜)

そもそも、村上春樹の小説の雰囲気って学生運動であったり、ジャズ喫茶とか もの凄く日本的なことを書いているのに 文章そのものは ぜんぜん 「日本臭」がしない。 にもかかわらず 読後はとても ドメスティックな印象をあたえることが 圧倒的な特徴なんだとおもう。

 

ちょうど 80年代ごろって 伝統的な 文学小説的なものが 突き詰めていく「中身」というものが あってもなくても別にどうでもいいんじゃないの?っていう雰囲気が支配的だったようにおもう。

 

実際 そのころの 旬な作家って もう、「中身」が何であるか? という話をしていなくて どんな服を着せればよいのか? という話題になっていたんだけど 村上春樹は まわりが学生服をきてうろうろしている時代に さっそうと 海外ブランドの服をきて 現れたような それぐらい 飛び抜けてスタイリッシュな文体だった。

 

だからこそ 「服だけかっこよくても、中身がたいしたことないじゃないか!」っていわれたりしたんだけど そう言っている連中が、実はさんざん どんな学生服がいいかとか、どんな着こなしをすると モテるのか?的な、いわば 中身でない話ばかり していたわけで 「そんな カッコ悪い連中とつきあうつもりはない」っていう 村上春樹の主張は当然だった。

 

小説 「ノルウェイの森」は あえて そういうカッコ悪い「日本文学的テーマと文体」を意識して 書かれたいわば パロディのパロディで それは村上春樹の言葉を借りれば「100%の恋愛小説です」ということだった。つまり いつもブランド服を着ている自分が あえて 学生服を着こなすとすれば こういう着方をしますよ、どうですか?これでも いままでより よっぽどいいでしょ?という位置づけだったはず。

 

100回は読んでいない。でも、30回ぐらいは 僕はこの「ノルウェイの森」を読んだとおもう。それも、ほぼ発表同時期に。 つまり80年代後半 今から20年以上前 バブル絶頂期。
なんで そんな時期に 何回も「恋愛小説」を 読み返していたのか? それは そういった時代に なんだか「恋愛」っていうものが とっても大切な気がしていたからだとおもう。

 

いや、ちょっとちがうな。

 

恋愛が大切と おもってしまうのは どうしてなんだろう? どうして たんなる価値のひとつでしかない 恋愛を書いた小説に こんなに心を揺さぶられるのかを 知りたいとおもったから。 もちろん小説のなかの恋愛はメタファーでもあって、人との関係とか、絆とか そういうものだとも 読みとれるんだけど 「こころを揺さぶられるものというのは こんなにも揺さぶられるものなんだ」というメッセージを僕は そのとき受け取った。

 

12月11日 「ノルウェイの森」映画公開。
なんか いろんなおもいがあって 明日どんな気持ちになるのか わかるような気もするし 全然わからないような気もするし。


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