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2010年6月

2010年6月11日 (金)

モテない原因

昨日(6/10)のツイッターから、転載 あと ちょっと補足で す。

もともと、「モテる、モテない」について言いたかったわけではなくて、僕のまわりで 相談すると すぐに、

「こうしたほうが いいですよ」

「これが正しいですよ」

と アドバイスされる方々がいて それって僕は相当イタイとおもうんだけどな、、、という 意味のことを 「モテ ないんじゃね?」という言葉にしただけです。


以下 ツイートです。

↓ ↓ ↓

凄くカンタンな基準なんだけど「今こんなことが嫌なんですよね」と か「これで困っているんですよね」とか なんとなく気持ちとか口に出たとき「あぁそれはこうするとイイよ」とかいう人は 非モテ ケテーイってわかってい るのかな?間違ってないんだけど モテないとおもうよ。

posted at 10:27:15

モテるコツなんて僕には全然わからんし、わかれば苦労せんが  「あ~この人 モテない。絶対モテないだろう」とかいう人はわかる気がする。

posted at 10:32:37

相談したときとかに、聞きたいのは「あなたがどうおもったか」とか 「どんなふうにあなたの気持ちのなかに入ってきたのか」とかあなたの話をして欲しいのに 「こうしたほうが良い」とか「こちらを選ぶと世間的には正しい」 とか 僕がどうしたらいいかの話をされるのは非常に不快。

posted at 10:39:03

つまり、相談されて 「あなたはこうしたほうがイイですよ」と相談 者がどうしたらいいかを話すんじゃなくて 「僕は今の話はこんなふうに自分のこととして受け止めたよ」と話をすると 相談された方は相談してよかったって おもう。

posted at 10:45:44

僕がすごく好きな人がいるんだけど その方は相談するといつも  「うぁわ~そんなんだったら わたしだったらどうするかな~ 大変だな~」とか 必ず「自分だったらどうするか?」という話をしてくれる。そしてそれは凄 く個人的な話。

posted at 10:51:20

しかも、「だからあなたもこうしたほうがいいよ」ってたぶん一度も 言われた事ないな。いや いわれたことあるはずなんだけど、そんな気になってないってことなんだろう。

posted at 10:56:07

政治とか、ニュースとかの話って普段の会話で 「だからこうすべき なんだ」とか「これが正しいんだ」って話してるのは、話の内容は正しかったり、なるほどとかおもっても 「あぁモテないんだろうな」って思ってしまうな。

posted at 11:02:03

いや モテなくていいんだけどさ。僕は「自分はこんなんなんだ なぁ~。だからこうしてるニャン」という相手の話が好き。情報とか正誤とか知識とか判断材料とか そういうのは申し訳ないけど僕は専門家に金払って聞く。

posted at 11:09:04

んで これはまた超個人的なデータなんだけど、そういう「僕、困っ てるんだよね」的相談話が、一番解決するのが、身も蓋もないけど まわりで一番偉い人に相談すると解決する(笑)

posted at 11:14:06

その次に気持ち的にスッキリするのが 僕よりずっと年齢がうえのお 姉さま方に相談すると 非常にスッキリする。これは 若い娘ではダメなんだな、僕の場合。なぜかわからないけど。

posted at 11:16:13

ツイートここまで

この一連のツイートみて 思い出した。


もう ずいぶん前のことだから 言っちゃうけど、知り合いで 米留学しているお子さんが、風邪を引いたかなん だかの病気になっちゃって、アメリカは医療費凄いから とりあえず 急遽 看病にいこうって 飛行機の席とって ぶっ飛んでいった、、、、って話を何人か で聞いていたときのこと。

んで 僕は 「病気で倒れてて でも かけつけても 飛行機でたぶん半日はたっぷりかかるんじゃないかな」  って おもったので 「どれぐらいかかったんです?」 って 聞いたら 「14時間ぐらいだよ~」って 答えてくれたんですけど 一緒に話を聞いていた  別の人が 「いや そうじゃなくて いくらだったんです?」って 聞いて その場が 凍りついたことがある。


その場にいるメンバーからすると (僕とその人を除いて)基本、ファーストには乗らないまでも エコノミーで 海外には普通はいかんだろう、 という方々ばかりだったので 「どれぐらいかかったんですか?」と聞かれれば 「時間」のことで 「値段」のことじゃな いっていうのは すぐに察しがつく。


でも 値段を聞いちゃった人にとっては 時間よりも値段のほうが 重要な人だったんだろう。僕はそっち側の人 なので 気持ちはわかるけど でも この場にいるメンバーにとって ビジネスクラスの航空券って 大したもんじゃないはず。

