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2010年10月

2010年10月25日 (月)

愛し愛されて生きるのさ

今年、オザケンが13年ぶりにコンサートツアーをやって 話題になったけど 僕はオザケンの曲が好きで そして その中でも この「愛し愛されて生きるのさ」はかなり好きな曲。

サビの部分の ”いつだって可笑しいほど誰もが誰か 愛し愛されて生きるのさ それだけがただ僕らを悩める時にも 未来の世界へ連れてく” ってところがヤバい。





ラブソングっぽく書いてるけど、実際はメッセージソングだとおもうな。

 
どういうところが 好きなのかっていうと、大げさにいうと 僕自身が生きていくドライブみたいなものって 誰かにたいして「愛し愛されること」だからっておもっているから。

 

愛する、、、、っていうのは ちょっと気恥ずかしい感じなんだけど 誰かに対して 何かやってあげるとか 何かしてもらうとか そういうことが僕はとても心地良くて それが 明日をつくっていく、、、、って気持ちがあるから。

 

ただ それは僕の好みで 他の人 みんながそうじゃないだろう。
だけど 他の人が友達とかと どんなふうに 「何かしてあげたり、してもらったり」されているのかなっていうのも 僕自身とっても面白くて 興味深い。

 

 

 

だから この曲の詩が好きなんだろうな。




僕は オザケンとほぼ同じ年齢なんだけど 実際リアルタイムでオザケン聴いてきた人達って 僕よりもうちょっと若い世代だとおもう。

 

おんなじ曲を 若い人と同時代に聞いているんだけど たぶん僕が聞いている感じと 若い人達とは 聞こえている意味合いがぜんぜん違うはず。

 

若い人達はふつうに 「あの時 ながれていた曲だな」とか「大学のサークルのみんなで歌ったな」とかそういう感じ。

 
だけど僕はそのとき 企業戦士(笑)として 養成ギブスをはめられて魔球の練習中みたいな感じだった。

 
だから、愛し愛される~って楽しく聞いていたわけじゃなくて 誰かを愛するとか それだけしか明日への希望がなくて 他のことは 全然なんにもいい事がない世の中なんだよな、、、って気持ちで聞いてた。

 
つまり 愛し愛されることが いいよね~って 気持ちじゃなくて 他にはなんにもいい事がないから 愛し愛されること以外に 未来にむけての希望は何もないって 意味合いで聞いていた。

 

だけど 彼らもアラサー世代に入ってきて そーいえば オザケンの曲って今聞いたらこんな歌だったのか、、、 ちょっと違って聞こえるかもとか思って 今は僕と同じ気持で聞いている人なんかもいるはず。

 

つまり 「もともと違う体験だったんだけど 年齢を重ねるごとに お互いなんとなく似たような想いになってしまう」 って 気持ちで 今この時期に聞いている人もいるような気がする。

 

 

若い時聞いたときわからなかった雰囲気が 今はわかる みたいなね。

 

 

 

 

ところで話はかわるけど 先日、凄く久しぶりに ある方と二人で食事をして、それで次の店、そしてもう1軒、、、ってなったんだけど その時 ずいぶん久しぶりに ズッポリと ご馳走になってしまった。

 

基本僕は、クライアントさんとのお付き合いはしないので だいたい どっか行く時って ほぼプライベートだ。
まぁ 僕なんかの場合 どこからがプライベートでどこからかがオフィシャルなのかわからないけど。

 

僕は年齢が下の人が 一緒の場合は基本的には僕がお会計するようにしているんだけど それは 僕が ずーっと そうやってご馳走になってきたから。

 
そういうのが いいとか悪いとか いろいろあるんだろうけど まぁだいたい そんな感じでなんとなく そうしている。そうでないときももちろんあるけど。

 

でも 僕自身が 順当に年齢を経て、 当然 「向こう側から こっちがわ」の人になったので 立場が変わって 奢ってもらえるってことは ほとんどなくなったのだ。

 

僕が後輩たちに 奢っていく立場になっているわけだ。

 

当然だ。 

 

だって もう若くない。

 

それに 僕はどっちかっていうと ずいぶん諸先輩方にお世話になってきた人間だとおもう。
そんな恩をうけた僕が 後輩に返していくのは 僕なりの矜持のつもりも ちょっとある。

 

 


、、、、なんだけど その日はずいぶん 久しぶりに ご馳走になってしまった。

 

 

 

そして 僕は 久しぶりに 本当に とてもとても 嬉しかったのだ。

 

 

 

 

 

なんだか 僕自身が 若い頃に戻ったような気分になったのだ。

 

ある意味で 「未熟者あつかいされた」「若輩者あつかいされた」ってことなんだけど  それが とても嬉しかったのだ。

 

だから、

「まだ まだ お前にはやることあるんじゃね?」

 
「しょせん まだまだ お前は俺なんかに 奢られる身分なんだよ。頑張りなさい」

 

って感じに 僕は受け取ることができた。

 

そのかたが 僕のことを「愛している」とまではいわないけど(そうなると、それはそれで諸問題があるのだが) だけど 僕はしっかり「受け取る」ことはできた。

 

別に取るに足らないこと、、、といってしまえばそうなんだけど だけど とるに足らないことを たがいに順番にまわしていく。

 

そうやって 誰もが誰かに 渡したり 受け取ったりすることっていうのは 可笑しいぐらいとるに足らないことだけど それが 例えば僕を よし明日もガンバロウって 未来の世界をつくっていく気にさせる。

 

僕はすっかり バトンを渡す側だけなんだなって思っていたんだけど いやいや まだまだ僕もバトンを受け取ることも あるんだなって 思い出させてくれた。

 

そうやって聞くと 愛し愛されて生きるのさ~っていうオザケンの言葉が なんだかとても響くな。

 

 

うん。

 

 

そんなことが あった、、、、、ってただぞれだけなんだけどね。

 

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