僕は、話を聞きながら「あぁ それだったら もっと安いチケットをとる方法がありますよ」とか いうんじゃな いかとおもって ドキドキした。実際マイルがどう、、、とかいっていたから いいかねなかったんじゃないかな。このメンバーで 自分で航空券をとる人なん かいない。そういうことは 基本的に 代理の人がやる。 そういう ポジションの方々ばかりだったから。(もちろん 僕とその人を除く、ね)

みんなが 同じ関心だったり 同じところに価値をみるわけじゃない。 だから 一般的な「こうしなさい」  「こうしたほうが良い」という解答は 有効かどうかわからないっていう前提に まずたつ 「慎み」みたいなものが 最初にあったほうが いいんじゃないか な。


 

一般的じゃない人も たくさんいるので その人達からみると それは ずいぶん 恥ずかしいアドバイスになる のではなかろうか。

というようなことを 思い出したのでありました。

例によって だから どうした といわれても 何もありませんが。

2010年6月 7日 (月)

正しさの二重構造

社会的に「正しい」とされていることと 実際に「正しいこと」ということとは 全然違う。

そして いろんな捉え方があるとおもうんだけど いわゆる「社会的」のものと「実際的」なものの2重構造になっていると 単純にとらえている。

そうしたほうが コーチングの中で 扱いやすいから。

僕が コーチングの中で調整しているのは その「2重構造」とどのように向き合っていくのか? という戦略なんだとおもう。

どっちが正しいということではなくて ケースとか関係性とかで 按配がちがうし どちらを重要視すれば いいのかも違う。

ただ 社会的に正しいことと 実際に正しいことを わけていくことは 大いに意識する必要があるんじゃないかな。



毎日 きまった時間に 横断歩道を大きな荷物をかかえて わたろうとする おばあさんがいたとする。

僕は 通勤途中で そのおばあさんに毎日 あうことになるのだ。

「おばあさん、荷物もってあげますよ」といって 僕は 横断歩道をわたるまで 荷物をもってあげている。優しいのだ。

他に通行人は 1人か2人。 毎日 おばあさんから 僕は感謝されている。

そういった 状況は毎日つづいている。



さて 僕は 「良い人」なんだろうか?


ここだけだと 僕は良い人のようにみえる。

しかし 実は僕は 毎日 おばあさんの荷物をすきあらば ひったくって 奪おうとおもって 親切にしているのだが  通行人が 毎日1人か2人いるので なかなか実行にうつせないのだ。

通行人がいない まさにそのときに 荷物を奪おうとおもっているのだが いつも通行人に邪魔される。

しかし 通行人は 「ほう 親切な人なんだな」という顔で 通り過ぎていく。

そして 僕は いつしかあきらめて 通勤路をかえてしまう。 ついでに ひったくりもあきらめてしまう。


これは 外から「見えるもの」と 内側で「見えないもの」とを どのようにとらえるか? という話で 外側では「親切な行為をする人」であり 内側では「よこしまな考えをもっている人」である。

これは 社会的には 内面で「そもそもよこしまな考えをもった 親切行為なので 良くない人である」 といわれても仕方がない。


しかし 実際的には 「動機がなんであれ 毎日おばあさんの荷物をもってあげていたし その後も ひったくりをしていない。なので 結果的に良い人である」 ともいえる。



さて 重要なのは ここからだ。


ふつう ビジネスの場や 職場で 必要なのは 「結果」である。

ということは 「内面的なことや 動機がなんであれ 結果的にうまくいけば よろし」 という身も蓋もないものかもしれない。

ならば フォーカスすべきポイントは 「結果的に良い人になれる」ようにすることだとおもう。


ここが とても 重要で これができるのが コーチングの意義だといってもいい。

つまり「どうころんでも 何やっても 良い人にしかなれないような 状況をいかにつくっていくか?」 というところに フォーカスする。

これが コーチングの意義だと 僕は考えている。

「良い人」になることを目指して コーチしてはいけない。

「悪い人でも(笑) 良い人と同じ振る舞いになってしまう」

ように することが まず 最初にくるべきなんだとおもう。

(最初、、、ですよ。 それで お終いとは言っていない)



僕が コーチングをやっていて 「なんでこんなことに なっているんだろう」と 目を覆いたくなるような 状況になっている原因の ほとんどは

「まず 社会的に 良い人になってから それをふまえて良い結果をだそうとする」

というところに がんじがらめに囚われているケースなのだ。


社会的に良い人と、結果的に良い人との 因果関係は 実は厳密な意味ではほとんどない。つまり 志が高い人間が結果を出すということは 証明されていない。データ的にも論理的にも、である。相関関係は多少あるみたいなので 別の原因だとおもう。



まず 最初に目指すべきは 「結果的に良い人」で その次に「社会的に良い人」である。

順番を逆にしてはいけない。 







 

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